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sigh of relief

くたくたな1日を今日も生き延びて
冷たいシャンパンとチーズと生ハム、
届いた本と手紙に気持ちが緩む、
感じ。

ゴッホの絵を汚す人たち

2022-11-09 | Weblog
→「人新世」の斉藤幸平さんの記事を読んだ。
そのうちリンクが切れた時用に書いおくと、環境活動家が気候変動対策が進まないことへの抗議活動として、
120億円以上するゴッホの名画にトマトスープをかけたことに対しての記事でした。
そこで斉藤さんは
>「礼節のない人たちですねえ。主張があるなら訴える方法はいくらでもあるのに、
>すぐ直接行動に出る。精神の「浅さ」を感じさせます」
という批判に対して異議を唱えている。
マジョリティー側が耳を傾けないといけないし、学ぶべきであると言ってる。
一方で、環境や気候正義を唱えるなら人権問題を無視してはいけない、連携するべきとも言ってる。
いちいちもっともだ。

スポーツに全く興味のないわたしは、プッシー・ライオットがワールドカップに乱入した時
彼女らを擁護する側に立った。
スポーツ選手は命をかけてるのにと言い張る友達とは意見が食い違ったし、
才能があって努力もしてきた世界的スポーツ選手が試合に命をかけるのと、
プッシー・ライオットの反体制の人たちが社会のために命をかけるのとどちらが上かと
比べたくはないけど、結局わたしはプッシー・ライオットを支持した。
目的が手段を正当化するとは言えないと思ってるし暴力にもテロにも反対だけど、
こういう活動家の人たちのおかげで女性は参政権を持つことができて、
差別を差別だということができるようになってきたのだし
(いや、いろいろと道半ばですけど、と在日で女性のわたしは言っておく)、
わたしにはこの人たちを完全に否定することはできない。
その時点では他に方法がなかったのだ。十分に他の方法も試した後なのだったのよね。

だからこれ、どんなに美術を愛するわたしでも、ゴッホの絵が汚されるのに耐えられないと思うわたしでも
このリンクの斉藤さんの意見に賛同したいと思ってます。
少なくとも「良識」「穏健」「善良」な市民というきれいで安全なところから
活動家を非難したり馬鹿にして見下したりする側にはいたくない。
それは自分だけなんの痛みも引き受けずに守られたところから発する言葉だから。

切実さという点で、ゴッホに近いのは、一円も手にすることなく死んだゴッホの絵の
今のすごい値段にひれ伏す人たちより、ゴッホの絵にスープをかけた人たちの方だろうから。
ゴッホにはごめんよと思うけど、ゴッホにしたら今の自分の絵の評価自体びっくりだろうから、
絵を汚されて怒っても、ただ次の絵を描くだろうと思う。
そうじゃない?ゴッホよ。

生活力

2022-11-04 | Weblog
外食はコロナ以降だいぶ減って、代わりにバーによく行くようになった。
たまにちょっと良いお酒も飲むけど、自分のインスタを見ると基本的に食事は家で自炊で
倹しいものを簡単に調理して食べている日がほとんど。
どれも美味しく食べてるし、家計管理力はわりとある方だと思う。
今はそんなに切り詰めなくてもよくなったので、必死の節約とかはしてないけど、
それでも冬には電気代のために暖房せずにたくさんたくさん着込んで、
お風呂で温まって早く寝る、とかは相変わらずやってます。
1200円のセーターと400円の古着のスカートを着てたりする。

いざとなったら切り詰めてもっと節約しながら、それなりに楽しく生きていく生活力があってよかった。
人生の初めから仕事をさせてもらえないまま来たせいで、
結局わたしに甲斐性があったことはなくて、たくさん稼ぐのは今も無理だからね。

簡単でも美味しいものを作って家で飲むのが好きなのは、生活をちゃんとしてる安心感もあるかなと思う。
大丈夫、わたしは大丈夫、と思えるから。
毎日お風呂に入って本を読んで清潔にきちんとしてて、美味しいものを作って美味しいワインを飲んでたら、
酔っ払おうがなんだろうが、全然大丈夫やん、って思えるよね。

