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sigh of relief

くたくたな1日を今日も生き延びて
冷たいシャンパンとチーズと生ハム、
届いた本と手紙に気持ちが緩む、
感じ。

お任せ選書のアンケート

2015-04-17 | 本とか
北海道の本屋さんが、個人個人に本を選んでくれるサービスというのを
ネットで見ました。
1万円お任せ選書の本屋さん

アンケートに答えて、それに基づいて店主の方がひとりひとりに
1万円分の本を選んで送ってくれるというものです。
店主の方が、ひとりひとりのアンケートを読み、考え選ぶわけですから
とても時間がかかるし大変な仕事だと思います。
すごく話題になって人気殺到したので、現在は受付休止になっています。
わたしが最初見たときも休止中だったのですが、
数日後にもう一度見たら再開してて、今だ!と申し込んでみました。
その数日後にはまた休止されてたので、タイミングが良かった!

アンケートに答えるのも結構楽しかったです。
アンケートの質問は:
こんにちは、いわた書店です。嬉しい事に、注文が殺到しています。
右から左に、という訳にはいきませんので、お一人お一人を想像しながらウンウンと唸って考えています。
仕組みとしてはアンケートを送っていただき、それを元に選書してご提案いたします。既読等があれば差し替えて、その合計金額をお振込みいただいての発送となります。どうしてもお時間が掛かります、どうぞご容赦ください。

・アンケートで大切なことは、あなた様の読書暦です。重複しないためにも、これまでに読まれた本をお教え下さい。
(書名、著者、感想)
・仕事、最近気になった出来事・ニュース、よく読む雑誌
・この他選書のための参考になりそうな事をいろいろ教えてください。例えば、年齢、家族構成、お仕事の内容、これまでの人生でうれしかった事、苦しかった事等を書き出してみてください。
・何歳のときのじぶんが好きですか?
・上手に歳をとることが出来ると思いますか?
・これだけはしないと心に決めていることはありますか?
・いちばんしたい事は何ですか?あなたにとって幸福とは何ですか?
・その他何でも結構ですので、教えてください。ゆっくり考えていただいて書いてみてください。スペースが足りなかったら他の紙にでも構いません…どうかよろしくお願いします。


なかなか面白い質問で一生懸命答えると長くなったりします。
それらを読み込んでひとりひとりに本を選ぶのって、すごいなぁ。
読んだ本や好きな本は10冊分くらい欄があったのでそれだけ書きました。
この1年くらいに読んだ本少しと、好きな本から少し。
他の自分自身に関する質問に対して書いたうちから少しだけここに。
わたしにしては短く簡潔に書いたつもり。

上手に歳をとることが出来ると思いますか?
→人間的には、少しずつマシになってると思います。
 今は老いとの折り合いをつけはじめているところです。
 それにしては飲みすぎ遊びすぎな気はしますが。

・これだけはしないと心に決めていることはありますか?
→人を支配したり抑圧したりすること。自分がみじめになること。
 あと、ミニスカートははきますが、二の腕だけは絶対出しません。
 世の中には見せていいものと悪いものがあります。笑

このアンケートを送ったのが1月でした。
640人待ちで、半年くらいは待つ気でいたけど案外早く来た。
来た本については明日!

「こちらあみ子」

2015-04-13 | 本とか
町田康と穂村弘が文庫本の解説あとがき書いてたので、
何となく買ってみたらすごい小説だった。
お風呂で読んでたら止まらなくてのぼせそうになりました。
いや、すごすぎてくらくらしたのかも。
やばい!この小説やばい!と若い子のようにつぶやきながら読んだ。

物語が面白いというわけではないのです。
基本的に、あみ子のキャラの力ですね。
あみ子は知的障害や発達障害があるようで、他の人たちと違います。
家族やまわりは振り回されて、お母さんもお兄さんも壊れる。
客観的にはかなり悲惨な感じになったりして、
それは全部あみ子に返っていくんだけど、それでもあみ子は不幸じゃない。
本人は全然不幸ではないんです。
幸せと思ってるかどうかわからないけど
もし幸せでなくても幸せでないことを苦にしたりはしない。
というか、そもそもそういう概念がないしそういうことを考えない。
状況もわからないし理由も結果も関係もわからないから平気。
ある意味、純粋の塊なんですね。
すがすがしいほど純粋。
それって大変なことです、良くも悪くも。というか、主に悪い方に。
こう書いていいのかわからないけど、普通の人間側から見ると
化け物、というのに近いかも。
無自覚に無邪気に、まわりをどんどん壊してしまう化け物。
切なすぎる。
そういうあみ子のことを淡々と描いた小説です。
うまく説明できないし、この本は誰にでも薦められるものじゃないけど、
わたしは最近一番すごいと思った小説です。

