sigh of relief

くたくたな1日を今日も生き延びて
冷たいシャンパンとチーズと生ハム、
届いた本と手紙に気持ちが緩む、
感じ。

小さい世界

2024-05-30 | Weblog
家からワンマイル内に職場もスーパーもデパートも国鉄も私鉄もバス停も市役所も病院も銀行もあるので、
わたしの生活はほぼ全部ここで賄えるし、毎日同じ道を歩いて通勤しているわたしの世界は小さいけど、
なんというか今年もまた春が来て、去年より美しくて毎日感動している。
視力は年と共にどんどん悪くなってるけど、見えている世界の解像度はどんどん上がっていて、
良きことである。

近視と老眼でどんどん見えにくくなってきて、もう細密な絵も描けないし、よく見えないけど、
毎年きれいなものが増えていって、若い頃にこれくらい世界が良く見えてたらなぁ、と思う。

雑然とした道端の繁みもそれぞれ違って、違うことがわかると良さもわかってくる。
青々とした苔の上にぱらぱらと生えるスギナとたんぽぽの綿毛の配置に感心して足を止める。
椿の下に盛り上がるように迫るコメツブツメクサの群生に、かわいいなぁと立ち止まる。
線香花火のようにチラチラと咲くオニタビラコのかたまり方の面白い一角の写真を撮る。
毎年、初めてその面白さや美しさに気づく場所があって狭い世界でも飽きることがない。

日本画をやってた時に、見ると言うことの大事さを叩き込まれたはずなのに
いまだに同じ場所を見ていて新しく見えてくるものがあって、
見るということには本当にキリがないなぁと思う。
雑然とした植え込みや小さい空き地、雑な剪定をされてる街路樹の根元、
前の商店の人が道路の小さな隙間に植える花、何十年もそれらに特に目を止めずに生きてきたけど、
なんてきれいで面白いんだろうと、もう毎年毎年目が開いていくようだ。
老眼で近寄るとあまり見えないんだけどね(^_^;)
通勤や散歩の間に何度も立ち止まって、見つめながら感嘆して、
どこも痛くなくて自由に歩けてこうして小さいながら世界の美しさに浸れるのがありがたくて、
その多幸感でわたしもう死ぬんじゃないかなと思ったりするけど、いや、元気ですね。

と、4月に書いてたのに、5月になってちょっと具合が悪くなりました。もう元気じゃない。
婦人科系に痛みが出て、動くのも座るのも痛い。一日中痛いのが3週間以上続いています。
仕事は休憩しながらやってるし、毎日通勤もしてるし
見えているものは同じなのに、痛みに支配されるとあまりわからなくなる。
何かに感動するということも余裕がないとできないことなのだなぁ。
歯が一本痛いだけで世界は変わってしまうと何度も書いてきたけど
新しい痛みを味わうたびにそれを思い出します。
今は色々な予定をキャンセルして家で横になってるばかりだけど、
早く治りたいなぁ。(ちょっとまだ先が見えません)