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sigh of relief

くたくたな1日を今日も生き延びて
冷たいシャンパンとチーズと生ハム、
届いた本と手紙に気持ちが緩む、
感じ。

水俣修学旅行2:水俣病資料館

2024-06-20 | 一人旅たまに人と旅
さて、新幹線新水俣駅から肥薩おれんじ鉄道に乗り換えて水俣駅下車。
駅のすぐ前の道を渡ると、そこがあのチッソ(旧日本窒素肥料株式会社)でした。
というかチッソがあるところに駅ができたのか。
都会に住んでいると大きな企業はいくつもあってわかりにくいんだけど
地方で大企業が王国のようになっているのってこういうことなのだなと実感。
行政や政治までもなんでも全部、その企業あってのもので、
そこに暮らす全ての人々に影響を及ぼすのです。

水俣駅からまず最初に向かったのが水俣市立水俣病資料館。

駅から西へ、不知火海に突き出たエコパーク水俣にあります。
すごくきれいな場所で海の方を見ると石牟礼さんの書いた美しい入江を思い浮かべる。



水俣病資料館は、
・過去の水俣の海の豊穣、
・大企業チッソの工業都市化による地域の繁栄、
・水俣病の発生、対応の遅れ、被害の拡大と被害者の困窮や差別、そして闘い
・環境復元と再生に向けて環境モデル都市水俣へ

という感じで分かりやすく展示されていて興味深く見学した。


これはチッソ水俣工場が強い毒性を持つ排水を流した百間排水口の複製ジオラマ。
主として水俣百間地区にあるこの排水口から水俣湾へと流され水俣病はここから始まった。


これはある水俣病患者が半年で飲んだ薬。
治すためではなく症状を和らげるためのものとのことだけど
なんという強いインパクトで訴えかけてくることか。

でも、資料館全体の見学を終えると、水俣病に向き合い批判や反省をする姿勢は見えるものの
現状やこれからのことに関しては、なんだかきれいごとだけを言っているように思えた。
そしてこのエコパークという場所自体が水銀のヘドロなどの汚泥を埋め立てたところだと知ると
何もかもきれいに整備されたこの場所に対して、なんとなくもやっとした気持ちが残る。
熊本県水俣市のサイトを見ると
>水俣市は、環境に対する意識の高さや取り組みで全国的に知られています。水俣湾を埋め立てた「エコパーク水俣」には、花や緑に包まれた公園や海と親しめる親水護岸や道の駅みなまた内のバラ園等が創られ、未来へ向け、美しく変貌を遂げ始めています。
>58ヘクタールという広大な埋立地に広がるエコパーク水俣。道の駅みなまたや美しい日本庭園「竹林園」などがあり、優雅な名前の恋路島(こいじしま)を望む海岸線には、汐の香りと波の音を聞きながら散歩ができる、長さ465mにわたって親水護岸が続いています。
>また、岬の突端にある4ヘクタールの敷地には熊本県環境センターをはじめとした環境に関する施設があります。その海沿いには広々とした芝生公園が整備されており、天気のいい日には白い帆の打たせ船が並ぶ美しい光景を見ることもでき、ランチタイムや一休みに格好のロケーションです。

と、これまたずいぶんきれいなことの羅列だった。
この足の下には今も多くの人に健康被害をもたらし、その人生を奪った水銀が埋まっているし
水俣病の認定や補償の問題で今も苦しんでいる人がいるというのに、
まるで過去と断絶され、生まれ変わった新しいきらきらした場所みたいな書き方だ。

資料館のサイトの埋立地に関するQ&Aを見ると、
Q:水俣湾埋立地はヘドロが広がっていた範囲よりもせまいのですが、水俣湾のヘドロは残っていないのですか?
A:水俣湾の埋め立てられていない場所にたまっていた、高濃度(25ppm以上)の水銀ヘドロは掃除機のようなもので吸い上げて、水俣湾埋立地の下に埋め立てました。それ以下のヘドロは残されていますが、人間の体に影響はありません。