穂村弘の解説を読むと、どんな話なのかよくわかりますが、
町田康の解説を読むと、どんな話なのかということよりもっと根本的に
一体どういうことなのかが、少しわかります。
町田康の解説、全部引用したいけど長いので、穂村弘の解説を少し。
(町田康の解説だけでも、みんな本屋さんで読むといいよ)
主人公のあみ子には前歯が3本無い。ありえない、と思う。だって、二十一世紀の日本女性は脱毛処理が不完全なだけでNGなんでしょう。あみ子は十年近く片思いをしている相手の苗字を知らなかった。ありえない。私は一度も会ったことのない芸能人の飼い犬の名前を知っている。
あみ子は「ありえない」の塊だ。金魚の墓の横に弟の墓を作ってしまう突き抜け感に「長くつ下のピッピ」を連想する。でも、あれは童話で、ピッピには世界一の怪力という武器があった。あみ子には何もない。………ただ「ありえない」の塊のようなあみ子を見ていると勇気が湧いてくる。逸脱せよ、という幻の声が聞こえる。でも、こわい。(穂村弘)

「ピクニック」と「チズさん」という短編も入っていますが
どちらも壮絶に切ない。いやはや。
この本で三島由紀夫賞をとったそうですが、さもありなん。
「こちらあみこ」今村夏子/ちくま文庫

「アレグリアとは仕事ができない」

2015-04-12 | 本とか
太宰治賞や川端康成賞を受賞されている津村記久子さんの小説です。

表題の小説のアレグリアというのは、品番YDP2020商品名アレグリアという
コピー機のこと。
主人公のミノベはこのアレグリアと相性が悪く
コピー機と仕事する機会が多い仕事なのに、毎回うまくいかず苛立つ。
この苛立ちの描写が、うまい。でもどんどんエスカレートして
人生全てがこのコピー機への憎しみに支配されてしまうほどのストレスになり
そこまでネチネチと腹立てなくても、とか思いながら読んでると、
後半に物語が動く時にはコピー機ではなく人間の物語になっていきます。
事件が起こり、それが収束するまでの流れは、すごく上手くて
息をつかせず読ませます。昔のジェットコースターみたいに、
ガタタン、ガタタン、とゆるゆる上がって行き、てっぺんでヒューっと落ちる。
でもどこにも、ありがちな予定調和もわかりやすい感動もなく、
いつも余裕があるようなマイペースでイライラしないミノベの先輩と、
コピーの修理に来る鷹揚な感じの業者の人と、
友情とかそういうものではないけど、それぞれがそれぞれの立場で関わることに
とてもリアリティがある。
そしてこのイライラして執着の強い性格に見えたミノベが
実際はずいぶん優しい人だったんだなと思う。
読後感はいいです。

同じ本に入ってるもう一つのお話「地下鉄の叙事詩」
満員の地下鉄の中のことを書いた小説なんだけど、この作者、やっぱり
都会のいらいらしてる人書くのうまいなぁ。うんざりするほど、わかる。笑
地下鉄の中のある時間を4人の視点から語った話だけど、やっぱりうまい。
でもここでは小説のことはもう書かない。
えっと、、、痴漢は死ねばいいのにとしみじみ思った。
痴漢の出てくる小説でした。
不快でムカつき怒りがわきでます。
わたしは驚くほど痴漢にあったことがなくて、中学から電車3つ乗って通学してたし、
満員の通勤電車で仕事に通ってた時期もあるのに、露出系数回くらいで、
触られたりしたことってほとんどない。
でもしょっちゅう痴漢にあう友達の話とか聞くと、
やっぱり痴漢は死ねばいいのにとしか思えない。
問答無用です。

解説で、作者が打ち上げの席で
「好きな駅はどこですか?」と聞いたと言う話があって、ずっと考えてる。
田舎の風情のある駅はいくつもあるだろうけど、自分の生活圏の駅ねぇ・・・。
都会のJRや私鉄の駅って、みんな同じような感じだもんな。
阪神の武庫川は川の上に駅があるのが、ちょっといいな。
街から離れた場所の小さな無人駅までいくと、きっと好きな駅ってあるんだろうけど。
考えたことのない質問をされるのって、面白いね。