たまにあまりにダウナーな時に、もうだめだ、友だちなんて一人もいないしという気持ちになったりするけど
わたしが、友達なんていないとやさぐれそうになると、
なにを言う!と憤慨してくれる友達が、ちゃんといることも忘れてはいけない。

お金はある方がいいけど、あまりなくても楽しく過ごす能力があるし、
その上にあるといいのがお金かなと思うと、恋人というものも同じかなと思う。
いると素敵だけど、いなくてもひとりで楽しく生きられて、だけどその上にいるといいのが恋人かなと。

一人の豊穣

2022-10-31 | Weblog
友だちが仕事の取材でとある島に行ったんだけど、そこは前の恋人が行きたいと言ってた島で、
いつでも一緒に行けたのにねぇと思う、少なくともわたしはいつでも行けたよ。
彼はわたしを大事にしなさすぎたせいで、結局一生行かないかも知れない。
でもわたしは行きます。ひとりで自転車持って行く。
人の顔色を窺わず、自分と自転車の機嫌だけを取る。そりゃ楽チンだ。

いいこともたくさんあったのに、何を思い出しても恨みごとになってしまって
下書きに沈めてしまうけど、消えはしないのよねぇ。

ひとりならよかった、一人の方がラクだったのにと泣きながら過ごした日々を上書きするように、
宿を予約した。
ひとりの豊穣を味わい尽くす。
ひとりの豊穣をふたりで3人分、あるいは4人分にできる人しかもういらない。

理解のいらない関係もあると思うけど、わたしはそれは難しい。
まずコミュニケーション、理解。それから思いやり。
情熱や恋情やリビドーとかを軽視はしないけど、
それは始まりにはなるけど続きはしないし。
とにかく理解。全部とか言わないけど、まず理解。

3行日記

2022-10-25 | Weblog
何か新しいことをはじめたいと思うとき、いつも思い浮かべるのが語学だけど、
英語も韓国語も忘れたし、同じことは変わり映えしないしと避けてた。
でもまたフランス語でもやってみようかなぁと思ったのは
インスタで見かけたフランス語講師の人の、フランス語で日記を書いてみたらという言葉。
最初は、書けるわけないでしょとスルーした。
わたしのフランス語では簡単なことを書くのも調べながら大変な時間も労力もかかるし
そんな大変な思いをして時間をかけても、間違いだらけの幼児の話すことくらいしか書けない。
続かないし楽しくないし意味ないよね、とまず否定的に考えたものの、
あ、でも今は無料の翻訳ソフト先生が何人もいるじゃないか!とひらめく。
グーグル翻訳、DeepL翻訳。最近の翻訳ソフトは昔に比べて驚くほど優秀だ。
じゃあ、日記を書いて翻訳は翻訳ソフト先生にやってもらえば?
わたしは今まで語学をやるときは基本的にきっちり文法をやりながら覚えていったけど
なんかとにかく初めてのことがしたいんだから、フランス語の数行日記を
翻訳ソフトに任せて書くのはどうかな?それなら続けられるのでは?と思いついたのでした。

フランス語は第二外国語として一年やった程度だしそれもすっかり忘れてるけど、
どこに行った、何を見た、何をしたみたいな簡単なことを数行だけ翻訳ソフト先生に訳してもらう。
簡単な文章だから書けなくても読むと大体わかるし
似たような行動をすることが多いので、そういう日が続くと自然に覚える表現もあるでしょう。
映画を見たとかワインを飲んだとかギャラリーで作家と話したとかは、
繰り返し使う表現だからすぐ覚えるのでは?つまり身近な表現から覚えていけるし、
翻訳ソフト先生が読み上げもしてくれるからシャドウイングもできる。
文章3つくらいならぼんやりと覚えられる。

大人の語学は文法が近道だと考えているし、テキスト見ながらちゃんと覚えていくやり方できたけど
フランス語は別にそんなに上手くならなくて良いから、ただ楽しくてするだけだから、
今回は何もきちんとせずに、ざっくりわかれば良いかという気持ちでやってみることにしました。
大学生の時は、冠詞や動詞の変化や時制、名詞の男女やそれに合わせた変化など、
細かいところもできるだけきちんきちんとと覚えていくタイプだったのですが、それはやらない。
大体でいい。