Q:今の水俣湾の漁業はどうなっているのですか?
A:水俣湾の魚は安全になったので、漁業も行われています。一般の人たちも自由に魚釣りを することができます。

と、やっぱりもう水俣病のことは全部過去になったような書きぶりだなぁ。

以下は参考までに、公益財団法人森林文化協会のサイトより
水俣病のような被害を二度と起こさない決意が込められた「水俣条約」が16日発効し、水銀が世界的に規制されることになった。ただ、条約名に冠された熊本県水俣市には、かつて垂れ流された水銀が今も埋められたままだ。この先も適切に管理し続けられるのか。懸念は根強い。
 不知火海に面した広大な埋め立て地に芝生の広場やバラ園、テニスコートなどが並ぶ水俣市の公園「エコパーク水俣」。その地下には、水銀を含む汚泥が今も眠っている。
埋め立て地は、水俣病の原因企業チッソが長年水銀を含む排水を流してきた水俣湾の奥部にあたる。水銀値の高い汚泥がたまったエリアを鋼板で囲って海と仕切り、そこに水銀値が比較的低い沖合の汚泥を浚渫(しゅんせつ)して埋め立て、さらに、汚染されていない山の土で覆った。全体で約58ヘクタール。1982~85年に鋼板を設け、90年に埋め立てが完成した。
 鋼板の耐用年数は約50年とされていた。熊本県は、腐食の進行が想定より遅いとして少なくとも2050年ごろまで性能を維持できるとしているが、その後の方針は決まっていない。
 元国立水俣病総合研究センター国際・総合研究部長で、今も水俣で水銀の研究を続ける赤木洋勝さん(75)は、地震で埋め立て地が液状化し、水銀を含む水が地表に噴き出すことを懸念する。「水銀を集めて囲っただけの場所。汚染が残ったまま条約の地をアピールするのはちぐはぐだ」と話す。
 熊本学園大の中地重晴教授(環境化学)は、750億円かければ、埋め立て地の水銀汚泥を掘り起こし浄化することができる、との試算を14年に発表した。鋼板や護岸はいずれ更新しなければならず、この先、大地震や大津波に襲われるかもしれない。「ずっと未来まで鋼板や護岸をつくり続けるのか。後世に大きな負の遺産を残したままでは、水俣病の教訓を生かすことにならない」と指摘する。
 水俣条約12条は、水銀で汚染された場所を「汚染サイト」として特定し、リスクを評価して管理する努力を締約国に求めている。だが、埋め立て地について熊本県は「今も安全性を確認しながら管理しており、問題はない」、環境省も「既存の土壌汚染対策法で対応が可能だ」として、汚染サイトとすることに消極的だ。

県や国の見たくないものには蓋をするような姿勢は、水俣病発生の時から
あまり変わってないのではという気持ちになる。

水俣修学旅行1:肥薩おれんじ鉄道

2024-06-19 | 一人旅たまに人と旅
そういうわけで、というのはこれ、こういうわけで
→「苦海浄土」読書会
→「水俣曼荼羅」
一緒に読書会をした友達二人と修学旅行に行くことにした。3月の終わり頃。
映画を見たら本を読む、本を読んだら訪ねてみる、というようなことは
一つのことをできるだけ多角的にカラフルな体験でよく知り自分のものにしようと
いつもできるだけやるようにしてるけど、今回の修学旅行もそれで、1年間の読書会の集大成!
一緒に1年ほどかけて読んだ仲間がいるのが、さらにいいよね。

「苦海浄土」は弱い立場の被害者と強い大企業や国が加害者側にいる問題を書いているけど
それだけの本ではなく、文学としても素晴らしく優れていて、
池澤夏樹が惚れ込んで、世界文学全集を作る時に日本からはこの一冊を選んだというほどの本。
なので、読む時も政治的メッセージだけにとらわれず、文学としても味わいたかったし、
今回の修学旅行も難しい顔をして勉強するだけでなく、
美味しいものも食べて飲んで温泉にも入りたい!という旅行になりました。
一人の人間にはいろんな面があって、水俣病問題について考えることと
美味しいものを食べて楽しむことは矛盾しないし、それでいいと思ってる。