「すべて真夜中の恋人たち」

2015-04-11 | 本とか
芥川賞作家、川上未映子の小説。
芥川賞作品の「乳と卵」は去年読んだけど感想書いてないなぁ。
母と娘の話というのが、なんとなく苦手だったからかな。
さて、
この主人公、こういう女性苦手なんですよね、本当は。
孤独で、なんとなく空虚で、飲めなかったくせにお酒を飲むようになって、
どんどん酒量が増えて昼間も水筒に冷えた日本酒をたっぷり入れて
持ち歩くようになった女性が主人公の小説です。

こういう人になんでか苛立つ。
その愚かさにだろうか、
自分がそういう風に愚かになれないゆえの嫉妬だろうか。
あるいは自分の中にもある愚かさだからだろうか。

校閲の仕事をフリーでするようになった主人公は
とにかくもっそりしている。
何か行動することもなければ、自分の中で考えることもない。
深く悩むこともなく、ぼんやりと、縮こまって生きてる感じの主人公。
それで本人が充足してるなら、いいんですよ。
そういうのが苦手なわけじゃないんです、それもありと思う。
でも、結局そういう自分やそういう人生がつらくて
ものすごくお酒を飲むようになるわけですよね。
そういうところが、なんだか苦手なんです。
自分の内側に対してばかり繊細すぎて、外側に対して鈍すぎる人。
勝手に傷ついては閉じこもるくせに、
自分も人を拒絶していることには気づかない人。

そういう主人公がある人を好きになるのですが、
やはり、もやもやした好きになり方で、もやもやした関係です。
ただわたしは、そういう感じは嫌いじゃない。
個人的な関係というのは、いろんな形があると思うし
もやもやしてても、切実さがあるのはわかるから、
そこは見守りたい気持ちになりました。
なのに、そこの恋愛部分に関しては、え?そうなるの?という終わり方で、
むしろ後半で、ほとんど唯一といえる女友達との
ちょっと激しいやりとりの方が印象に残りました。
タイトルはロマンチックでセンチな感じですが
この本は恋愛小説というわけじゃないんだなと思いました。

「生きることにコツというものがもしあるとするなら、それはやっぱり全面的には深刻にならないということよね」

お酒はおいしかった。顔を見て、目があって、目をそらして、それからお酒を口に含むと、三束さんとわたしのあいだにある空気とか距離とか記憶といった目には見えないものが、それこそアルコールに浸されて寝かせられた肌色の肉のようにしなやかに変質していくのがわかるのだった。

光に、さわることってできるんですか、とわたしはそのひとかけらをみつめながら小さな声できいた。できているともいえますし、できていないともいえます、と三束さんはしずかな声で言った。その息づかいをわたしは耳のすぐ近くで感じることができた。三束さん、とわたしは言った。わたしは、三束さんに、さわることはできますか、ときいた。そして手をとって、指先をしっかりとにぎった。いま、わたしは三束さんにさわれているんですか。それも、光と似ていますね、と三束さんはわたしに指さきをにぎられたまま言った。ふれるというのは、むずかしい状態です。ふれているということは、これ以上は近づくことができない距離を同時に示していることにもなるから。


引用してみるとわかるけど、ひらがなの多い文体ですね。

お弁当の本

2015-03-17 | 本とか
本屋さんで、平積みになってるお弁当本コーナーの、
人気ブロガーの弁当本を見て、
美味しそうだしきれいなんだけど、なんでちっとも惹かれないのか
そこでしばらく考えていた。

最近は滅多に買わないけど、料理本は家にはかなりたくさんあり
(100冊以上ありました。ずいぶん捨てたけど)
もう今は、料理本というのは、たまにアイデアのために買うだけで
レシピ自体はあまり必要ない感じなのでレシピ本に惹かれないし、
人気ブロガー料理本はデザイン的に落ち着いたものが少ないので
(小さい子持ち主婦対象で明るく賑やかなものが多い印象)
あまり興味がわかないという点は差し引いても、
自分の好きなお弁当本との違いはなんなのか考えました。
たとえば、わたしは「私たちのお弁当」という、
雑誌クウネルからできた本が好きなんだけど、その違いについて。