これは数年前にフランス後で絵本を読むという講座のとても面白い経験があったから考えたことです。
講座を聞くだけのつもりで行ったらフランス語しか話せない先生から突然自己紹介や会話を容器されて、
最初は焦りまくったものの,後半になって絵本を見ながらあれこれ聞かれてるうちに
段々と言葉が自然に出てきてすごく驚いたのでした。
冠詞はほとんど覚えてないのでなんとなく嘘八百で、時制や動詞の変化も雰囲気で、
間違いだらけの当てずっぽうでもシンプルな文なら結構通じたのでした。
あと知らない単語を無理矢理英語から類推したりしても半分くらいは通じて、すごく面白かった。

なんだかんだ言っても文法の基礎の基礎は忘れてるにしても何度か勉強してはきたので、
日常の自分の生活の言葉を覚えながら思い出していけばいいかなぁと。

何か変わったこと、やったことないこと、と考えて、
社交ダンスやってみたり山や自転車乗ってみたりして、どれも楽しいんだけど
やっぱり語学が楽しいな。結局語学が好きなのですねぇ。上達はしないけど。
もっとやったことない言葉でもよかったけど、とりあえず多少の覚えのある言葉で3行日記やることに。
(次にやりたいのは手話です。ずーっとやりたいんだけど中々具体的な行動ができなかった)

Après le travail, je portais un yukata et allais écouter le rakugo de Danshun.
大体毎日Après le travail (仕事の後)から始まる。「浴衣を着て談春の落語を聞いた。」

J'ai fait du vélo jusqu'à l'aéroport d'Itami. C'était très chaud.
L'aéroport d'Itami possède une cave. J'ai bu du vin au bar à vin là-bas.

「伊丹空港へ自転車で行った。とても暑かった。」
「伊丹空港にはワイン醸造所がある。そこのワインバーでワインを飲んだ。」
あまりにしょっちゅうJ'ai bu du vin (ワインを飲みました)という言葉が出てくることに気づく…
この短い繰り返し出てくる文で、複合過去と部分冠詞を思い出せましたね。

Je suis allé chez le dentiste pendant la pause déjeuner.
Pour le dîner, j'ai préparé et mangé du pad thaï et bu du vin.
Le soir, j'ai regardé le film Jurassic Park sur Amazon Prime.

「昼休みに歯医者に行った。」
「夕食にパッタイを作ってワインを飲んだ。」
「夜にはジュラシックパークの映画をアマゾンプライムで見た。」

DeepL先生やGoogle先生の翻訳だけど、なんかおかしいなということも時々あって、
そいういうときは元の日本語を変えます。
どれだけ間違いなくフランス語になりやすい日本語を作るかで、
普通は日本語では抜かす主語もちゃんと書くし指示代名詞も書く。
日本語としては不自然な日本語を入力するけど、それも外国語で考える練習でもある。

そして一度勉強したことのある人用のテキストを買って、ゆーっくり見てます。楽しいな。

洗濯機の故障

2022-10-23 | Weblog
35分の洗濯に80分くらいかかって、洗濯機どこが悪いのかな?と取説を見てみたけど、
どうも洗濯機が壊れた気がした。

電化製品が故障するのが本当に嫌いだ。
洗濯機は必需品だけど、エアコン、冷蔵庫よりマシかな。
真夏のエアコンや冷蔵庫が壊れたらわたしも猫も死んでしまう。。。

洗濯機なら、徒歩15分でコインランドリーはある。徒歩7分で母の家がある。
それに本当に困ったらお向かいが親戚なので、洗濯機の故障はずっとでなければ死活問題ではない。

で、呑気な気分ですぐに来てもらえると思ってた徒歩3分の電器屋さんに電話したけど断られて慌てた。
今忙しい時期なので無理ですと言われ、いつでも何日か先でも何時でもいいんですけどと言っても
それでもちょっといつになるかわからないので無理なんですって断られて、
それって忙しいとかじゃなく、とにかく点検整理をする気はないってことよね。。。
うぅ。ここで買った洗濯機じゃないけど、もう古くなってきたので
見てもらったあといっそ買い直す気満々だったのになぁ…