宿を決める時に、駅のそばのビジネスホテルにして、いろいろな施設がしまった後も
街や港や海辺を歩き回り良さそうな店で夕食にするか、
それとも少し離れた温泉街の旅館を選ぶか、少し悩んだけど
たくさんのホテルや旅館をぐぐって結局山の中の温泉宿がいいということに。
となると、夕ご飯の時間が決まってるので早い時間にチェックインしないといけなくて
街や施設の見学も早めに終わらないといけない。
そこから時間割を考えました。
現地集合、現地解散ですが、新水俣駅に停まる新幹線は多くないので結局同じ新幹線に。
とはいえ座席はバラバラで、それぞれ好きに過ごします。


九州新幹線に乗ったのが初めてで楽しかったです。本をたくさん読めました。

4時間以上乗るので、本やiPodやKindleや新聞持参。もちろん駅弁も。
この駅弁は前も買ったことがある。やや小さめで、少し飲みながら食べるのにちょうどいい。


新幹線の新水俣駅から在来線への乗り換えがうまくできるか不安だったけど
新幹線の改札出たらすぐ横にあって、なんの心配もいらなかった。
旅先では都会と同じように考えなくていいのだった。





電車の本数は少ないけど乗り継ぎはとてもよくて、すぐに来た。
1両だけの肥薩おれんじ鉄道。
この電車からの不知火海の景色が素晴らしいとのことなので、
本当はこの電車にもっと先までのんびり乗って車窓の景色を楽しみたかったんだけど、
一泊ではそんな余裕がなくて残念。

母と東京 7:寿司屋

2024-05-26 | 一人旅たまに人と旅
お昼は息子が合流して築地場外のお寿司屋さんでコースを。
東京は数えるほどしか来たことがないし、東京でお寿司を食べるのは初めてでした。
お寿司ってわたしはあまり食べたことがなくて(回るお寿司が生活圏にずっとなかったし
回らないお寿司は日常的には行かないので)特に好物でもなかったんだけど
金沢で食べた時にはっきりと目から鱗が落ちるのがわかりました。美味しかったのです。
お寿司好きのつもりはなかったけど、この時から自分はお寿司好きになったと思う。
ただし、いいお寿司に限る(えらそう…笑)
人生で一番好きだったお寿司はまず金沢、そして新潟で、
日本海のよく身のしまったお魚が好きだけど、
今回初めて食べた江戸の江戸前寿司もとても美味しくて満足しました。
カウンター6席だけのお店でお魚の良さはもちろん丁寧な仕込みに唸りました。







もう安いお寿司は食べられないかもしれない・・・
安いお寿司10回我慢して、いいお寿司1回食べる方がいいと思うようになってしまった。
9回はツナおにぎり食べてがまんするから10回目にこれくらいのお寿司を食べたい!

お寿司の写真を延々アップしても、見てる人は何も面白くないと思うけど
自分が思い出して美味しかったな〜と思うために貼っておきます。笑















でも、お昼だしお寿司だしとゆったり食事してたら、なんと2時間半かかった。
カウンターだけ6席の小さなお店なのに、お昼もお客を回転させないのがすごいなぁ。
商売よりもゆっくりを食事してもらう方が大事なのでしょうか、良心的なお店よね。
おかげで新幹線の時間ギリギリになって焦りましたが
銀座のフレンチと築地のお寿司と、ベタだけど美味しい東京旅行でした。
偏食の多い母も、出されたものは全部平らげてた。フルコース。すごい(82歳)。

母と東京 6:プールと築地

2024-05-22 | 一人旅たまに人と旅
旅行の前の週に一晩中吐くほど胃を痛めてたわたしなので
今回の旅行中も食べ過ぎ飲み過ぎにはよく気をつけていました。
1日目のフレンチのコースに備えておやつも我慢したけど、そのフルコースは案外軽く
ペアリングのワインも酔っぱらうほどではなく、
その後帝国ホテルのバーに行きたくてたまらなかったけどそれも我慢して早く眠ったので、
翌朝は爽やかに起きることができました。

コロナ禍の自粛期間中時にどうしても泳ぎたくなってプール付きホテルを探して
何度か奈良のマリオットに泊まった話は書いたけど、
せっかくだし帝国ホテルのプールでも泳いでみるつもりで
スイムキャップとゴーグルだけは持ってきていました。
2日目のランチにお寿司屋さんをで母と息子と食事することになっていて、
特に予定もないので朝はゆっくり時間があるし、朝の7時に行ってみた。