クウネルの本は多少の情報は載ってるけど、いわゆるレシピ本ではなく
お弁当とそれを作る人たちについて書かれた本です。
普通の人たち、会社員や美容師さんや販売員や書店員や自営業者や、
そういう人たちの普通のお弁当が載っていて、
それらは基本的に人に見せるためのものじゃなく、
本当にその人が好きな現実の生活の中のお弁当なのよね。
そしてその人のお弁当に対する姿勢や気持ちや感想などが書かれていて、
とにかくどこにも奇をてらったところがない。
それぞれにこだわりや好みがあってバラエティに富んでいるけど
ひとりひとりのこだわりは、その人の日常生活に根ざして物語がある。

人気ブロガーのお弁当は、まず第一に人に見せることを考えてるなぁと思う。
カラフルで美味しく栄養もある素敵なお弁当なんだけど、
飽きずに見てもらうためには
毎日工夫を凝らしバラエティに富んでいないといけない。
派手で豪華なお弁当じゃなく、日常的な普段のお弁当的な本もあるけど
それでも、毎日あの手この手で見せるお弁当をアップしてる人のお弁当たち。
それ見てると、なんだか疲れちゃうのです。
ブログで1日ひとつずつ見るのはいいんだけど、
本になって、そういうお弁当が何ページも続くと疲れちゃうんです。
奇をてらうつもりがなくても、それはやっぱり
個人的なものの欠けたお弁当だし、お弁当写真なんです。
おしゃれでセンスのいいお弁当もいいけど、
結局わたしは梅と昆布のおにぎりと、卵焼きと、ウィンナーや唐揚げと
おひたし、なんていう普通のお弁当が好きだしなぁ。

人気ブロガー10人のお弁当、みたいな本は、だから疲れちゃう。
家庭的なお料理のお弁当でも、ブロガー弁当は、
人に見せることを考えて作られていることが、どうしても伝わってきちゃう。
自分一人(か、数人の家族)だけが満足して食べる個人的なお弁当じゃなく、
大勢の目を楽しませる作られたバラエティのお弁当だってところが、
わたしには魅力的に思えないところなのかな。

個人が個人的に持っている自分のためのこだわりや好みの見える
お弁当を、覗き見るのが楽しいのです。
個人的なものが自然な形で見えるものが、好きなようです。
お弁当ってそういうものであってほしい。
人に見せるためのプレゼン本ではなく。

「サロメ」

2015-03-07 | 本とか
サロメに魅入られて、ヨカナーンの首を、
恐れながら意に反しながら切ってしまう愚かな王・・・。
なんて愚かな、よくわからない男、と思ってました。
サロメも、なんて愚かな、よくわからない女、と。
それで、
オスカー・ワイルドは「サロメ」より「幸福な王子」の方が、
とにかく哀しくて美しくて好きでした。
でも「サロメ」の面白さも、段々わかるようになってきた。
耽美ということが、やっとしみじみ味わえるようになってきたのかな。
フランス語でも英語でも読んでないけど、日本語で読んでも美しいです。

サロメに出てくる人物が、
子どもの頃はとりつくしまもないほど不可解な変人ばかりに思えたのに、
いつのまにかそれぞれ自分と同じ人間になってたのです。
いや、預言者とか、純粋で汚れない欲と残酷さとか、
普通じゃないとは思うけど、
でもそれぞれが、わたしの中では、生きだしたのでした。
わたしの生きているのと同じ世界の物語として
同じ人間の物語として。

とはいえ、「幸福な王子」はアンデルセンの「人魚の姫」と並んで
今も大好きな話です。
アンデルセンは寂しくて優しいけど、
ワイルドはもっとキレがある。
耽美ということですね。
でもどちらも、途方もない自己犠牲の話ではある。
いや、自己犠牲というより愛の話なのでしょうが。

「通天閣」

2015-02-18 | 本とか
大人になっても、いろいろと宿題があるもんです。
読書会の課題本や、映画イベントの課題映画や、コンサート前の予習や、
見たり読んだり聴いたりするべきものが常にあります。
誰にも強制されてないのにね。笑

西加奈子は、以前なんとなく買った本を読んだら、全然いいと思わなくて
(描写的にはいいと思うところは結構あったんですけど、
 若者の自意識過剰な恋愛話に付き合うのが苦痛な歳になってしまった
 というだけかも。笑)読み終わったらすぐ捨てちゃったくらいなんだけど、
映画「円卓」を見た後に、本もいいからぜひと勧められて、
読んでみたらとても良かったということがある作家です。
(ここで言う、良い悪いは小説の良し悪しじゃなく単なる好みの問題です)
「円卓」本の感想