洗濯機は給水にどんどん時間がかかるようになって壊れたのだけど、脱水はできるので、
慌てて新しいの買わなくても普段の服やタオルは手で洗えばいいか、と
100均で大きめの洗い桶と小さい洗濯板を買いました。
修理してくれるところを探すのに尽力するのではなく、なきゃないで何とかする方向に行きがちなわたしは、
十年以上前に炊飯器が壊れてからずっと鍋で炊いてるし
電気の安定器がおかしくなってから電気つけずにリーディングライトで凌いです。
洗濯機が直ったら、このタライは猫のベッドになるかな?
ないものは無理しないで、不便は我慢しながらなんとかする、というタイプのようです。
元々生活に余裕がなくて、いろいろ我慢したりあきらめたるするのに慣れてるからねぇ。

結局、近くのエディオンで手配してもらって修理屋さんに来てもらいました。
15000円くらいで直ったので、もう数年使うことに。
一人暮らしの洗濯機は小さいものでいいし、洗い桶と洗濯板の生活も悪くないかな?と覚悟したけど
無事に直ってよかったです。ボタン一つで洗濯できて、その間他のことができるってなんてラクチン。
改めて家電製品のありがたさを思う。

もうからっぽじゃない

2022-10-19 | Weblog
20代は家に閉じ込められてお見合いばかりさせられて過ごし、
30代のほとんどをマレーシアで駐在帯同家族の専業主婦として過ごし、
日本に戻ってきた40歳のときのわたしは40年生きてきたことがまるでなかったみたいに空っぽで、
人の奥さんと子供の母親というだけの人間だったけど、そこから20年近くの間に
人並みに世の中とも関わりを持つようになって、自分の名前を取り戻して、
今はもう人と話すときに自分がからっぽすぎて困ってしまうこともあまりなくなった。
いまだに別に全く何者でもないままなんだけど、
大事な人たちが大事にしてくれるようになって、尊重されるっていいことだなぁ。

ひとりの人間として尊重されるって、親からも元夫からも元恋人からももらえなかったことだけど、
友達や知り合いはそれぞれの関係に応じて尊重してくれていて、
実際のわたしよりよく思ってくれてる人もいて、自分の名前と尊厳を取り戻せてよかったなとしみじみ思う。

ネットもSNSもほとんどなかった時代に、8年東南アジアで子育てだけして日本に帰ってきたとき、
本当に困ったのよね。
みんなどう育ってどう働いてどう生きてきたかが連続して続いてきてあるのに、わたしは10年ほど空白で
その前も檻の中でからっぽだったし、昨日産まれたばかりくらいの困り方だった。

Facebookの過去の今日というのを毎日見ると、その後の人生を復習してるみたいで面白い。
間違いも多かったけど、そこから自分の人生を少しずつやり始めたんだなと復習してる感じ。
今現在の毎日もまた、未来に復習することになるんだろう。気持ちいい復習になるといいな。

お酒とタバコと猫

2022-10-18 | Weblog
今日は休肝日。今週はまだ1日しか飲んでない。
でも前はすごく楽しい時にだけ飲みたくなったのに、今はわりと毎日飲みたいので、
気をつけなきゃなぁと思う。
自分はいろんな人にいいように支配されてて生きてきたけど、
モノにまで支配されたくないのよね。依存するのって支配されることだから。

今までに煙草を結構たくさん吸ってた時期もぽつぽつとあるけど、
今は、とてもとてもつらいことがあった時と、煙草を吸う人と飲む時に少し吸います。
このひと月では10本くらい吸ったかな。0の時もあるしもう少し多い時もある。
でも習慣にはしない。煙草に支配されたくないから。

お酒や煙草など依存しやすいものをわりとコントロールして生きてこれたので
あまり心配してなかったけど、
最近はほんとにお酒が美味しくて困るので、もっと気をつけようと思ってます。
煙草も喘息によくないので基本的にはやめてるし。
このように依存に気をつけているわたしですが、
猫にはどっぷり依存してます(^_^;)
猫がいないと無理。猫がきれたらしむ。。

醜い子

2022-10-15 | Weblog
今日わりと真面目に仕事してスッキリと帰ってきたのに、映画を見てどよーんと沈んでしまった。
映画は家族もののオムニバスのハートウォーミング系だったんだけど。