今風のジャクージがあるわけでもなく、シンプルで小さなプールですが
壁の一面と天井の半分がガラス張りで、温室感があって気持ちいい。
軽く30分ほど、泳いだり歩いたりしてきました。ああすっきり。
水着はレンタルで、味も素っ気もないけど別に誰に見せるでもないしね。
家にあるジムなどで着るのは結構しっかりした素材の裏がついてて
濡れると脱水機で絞っても結構重いしかさばる。
昔持ってたリゾート用のも裾がスカート状になってたりするとやっぱりかさばる。
レンタルで十分です。またどこか別のホテルのプールも入ってみたいなぁ。


ホテルをチェックアウトとして築地のあたりまでタクシーで。
ホテルのコンシェルジュさんがお薦めしてくれた波除神社を覗くと
辰年巳年の人は、この周りをぐるりと回るといいという厄除け天井大獅子というのがあって
信心ないしいつもお賽銭もしないわたしですが、巳年だしまあ回っとくか、とぐるり。笑





それからしばらく築地をぐるぐるして、まだ時間があったので築地本願寺のカフェでお茶を。





すごく暑かったので、お茶と小さなお饅頭で休憩してひと息。

母と東京 5:銀座の街

2024-05-18 | 一人旅たまに人と旅
銀座という街には思い出も思い入れもないので
数少ない東京体験の中でもよく知らないところですが、
高級ブランドがある一角などは建物が面白いですね。





あと老舗のビルなども風情があります。

ベンツの巨大な四輪駆動車を、同じ色のものを何題か見ました。
流行ってるのかな。でかくていかつい!
他にもスポーツタイプの車をよく見ました。
そして車の運転席でもm地のカフェでも、女性がきれいなのはどこでも変わらないし
若い男の子がおしゃれなのも地方都市で珍しくないけど
おじさんやおじいさんがかなりおしゃれさんばかりなのは、銀座だからなのか?

母と東京 4:銀座フレンチ

2024-05-04 | 一人旅たまに人と旅
母は好き嫌いが多い。
わたしも小さい頃は、野菜が嫌いで肉が嫌いで魚が嫌いで、
ご飯とふりかけくらいしか食べなかったけど(短い痩せてた時代・・・)
大人になったら普通の食材は大体食べられるようになった。
一部高級食材(うに、白子、蟹味噌など)とホルモンと納豆はまだ苦手だけど、
日常の食事で困ることはない程度にはなんでも食べる。
母は野菜はまあまあ食べるけど、鶏肉と豚肉が嫌い、ジビエも嫌、魚も好き嫌いがある。
でも外食でおいしいコース料理だと、わりと食べてくれるから助かる。

今回は、東京に住む息子にレストランを探して予約してもらった。
来年30になる息子は、わたしの母にもお世話になってきたので今回はご馳走するという。
そして銀座のミシュラン星付きフレンチをワインペアリング付きで予約してくれた。
(母はあまり飲めないのでペアリングはなしです)
母とわたし、わたしの弟の息子と、わたしの息子の4人で、レストランの個室でゆったり食事しました。

今回の旅行のカメラにGRを持って行って、久しぶりに黒白メインで撮ったのでそっちの写真から。
レストランの入り口を入って、しばらくソファで息子たちを待っていた時の景色。