今回の読書会の課題本は「通天閣」で、文庫本のカバーは真っ赤でいいです。
これは面白いかなぁとおそるおそる読みました。

通天閣の見える町の、世間的にはさえない人たちの話です。
男性と女性の話が交互に続き、夢のような不条理な文章も所々はさまり、
最後には収束していくものの、ドラマチックな出会いもなく、
事件とクライマックスはあるものの予定調和的な感動の大団円にもならず、
うまくできている小説だなぁと思いました。
主人公二人の、出会ってない出会い方もすごくうまい。

ただ、登場人物には感情移入も共感もできないので
いまひとつ乗り切れなかった部分はありました。
特に失恋でぐだぐだになっている女主人公、
自分の不幸はどんなにしょぼくても、
他人の大不幸よりおおごとなのはわかるけど、
その自覚のない彼女のグダグダは、小説だといえども鬱陶しい。
失恋したら、わたしだって自分には大事件で何週間も何ヶ月もめそめそするけど、
それは世界の大事件ではないとわかっているから、
死ぬの生きるの騒がないし、人に死ねとも思いません。
でもこの主人公は心の中で周りじゅうに不満を抱き、
自分が不幸になればなるほど恋人が責任を感じてくれるのではないかと思い、
飛び降り自殺を仕かけている人にも「死ね、死ね」と心の中で言う
というような子なんですよねぇ。
ああ、鬱陶しい。笑

元彼が、きらきらして尊敬できる女の子を好きになった時には
納得できずに「きらきらしてないとだめなの!?」と文句を言いますが、
いや、だめじゃないけど、そこで開き直って不幸目指すような人のそばには
よりたくないなぁと、わたしは思います。
きらきらは目指すもんじゃなく自然とそうなるものですからねぇ。
(きらきら目指す感じの意識高い系は、わたしもちょっと苦手なんだけど)
まあとにかく、
ぐだぐだと自己憐憫しない人が好きです。(わたしはする方ですけど。笑)

前半は主人公二人の生活や日常がずっと描かれてて、やや陰気で平板なんだけど
ラストのシーンは情景が浮かびました。雪の舞う通天閣。
これを映画化するなら、女性は絶対安藤サクラだな。
美人じゃなくいじけて目つきが悪い30前後の女、絶対合うと思う。
男は、寺島進かなぁ。もうちょっとカッコ悪い感じがいいかな。
大森南朋とかリリーフランキーとか?
そういうことを想像するのも楽しいですね。

でも読書会で、登場人物に共感できない話や、書かれてないその過去や、
印象的な脇役について話してたら、
書かれてないことを考えても無駄、考えなくていいのでは、という人がいて、
ええ?わたしが小説読む楽しみの多くは、共感したり反感持ったり
書かれてないことを想像したり妄想したりすることなので驚いた。
小説として上手いとか、描写がいいとか、何が伝えたいかとか
そういうことももちろん考えるけど、
個人的な視点であれこれ感想持つのが、面白いのにと思うんだけど。
作品としていい悪いだけでなく、個人的な好き嫌い持つのが、
面白いねんけどなぁ、わたしは・・・。

趣味はなんですか?

2015-01-22 | 本とか
趣味を聞かれると、いつもなんといっていいのかわからないのです。
映画はなんとなく見てるだけだし、本あんまり読んでないし
今は楽器も弾いてないし、切手も最近増やしてないし、
絵も描いてないし、写真もあんまり撮ってない。

でもこの前ぼんやりと図鑑見てるときに、
寝室にもリビングにもソファにもお店にも植物の図鑑が何冊かずつ置いてあって、
どこでも時々眺めていることに気づいたので、
これを趣味と言っていいかもしれないとちょっと思った。
図鑑見てるわりにいつまでも草木の名前覚えないんだけど。

草木や雑草の図鑑は、あまり大きくて立派なものは持ってません。
文庫本サイズや単行本サイズ、雑誌サイズくらいまでですが
見かけて、ちょっと見やすそうだったり
雰囲気があったりすると買ってしまうので増殖しています。
でもなかなか、これこそ!という1冊には巡り合わないんですよねぇ。
まだ増えそうです。

「スティルライフ」

2015-01-09 | 本とか
とある読書会の課題本だったので、池澤夏樹さんの「スティルライフ」を
20年ぶりくらいに読んだら、ほとんど話を覚えてなかった。
雰囲気は覚えてるんですけどねぇ。
若い頃読んだほとんどの本がこうなってるかもしれない。
だからって、無駄だったとは思いませんが。