父の支配と抑圧のことはあちこちでよく話してるし書いてるけど、
子供の頃に母がわたしにだけ毎日ひどくきつかったことも、何十年ぶりかで思い出したのでした。
どんな風に毎日怒鳴られ怒られていたか思い出すうちにつらくなった。
父がひどすぎて母のことを忘れていたんだなぁ。

今は母とはごく普通に仲良くしてる。
母は自分が毎日弟たちではなくわたしにだけ怒鳴り当たっていたことを全く覚えてない。
もういいんだけど。恨んでないしそもそも長い間忘れてたし。
アホだの馬鹿だの不細工だのデブだの罵り言葉以外に人格否定もよくされてた。
汚い子いやらしい子と吐き捨てるように言われたことも何度もあったなぁ。

母も仕事と育児で疲れてたんだろう。
帰宅するとまずわたしに、洗い物をしてない、洗濯を取り込んでない畳んでない、と
すごい勢いで怒鳴った。弟たちにはもちろん何も言わない。
わたしがひとりでお茶やおやつでも食べてると、弟たちにしてあげずに自分の分だけ作って
本当にいやらしい子自分勝手な人間と罵られた。

そういうことを少し思い出させる映画だったのです。
ハートウォーミング系映画なんですけどねぇ。笑

熊のとよと熊の絵

2022-09-22 | Weblog
去年だったか、能勢の妙見口のあたりの軽い山歩きの場所はないかと
何かのチラシで見た高代寺への道を歩いたのですが
その時は長い石段の階段に疲れて高代寺まで辿り着いただけで
よろよろと帰ってしまった。

参道までは緩やかで気持ちのいい山の中の道なんですけどね、参道の階段はしんどい。
で、高代寺について奥に熊の家があるような標識を見たけど
まさか本物のクマがいるとは思わず、何かの施設の名前かなと思って
見もせずに帰ってしまったのでした。
でも後で調べると、なんとそこには本物のツキノワグマがいたのです。
近くの山で罠にかかって捕まったツキノワグマの男の子。
お寺としては殺生したくないということで世話をすることになったようです。
名前は、豊能町の「とよ」。今で12歳くらいかな?もう大人ですね。

それで後日もう一度登って行って、やっとそのツキノワグマに会ったんだけど
このとよが今まで動物園で見たどのクマよりきれいで
なんともかわいくて、素敵な動物だなぁ!とすっかり好きになってしまった。
ツヤツヤした黒い毛並み、やや小柄でコンパクトな体、小さな耳、つぶらに光る目。
なんか好きになりすぎて、寂しい時に「とよ」とつぶやくとほっとするくらい。笑


そしてこの夏、知り合いの大好きな画家の個展のお知らせをもらったんだけど、
送っていただいたフライヤーに黒い熊の素描を見て、あ、とよ!と思って、

真夏の暑い日、初めての駅で降りて初めてのギャラリーに汗をかきながら浴衣で行きました。
そこはすごく素敵なギャラリーで、熊や馬の素描がとてもしっくりくるスペースになっていたけど
わたしのほしかったとその絵はもう売れてて残念ながら買えませんでした。
画家の忠田愛さんと熊の作品の写真だけ撮らせていただいた。

その熊は北海道のヒグマだそうで、ツキノワグマのとよとはずいぶん違うんだけど
熊ってなんだか厳かで尊い生き物よねぇという話を画家として帰ってきました。
他にも馬の絵もあって、馬もやはり尊い生き物ですね。
いや、どの生き物も尊いんだけど、そう思えるかどうかは個人差かな。

とよの絵は買えなかったけど、とよにはまた会えるので
時々会いに行こうと思います。参道の石段大変だけど頑張る。

怒りにまかせて人を傷つける

2022-06-19 | Weblog
親しかった人が何かでわたしに怒った時、その怒ったこととは関係ない別のことを持ち出して、
バカかなと心のなかで思ってたとか、見苦しいとか言われたことがあって
そう思われてたことよりそれをわたしに言うことで
故意にわたしを傷つけようとしたことがショックだった。
ばっちり、その人の狙い通り傷ついた。

