自分の気が済むのが一番大事、って言ってくれて
なんかスッキリした。
自分で選んだ自分の失敗を自分でできるところまでやる。
仕事も恋愛もさせてもらえなかったししたくなかったのに見合いで結婚させられたし、
自分で何かを選んで失敗する自由もなかった昔のわたしに、
今の不様な自分を見せたい気がする。
もしかしたら羨むかもしれんぞ。その不様さ。そのグダグダさ。そのダメダメさ。笑
犬に食われるほどではないけど、自分の失敗を選べるくらいには自由になったよ、と
昔の自分に教えてあげたいわー。メメントモリ。
昔、憧れるような才能を持っていた人が、結局その道には全然行かず、
就職をしてその時々の趣味やお稽古を楽しみながらもう30年も会社勤めをしているのを見て、
いろんなことを考える。
若い頃はなんて勿体無いと焦れるような気持ちがあった。
その人にもあったのだろうか。
わたしにあんな才能があったならなぁと思うけど、
日本画をやってた時にそういう才能は身につきはしないけど、
長くやって最後に残るのは根気強さだなと思うようになった。
下手でも誰よりも良く見て丁寧に描き続ける人の絵は本当に良いし
そういう絵を描きたかった。
線だけはどうにもならないけど。
一本の線を引くだけでも生まれつきというか、
才能の差はある。色やデッサンや構図は割となんとかなっても、線とセンスはなぁ。
でもその才能に振り向きもせず、会社員をしながらその時々の趣味を楽しんでいる友達の生き方を
わたしがどうこう言うものでもない。
そしてわたしも年をとってもう情熱や「好き」を支えるエネルギーがないし、
それがまたほしいとも思わない。目も悪くなり若い頃のようによく見えないし手もすぐに疲れるし、
頚椎椎間板の問題もある。
でもだからこそもうもっと遠く、もっと上手くと苦しむことなく、
単純に楽しめるようになるといい。
この前、二千円くらいのキラキラする指輪をつけて出かけたら人に褒められて、
それからその人の指輪の話を聞いた。
子供の頃近所の駄菓子屋さんでくじを引いて当てるどうしても欲しい指輪があって、
何度やっても当たらなくて、指輪が残り少なくなった時にお母さんに頼みこんで
残りのくじを全部買ってもらってやっと手に入れた話なんだけど、
その指輪をそれから半世紀近く経った今も大事にしてると聞いて素敵だなぁと。
いい話。
人が何かや誰かを大事にしてる話はなんでも尊いなと思う。
大事なものはたくさんある。
猫と息子はもちろんだけど、自分の家も古いソファも
いくつかの指輪も東南アジアに住んでた時のバティックも
ハワイで買った豚のぬいぐるみのピエールも
今の恋人や昔の恋人にもらったこまごました物も、
ピアノもバイオリンも描いた絵や作った物も。たくさんありすぎて困る。
新しい自転車も。本も絵の具も、小さい銀の櫛も。
大事なもののことを考えているだけで幸せになるね。
来年は大事なものを大事にしてよく考える年にしたいです。
馴染みの店では最初の一杯以外は大体店の人のおすすめを飲む。
適当にその時の気分や好みを伝えることもあるけど、変化球も受け止めます。
まあ、好みがそんなにうるさくなく、なんでも飲むので。
緊急事態宣言が明けて少しして、近所のバーに2か月ぶりとかで行った時、
マスターも店を開けられて嬉しそうだった。
外からこの小さいバーに入ったときに、
逆にどこか閉じ込められてたところから娑婆に出たような、広々とした気分になりました。
付き合ってる人が無類のバー好きで、 自分自身は特にバー好きなわけではなくて
彼に付き合ってるだけのつもりでいたけど、こんなに長くバーに行ってなくて
久しぶりに行くと自分も結構バーのカウンターが好きなんだなぁと思った。
その時はまだ時短でバーも9時までだったけど、
緊急事態宣言が長すぎて感覚がおかしくなってて、
9時まで飲める!とうれしくなっちゃうよね、とマスターも言ってたけど、本当そうだな。
その後ゆっくり飲めるようになりましたが、ずっと続くといいなぁ。
そういえば、わたしはバーにひとりで行くときはバーテンダーとちょっと話すくらいがよくて、
基本的に静かに飲んでたいんだけど、彼はバーテンダーでバーを選ぶ。
だからバーテンダーがよその店に行ったりするとその店について行く感じなのです。
わたしはまずインテリアや雰囲気、静かさ、それからバーテンダーで選ぶかな。
お酒が美味しく作れないとダメなのは同じだけど、彼ほど気難しくなくて、
面白いボトルや珍しいボトルがなくても、ちゃんとしたグラスと氷できちんと作ってくれてたら
それ以上うるさいことは言わず美味しく飲めます。