さて、これは横領をした登場人物の出てくる小説で、
その人は時効の頃に全部こっそり返してまた消えるんだけど、読書会の時、
それについてなぜこんな自由人な人が、わざわざ過去の時点のことを
いつまでもひきずって、ちゃんとお金を返すのか、みたいな話になって、
みんないろいろ言ってたけど、
いや、むしろ、その人が自由だからこそ、に決まってるやん、と思った。
自由だからこそ、しがらみをきれいにしときたいんだよね。
自分の心の中だけのしがらみでも。

借りを作るのも、迷惑かけるのも、関係を作ってしまうことで、
そういう関係から自由でいたいのがその人で、
決してモラルや美意識じゃないとわたしは思った。
迷惑も関係を作る。淡い好意などよりずっと強い関係。

そういうことを全然わからない人がたくさんいて、
わたしの方がびっくりした。
自由というのは、わたしにとってある時期、
死んでもいいと思うほどほしかったものだけど
自由に渇望していない人たちって結構いるものなのねぇ。

「ロミオとジュリエット」

2014-12-30 | 本とか
連続の戯曲講座の第一回目課題は「ロミオとジュリエット」
わたしはその昔英文科の生徒だったので
シェイクスピアは結構読んだのですが(大体日本語で。笑)
「ロミオとジュリエット」だけは
なんなの、このおばかな子どもたちは!あほらし!としか思えず
今回の講座のためにもう一度読んだ感想も、ほぼ同じでした。笑

お話はみなさんご存知でしょうが、改めて読んでも
ロミオがあまりにばかで、しかも面白みもないやつで
つまんない幼稚で馬鹿な子どもの恋愛に、どーうしても興味が持てず
しぶしぶ読んだ感じ。
学生の頃の昔と違って、シェイクスピア自体は面白いと思うのです。
ハムレットもリア王も面白いし、喜劇はもっと面白い。
でも「ロミオとジュリエット」だけはなぁ・・・。
とぶつぶつ文句言いながら行ってきました。

まず年齢設定の話から。
ジュリエットは14歳になる前です。
母親もその年にはすでにジュリエットを産んでたとか言ってるので
この時代はそんな幼く結婚するのが普通だったのかが疑問でした。
まあ、そういうことが珍しくなかったようです。
宗教的に処女性がとても大事だったようで
とにかく虫がつく前に嫁にやったということのようです。
ですからジュリエットのママは、なんとまだ20代半ばということになり
そこで、ジュリエットのいとこで後にロミオに殺されるティボルトのことが
実は好きだったのだ、と言う解釈をきいてなるほどねぇ・・・。
ジュリエットママは最初の方でうんと年上の夫に対して
性的な不満ととれる発言を強気な感じでしていると読める箇所があり
それで若く健康なティボルトに恋していたのだと。ふむ。
だからティボルトの死のあと、
ジュリエットが親のすすめる縁談をいやがって父親がキレたあとも
味方だったジュリエットママが、
突然ジュリエットを突き放すようになった場面は、
ジュリエットが、そんな結婚するくらいなら死んだティボルトの横に
新床を作って下さい、と言ったその瞬間だったのだ、と。
嫉妬したということらしい。
ほう~。

あと、ロミオの仲間のマキューシオやベンヴォーリオたちの
精神的同性愛の気配や、
ロミオに比べてジュリエットが随分積極的でしかも聡明なこと、
いい脇役俳優はみんな乳母の役を演じたがること、
(結構低俗で下世話な感じなんですが、味のある演じがいのある役です)
そして最後のところで、これはジュリエットとその恋人ロミオの物語だと
書かれていて、中身は「ジュリエットとロミオ」であること、などなど
ぼーっと読んでたら見落としていることをたくさん聞いて
とても面白かったです。

戯曲とある家と賢い人たち

2014-12-29 | 本とか
知り合いの人が戯曲の講座をやりたい話をしてて
友達がおうちを使っていいですよということになり
行ってきました。

その友達は結構目立つ派手なキャラで、
わたしとほぼ同じ年の男性(美少年好きのゲイ)です。
前に、その同じ年の友達の彼氏が、わたしの息子と同じ年と聞いて
複雑な心境になったことがあります・・・笑