わたしも怒って相手を傷つけたくなることはあるけど、いつも踏みとどまる。
それは相手のためでもあるけど、何より自分の矜持が自分を押しとどめるのです。
だけど、怒りのままに言うべきでないことをわざわざ言って
親しい人を傷つけられる人もいるんだなと、その人といて知った。

怒りとの付き合い方は人それぞれだけど、自分でコントロールできないほど怒るとき、
わたしは自分の外ではなく中を嵐にして、
その嵐の一番尖った危ない部分は外には出さないし、人には向けないようにする。
親しい人からの悪意ある侮辱や誹謗は、一度言葉にされたら取り返しがつかないものだから。
取り返しのつかない傷を人につけるほどこわいことはないと思ってる。
でも、その嵐を相手にぶつけてしまえる人もいるのね。



ストリーミングと情報量

2022-05-26 | Weblog
情報量が多いとパニックになって何も頭に入らないので、
大きな本屋さんとかは苦手で、とりあえず棚を決めてそこしか見ないということにしないと
何も見えないで終わる感じになってしまうのですが、
多分それと同じことで、今の世の中のストリーミング主体の音楽の聴き方も超無理で、
膨大な情報の中からなんでも選んで聴けるということになるともう何も耳に入らなくなります。

それでもうクラシックしか聴かないことにして少し落ち着いて、
最近は音楽そのものを聴かないようにしてさらに落ち着いているのだけど、
音楽自体はもちろん嫌いじゃないので、同じ場所で人が聴いてるのは楽しく聴きます。

息子が家にいるとずっと音楽を何かを流していて、わたしの知らない若い人の音楽で、
ぼーっと聴き流しているのだけど、そういうのは面白いです。
自分で選ばないでいいので情報量の前に立ち尽くして茫然としないでいいからかな。
この前の帰省の時も多分みんな知ってるけどわたしだけ知らない有名人の歌とか聴いていました。
紅白に出てるような人は、名前だけは聴いたことがあったりする。
でもテレビを持ってないので、ほとんどわからなくて、それもいいです。

エネルギー

2022-05-10 | Weblog
自分について、昔よりよくなってるところも確かにあって、遠くへ出かけることの敷居が
50歳になる前より格段に低くなって変な場所にも頑張って行こうとするようになって、
行きにくいだけでめんどくさくなってた過去の自分よりは
ずっと良くなってるということを思い出した。

生きるエネルギーも楽しむエネルギーも少ない人間なので、
何かをする前に立ちはだかる「めんどくさい」にやすやすと負けて引きこもる人生をしてきたけど、
今は少ないエネルギーを節約しながら「めんどくさい」に立ち向かえるやり方がわかってきたのよね。

楽しむエネルギーが少ないというとそんなふうに見えない、元気に出歩いてると反論されますが、
これは工夫でなんとかやってることなのですよ。
したいことは軽率に決めることにするとか、決めたらもう考えないとか、
こまごまと自分の気持ちやメンタル工夫して保ち
うまく楽しめるように内側の工夫はものすごくいっぱいしてる。

ということで、雨模様の週末も、細かい工夫てんこ盛りにしてなんとか楽しく生きます。
とりあえず、お昼作ってワイン飲むか。
(これは心の工夫ではなく手っ取り早いテンション持ち上げ法)

あいさつ

2022-05-04 | Weblog
菊菜を食べようと思って、菊菜とクリームチーズのパスタソースを一昨年作っ
て美味しかったなぁと思い出す。その頃一緒にいた恋人からは特に感想もなく、
あとで実は菊菜があまり好きでなかったと知った。
好きなもの作っても、ごちそうさまさえ滅多に言ってくれない人だったからわからなかった…

ある時、黙って食事を終えてそのまま寝転んだその人に、軽い調子で、
おはようも、いただきますも、ご馳走様も言ってもらってないよ〜と言ったら、
イラっとした感じで「おはようございました、いただきました、ごちそうさまでした」っと
早口で一気に言われて、感謝されてないとか、コミュニケーションが苦手とかいうより、
そもそも気難しい人で、わたしとコミュニケーションもする気がないし、
する気がないものを強要されると不機嫌になるんだなぁと悲しく思った。
それからは、毎食ご飯を作っても、いただきますもご馳走様も感謝の気持ちも言葉も
何も期待しないように気をつけた。
頼んでないしそっちが勝手に作ってるんだからと言われたこともあるけど、
それは間違いで、一緒に住む前にご飯食べたいですと言われてたんだけどな…

