sigh of relief

くたくたな1日を今日も生き延びて
冷たいシャンパンとチーズと生ハム、
届いた本と手紙に気持ちが緩む、
感じ。

くどうれいんと西加奈子の食エッセイ

2023-10-18 | お弁当や食べ物
くどうれいんの新しい食エッセイ「桃を煮るひと」を貸してくれた友達が、
次には西加奈子の食エッセイ「ごはんぐるり」を貸してくれて、まあエッセイもいろいろだなあ。
自分はくどうれいんの最初の食エッセイ「わたしを空腹にしないほうがいい」を読んで、
あなたはわたしか!と叫んだくらい食べることへの情熱や向き合い方、幸せになり具合が似てるけど、
西加奈子とはだいぶ違うなと思った。

くどうれいんが食べることや食べものに向ける情熱にはむしろ「わたし」が消え去る瞬間があるけど、
西加奈子にとっては逆で「食べもの」の方が消え去ってその時の「わたし」の方が鮮やかに
或いはノスタルジックに現れていると思う。
作家だなぁとも思うけど、わたしはくどうれいん側にしかなれない。

たとえば西加奈子は旅でテンションが上がってジャンクなものをたくさん食べてしまい
肝心の料理が食べられないという自分の癖を肯定的に書いてて、
それはそれで旅の楽しさに震える「わたし」が愛しくかわいくて面白いんだけど、
わたしは前夜から旅先で食べる美味しいものへ思いを馳せ想像を巡らせ、
それまでの食事をどのように何をどう食べながら旅先のその一食を最高に楽しく美味しく味わうか
ワクワクしながらその食事を食べるずっと前から向き合っているのです。
くどうれいんもそんなタイプではないかな。
そこでは「わたし」は消えて、頭はそのご飯のことで一杯になってる。
映画の感想を書く時、わたしは結局そこに「わたし」を、書いてしまうんだけど、
食べ物に関してはそうではないなと思うと、本当に食いしん坊なのだなぁとまた思う。

西加奈子はまた、
漠然とだが、「なんでも美味しそうに食べ、お酒をよく飲んで、少々のガサツさは気にしない」人が好きなのだ、
と書かれてて、わたしもそういう人は好きだけど、
こと食べ物のことになるとわたしはついうっかり真剣になってしまうのである。

>「美味しいものを美味しく食べたい。シンプルな欲求だけど、そのために手間を惜しまない人は、少ない」
でも西さん自身はその手間を惜しんでしまうと。
うんうん。わたしは惜しまない方だな。いつもではないけど。

「お茶を美味しく飲みたい、とてもシンプル、だけど、そのためにずっとやかんを見守ることを、私はしない」と
美味しいお茶のために、お湯が沸く瞬間までずっとヤカンを見守る人のことを書かれてるけど、
まあ、わたしはわりとそういう人である。多分くどうれいんも。笑

たとえばこれは
昨夜から今日の昼何食べるか考えてあったので、昼休みにバタバタしなくていいように
朝ごはん食べながら昼の用意もし他時の写真だけど(昼休み包丁使わずに食べられるようにした)
このように常に食べることを考えてるのです。

どちらがいいというのではなく、どちらの食いしん坊もいいなと思うし
いろんな食いしん坊があっていいし、とにかくどんな食いしん坊でも食いしん坊は好き。

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