本職は歌人、文化人として?いろいろやってる人ですが
それだけの美意識を持ちながら
この家はなんなんだ!とびっくりする家でした、その散らかり具合が。
谷崎の世界に出てきそうな地区の一見素敵な古いお家なのですが
一歩中に入ると・・・。
猫が3匹いるので、動物の匂いがするのはある程度仕方ないのですが
いやはや、それもすごかった。猫が30匹いてもおかしくない匂いでした。
どうやって、あそこに住みながら耽美な美意識を保ってるのか謎です。
講座の主催者は5時間掃除して、やっと
一部屋分だけ、床が見えるようにできたそうで、よれよれのどろどろでした。
思わず、次はうちの店でやりましょう、
掃除しなくていいですからと言いました。笑
そしてなんか帰宅後、大体の家より汚いはずの自分の家が
きれいな気がして困ったくらいでした。
いやぁ、けっこう衝撃的でしたねぇ・・・
噂以上、ききしにまさる、とはこのことです。

さて講座と言ってもほりごたつで(布団は汚すぎたので仕舞ったそうです)
何か食べたりしながら和気あいあいとやる感じで気楽な感じです。

この前の読書会もそうだけど、わたしの100倍くらい本を読んでる
賢い人たちの中に入る時は、いつもドキドキ緊張して
何もわからなかったらどうしようとびくびくしながら行くのですが
よくわかったのは、賢い人たちは別にこわくないということです。
わからない話も、まずしません。
もちろん、わたしより賢い人たちなので、難しい言葉も使うし
賢そうな話の仕方に、あー、こういう風にいえばかっこいいなぁと
馬鹿なレベルで感心したりするけど、
哲学用語振り回されなければ、大丈夫ということがわかって、ほっとしました。
そして、わたしが言いたい事を言いたいように言っても
大丈夫と言うこともわかりました。
(もう少し賢そうにしゃべれたらいいんだけどねぇ・・・笑)

と、講座の中身については明日書きます。

ベストセラーの変遷から

2014-12-26 | 本とか
→「慶応2年から平成26年までのベストセラーをリストにしてみた」
というリンクを見ました。(クリックするとリンク先に行けます)
>現在に近づくほど、これまた私見だが、
>ベストセラーとして並ぶ本の惨状は目をおおわんばかりに思えてくる
と書かれていて、まあそんな感じはするけど、ちょっと考えてみた。

今の若者が昔より馬鹿になったとかダメになったとかわたしは思わない。
(逆によくなったとも思わないけど)
傾向は違っていてもダメな者の割合って、大きくて長い目で見ると
そんなに変わらないんじゃないかといつも思う。

だからこういうリスト見ても、特に人々が馬鹿になってるとか
低俗化・愚民化してるとか思わないんですよねぇ。
昔は一握りの人しか読まなかった本というものの裾野が広がって、
字の読めなかった人たちも本を読むようになり、
その結果バラエティが(主に下方にだとしても)増えた
ということなんじゃないかと。
昔いい本を読んでた層は、今も同じくらい、
やっぱりいい本を読んでるんじゃないのかなぁ。
昔の世界のことはよくわかりませんが、
日本や、地球の上のたくさんの人たちのことを、
たとえば数百年、数千年前の流れの中でぼんやり俯瞰するように考えてみても、
大衆のレベルってそんなに上下してないんじゃないかと考えてます。
ただ情報量はすごい早さで変化したので、
その結果何かが変わって行ってる最中なのかもしれないとは思うけど。

わたしは人間の集まりの人類というモノに対して
特に楽観的ではないけど、悲観的でもないということかなと思います。

「西瓜糖の日々」

2014-12-11 | 本とか
リチャード・ブローティガンの「西瓜糖の日々」が
自分の店の本棚にあったのでぱらぱらめくる。
本棚にあったのは文庫本だけど、最初に買ったのは文庫じゃなく、
高校生のとき、元町の古本屋さんでだった。
鴎外訳の「即興詩人」を買ったときだ。
何となく覚えてる。
その頃は古本屋さんにもよく行った。

「西瓜糖の日々」は当時高校生の自分になんか、ぴったりきて、
西瓜糖という言葉が自分の中でしばらくブームになったけど、
その後読んだブローティガンの「アメリカの鱒釣り」は全然ぴんとこなくて、
「愛のゆくえ」は面白かったけど何だか鼻についた。
それで長い間読んでなかった。

若い頃さらさらっと一気に読めた「西瓜糖の日々」を、
ぱらぱらめくろうとするのに、なんだか時間がかかります。
読むのが遅くなったのも、頭が悪くなったのもあるけど、
読み方がかわったんでしょうね。
行間にいちいち立ち止まるから。
ちょっとまじめに味わってみよう。

自分は、詩も若い頃よりゆっくり読むようになったけど
詩のような散文が、ますます好きになってきました。
高校生の頃から30年経ったけど
まだ楽しめるって、いい本だなぁと思う。

