sigh of relief

くたくたな1日を今日も生き延びて
冷たいシャンパンとチーズと生ハム、
届いた本と手紙に気持ちが緩む、
感じ。

水俣修学旅行3:相思社

2024-06-21 | 一人旅たまに人と旅
そういうわけで水俣病資料館を、少しモヤモヤした気持ちで出てからタクシーで移動しました。
バスを待つ時間的余裕がなかったので今回の水俣での移動の基本はタクシー。
アプリの使えない地域だったので電話で呼ぶと毎回すぐにきてくれました。
(ちなみにわたし電話がすごく苦手なのでいつも友達がかけてくれた)
同じ人に当たったことがあって、その人、タクシー代1030円の30円をいいよと負けてくれて
それだけでも驚いたのに、2回目にその人のタクシーに乗ったらまた、たまたま1030円で
そしてまた30円はいいよ、と。
気のいい運転手さんだけど、さすがに2度も続くと悪いからと2度目は30円払いました。
この運転手さんいつも端数負けてくれてる人なのかな?

さて、向かったのはエコパークのあった海辺から少し離れて丘を上がったところにある施設で
「相思社」という水俣病歴史考証館のあるところです。

他に水俣の農産物なども売っていて、横に水俣病学習者用の宿泊施設もありました。



海からさほど離れてなくて、丘の上から見えます。

そして南国っぽい草木と海の近さが、なんだかハワイを思い出させる気持ちのいい場所でした。





歴史考証館の建物は、水俣病患者の作業所だったところで、
チッソの力の強い地元地域でh差別を受けたり阻害されたり孤立しがちな水俣病患者や家族の
拠り所を作りたいということで寄付を募り作られたそうです。

勝手がわからずうろうろしてると、相思社の方が案内してくれました。この方。


歴史考証館はここの前に見た水俣病資料館より手作りっぽい感じでこじんまりと展示してあるけど
ダイレクトに訴えかけられた気がしました。


石牟礼さんの原稿は資料館にもありました。作家の生原稿は興味深いです。
「オン・ザ・ロード」で有名な作家ケルアックのタイプ原稿を見ると
「G」を強くタイプする人なのがわかるという話を聞いたことがあります。
生の原稿はそれを書いた人の体温や指先が少し伝わる気がしますね。






猫の実験小屋。水俣病の始まりは猫でした。猫もかわいそうだったな。




相思社のサイトより「相思社がめざすもの」
水俣病多発地から丘を少し登ったところに相思社があります。眼下には不知火海がゆったりとたたずんでいます。半世紀ほど 前、不知火海に面した漁村に得体の知れない病気が発生しました。病に冒された人々は近隣の人々のさげすみの目を避けるようにひっそりと暮らしていました。 なぜ、罪科のない人々が理不尽な苦しみを強いられなければならなかったのでしょうか。
水俣病事件は一企業の犯罪にはとどまりません。便利で豊かな生活を追い求めるという、ごく当たり前とされる行為が歴史の必然として産み落とした事件でした。水俣病患者は歴史の、人間の欲望の犠牲者だったのです。
半世紀を経た今も人々は便利さ・豊かさという呪縛から解き放たれてはいません。水俣病事件は人間のあり方を根元的に問い続けています。水俣病事件の真実と意味を明らかにすることは人類の未来にとって重要な意味があります。相思社はそのために努力を続けています。