正確に言うと、いただきますもご馳走様も全く言ってくれないのではなく、
たまに言ってくれることもありました。機嫌のいい時か余裕のある時か、たまに。

でも彼が何か作ってくれるときは、わたしはうれしくて、
いただきます!美味しいうれしい美味しかった!
ありがとうご馳走様!と大騒ぎした。
それも彼にとっては余計なコミュニケーションで鬱陶しかったのかもしれない。

わたしはひとりでも猫にでも朝はおはよう!と声をかける。
行ってきます、ただいま、寝るよ〜、おやすみ、寒いねー、お腹すいたね、
いただきます、ごちそうさま、はい召し上がれ、おいしいね。
それをすごくいいことと思ってるわけじゃないけど、つまらない負担と思ったことはないし
多分これからも思わない。誰にも気兼ねしないで朗らかにあいさつできる毎日がいい。

ブログと連想

2022-05-02 | Weblog
18年書いてるブログがここ1、2年すっかり書けなくなってて、最近は旅行記しか書いてないんだけど、
この前、郡山の金魚ストリートの話を書いてて、久しぶりに自分のブログを書いた気がした。
それは旅行記ではなく自分の連想の話になったから。
何かをして何かを思い出し、さらにそこから何かを思い出しているとその連想の行方の中に
ちょっと距離感のあるノスタルジーが混じったりして楽しくなるんだけど、
金魚ストリートから金魚少女の映画と、岡本かの子の小説と向田邦子の小説を思い出して、
周りの人間は物言わぬ魚を見ては、妄想や執着や秘密に振り回されるけど、
魚はあくまでも無表情でパクパクしてるだけの不気味さ、など
そういうことを書いてるうちに思い出して楽しくなる、自分にとってブログ書くのはそういうとこ。

半世紀以上生きてるので思い出すことは縦横無尽にあって、
そこから新しいことを思いついたりするのが一番楽しいんだけど、
そう思うと18年も書いてきたブログをやめるのはつまんないのよね。誰も読んでなくても。

陰謀論にハマる人

2022-04-25 | Weblog
陰謀論にはまった人の記事を随分前に読みました。
志葉玲さんの妻増山麗奈さんが陰謀論にはまったのを
「引き戻すのにはものすごい労力がいった」という話。
陰謀論は人の負の感情につけ込むと言うけど、
よっぽど馬鹿でなきゃそんなこと信じないでしょ?と思うことを、
聡明な人までが信じてしまうのが、本当に不思議。

どんな説明を見ても明らかに無理のある馬鹿っぽいことに
全く馬鹿ではない賢い人が陥っているのが、何を読んでも不思議なままです。
コロナのワクチンにマイクロチップ入ってるとか、菅も麻生もクローンだとか、
どうすれば信じられるのか…

記事にはコロナはただの風邪だと家族のつけるマスクに怒る夫と離婚した人の話もあった。
陰謀論は個人もおかしくするし家庭も壊すのね。社会への影響はもちろんだけど
とりあえず家族と身近な人たちが陰謀論者になりませんように。

陰謀論にハマるのは不安や孤独のせいだ、とよく聞くけど、
知性を捨て去り認知を歪めるほどの孤独って?
孤独はむしろ知性を深めるものと思ってきたのに、賢い人でも安易に排他的になり
憎悪を募らせる陰謀論者になるのは、やっぱりわからないな。
聡明でも孤独に対する強さは別物なのか。孤独にだけは弱いのか。

知性や思索を深めない孤独というものもあるのだなぁ。。
手っ取り早く孤独を追いやりたくて雑なことをしたり逃げたりしてしまうことも。
でもそれでは結局孤独はどこにも行かないのに、
なんで陰謀論にハマる人はどんどんズブズブにハマっていくんだろう?

単に、馬鹿なんじゃやないの?と思たら簡単なんだけど、そうでもないですよね。
同じようなことは怪しい信仰宗教の信者にも思う。
宗教と陰謀論は、何に救いを求めるかの違いなんだろうけど、陰謀論は誰も救わないよねぇ。