「手というのは素敵なものだ。とりわけ愛し合ったそのあとの手というものは。」

「文学作品の翻訳は学問的でもないし、批評家の仕事ともちがう。原作者に身を寄せるようにして、ひとつの言語からもうひとつの言語に移す作業をしているとき、それは書くという作業にかなり近いこともある。けれども、なんといってみたところで、作品はすでにそこにある。だから翻訳者に持てるのは関係だけなのだ。/訳者の藤木和子さんあとがき)
「原文を読む必要を感じない……言葉だけでその都度その都度危うい現実性を築いていくブローティガンの文章の、いわば快い頼りなさが見事に再現されている」と柴田元幸に書かれた、いい翻訳。

海外文学離れ?

2014-11-24 | 本とか
なぜ海外文学は売れないのか? もうすぐ絶滅するという海外文学について
このリンクを読んでいろいろ考えました。

文学だけじゃなく洋楽も以前に比べてあまり聴かれないようになってしまった。
わたしの若い頃は読書と言えば海外の翻訳書、
映画と言えば洋画、
音楽と言えば洋楽のほうがポピュラーだったんじゃないかな。
なんでこうなったのかな。

和洋問わず本自体のマーケットが小さくなってることも考慮するべきですね。
このブログはそこがちょっとごっちゃになってる感じ。
本をあまり読まない人には海外文学のほうがいくらか敷居が高い気がするのは
仕方ないようなので、本読みが減ったから
海外文学読みもそれ以上に減ったということだとわたしは思うけど、
日本の文学ををもりもり読んでる人になら、
海外からのよい本を薦めるのはそんなに難しくない気がします。
(このリンクで薦めては行けないと書かれた「百年の孤独」も、「ユリシーズ」も
 ドストエフスキーも、本読みになら薦めていいと思う。
 もっと手強い日本文学もいくらでもあるでしょ。)
海外文学を読まないんじゃなくて、日本の本でもラノベと話題ベストセラーと
自己啓発本以外の本を読まない人に、何をすすめるかというのは、
また別の問題で、そっちのほうがうんと大変なことだよなぁ。

アメリカでは出版されてる本のうち翻訳書はほんの3%だと聞いたことがある。
世界が英語中心で英語で出版される本が多いというのもあるけど、
大きな国でも大きな国だからこそ、
それぞれ人々の世界は小さくて外国というものが遠いのかなとも思う。
今の日本もそれなのかなぁ。考えさせられます。

「人質の朗読会」

2014-11-23 | 本とか
朗読会というの初めて行く前の夜に読んだ本。
小川洋子は昔何か2冊ほど読んで
何か苛立つ部分があって、その後読んでない作家ですが
この本は誰かがいい感じにほめてたので買ってあった。
久しぶりに読むと、何にいらだったのか思い出せない。
小川洋子に苛立つことがなくなったのは、彼女の小説が変わったのか
わたし自身が変わったのかわかりませんが、
楽しく読みました、楽しい内容ではないんだけど。

新潮社クレストブックスの「旅の終わりの音楽」という長い小説がありますが
それにちょっと似た構成だなぁ。
「旅の終わりの音楽」はあのタイタニック号が沈んだ時に、
最後まで船上で演奏を続けた楽士たちの、それまでの人生を描いたもの。
クライマックスに向かってひとつに収束していくような感じではなく、
それぞれの別々の人生を記録的するように、淡々と描かれた小説で
読み終わると、ささやかな人生をいくつかのぞいただけなのに
大きな感動のある素晴らしい小説でした。

「人質の朗読会」は、その本を思い出しました。
外国で反政府組織の人質にとられた人々が、長引く人質生活の中で
各自が自分のことを書き話してたものが、
実はこっそり録音されてて、それが見つかったという設定で
その内容が書かれた本です。
たまたまひとつの場所に集まった人々の
それぞれの人生(混じり合わないことも多い)を、それぞれに書く形式。

昔友達がPodcastをしてて
ラジオ的だけどラジオより小さいメディアは好きだなぁと思ったことも
少し思い出しました、脈絡ないけど。

「自分の中にしまわれている過去、未来がどうあろうと決して損なわれない過去だ。それをそっと取り出し、掌で温め、言葉の舟に乗せる。その舟がたてる水音に耳を澄ませる。なじみ深い場所からあまりにも遠く隔てられた、冷たい石造りの……廃屋に、自分たちの声を響かせる。」『人質の朗読会』