個室に向かいゆったり座り、料理を待つテーブルの上




シャンパンと一緒にアミューズ


パンめちゃ美味しい


ワインもどれも美味しかった


料理はカラーで。前菜やデザートなど撮り忘れたお皿もありますが。




ブーダンノワール。りんごのコンポートとビーツのピュレ。


お魚は金目鯛。ソースはブイヤベースっぽくて、案外カジュアルな雰囲気のお皿だった。


牛テール。見た目はシンプルですが、とろりとしたトリュフ風味のじゃがいもピュレが添えてあり
良いワインと合わせるともう至福。さすが。


エチケットがかわいい


デザートの写真は忘れたけど、最後のお菓子たち。


このあとセラーとチーズのワゴンを見せてもらったけどお腹いっぱいで食べられず。ああ、食べたかった。

ワインも料理も大変美味しかったしお腹いっぱいになったけど、不思議と胃もたれなどはなく
気持ちいい満足感でホテルまでゆっくり歩いて帰りました。

母と東京 3:帝国ホテル

2024-04-30 | 一人旅たまに人と旅
今回は母と一緒だし奮発して帝国ホテルに泊まった。
フランク・ロイド・ライト設計の旧帝国ホテル本館(ライト館)は今は
愛知県の明治村にその玄関部分が移築されてて、今の本館はその後の建物だけど
当時の意匠が飾られている部分もあり、クラシックで落ち着く雰囲気。
ロビーの雰囲気が最近の新しいおしゃれなホテルとは違って
大阪でいえば中之島のリーガロイヤルホテルに似た感じですね。














オールドインペリアルバーにはライトの設計時の面影が残っているそうで
ぜひ美味しいお酒を飲みたかったけど、夜はフルコースにワインペアリングをつけたので
もうそれ以上飲めず断念。行ってみたかった。








部屋は特にクラシックでもない普通に良い部屋だけど、
洗面のところに置いてあった小さなスツールがわたしのツボで
なにこのクラシックでちょっとレトロなスツールは!かわいい!と興奮したけど
母には通じなかった。笑


















母と東京 2:銀座ウエスト

2024-04-26 | 一人旅たまに人と旅
夕食は7時なので2時間ちょっと銀座をぶらぶらすることに。
ホテルからぶらぶら歩いて、わたしも初めての街を歩く。
ひとりだと気の向くまま歩き回るんだけど、母がいるのでそうもいかない。
わたしは雑貨の店やギャラリーがあるといちいち覗きたくなるんだけど、それは我慢して
とりあえず母の好きなブランドのショップにいくつか入りました。
母はカバン好きなんだけど、今回は薄手のスカーフでいいものがあればと何軒か見て、
でも気にいるものはなくて買わず。

知らない街で、わたしはすごい方向音痴でもあるのでしばらく歩くと疲れてきて、
どこかでコーヒーでもとなったけど、Googleマップにコーヒーで検索したらいきなり失敗…
マップで、コーヒーバーというのがすぐ近くに出てきたので、
そのビル3階にエレベーターで上がったんだけど、
エレベータードアが開いたらいきなり店のドアもなく暗いバーの店内だったのでした。
聞いてみるとコーヒーバーという名前だけど、カフェではなく歴然としたバー。あらら。
これもまた、わたし一人ならまあいいかとお酒を飲むんだけど
母と一緒なので、そのままことわって店を出ました。
知らない街でバーに行くのは慣れてるけど、お茶をするのに慣れていないわたしです。

仕方なく他の店を探して、いい感じのコーヒー専門店があったけど喫煙可の店なので却下。
でもその途中にあったクッキーの並んだショウウインドウの店の横に喫茶室のドアがあって
入ってみると落ち着いたクラシックな感じの喫茶店。

でも満席で、整理券をもらって少し待つことに。
別の店を探すには疲れてたので大人しく待って15分くらいで入れました。

そんなに広くない店で、席もゆったりしてるわけではないけど
テーブルも椅子も低く作られてて、テーブルと椅子の背には白いクロスがかかってて
なんとも感じのいい清潔感と静けさがある店でした。
テーブルクロスって、汚れたら変えなきゃいけないし、飲食店ではすぐ汚れるし
真っ白のクロスは手間のかかるものなのです。
それをしているのはレストランならある程度以上のお店でしょうし
カフェや喫茶店ではあまりないのでは?



テーブルには白いラナンキュラスが3つ、良いバランスでセンスよく生けられてて
レトロなようで新しいセンスが心地いい。
フルコースのディナーの前なのでケーキは我慢して母もわたしもコーヒーを。
そしてプリンをひとつだけもらって半分こしました。

プリンも美味しかったけど(ああ、ケーキも食べたかった〜)コーヒーも美味しかった!
そして何杯でもおかわりできることになってて、そりゃ人が並んで待つわ、と思った。
特に喫茶店好きではなく、今風のカフェの方が気楽で好きなわたしですが
この店はすっかり気に入ってファンになりました。
帰りに焼き菓子をいくつか、自分用に買ったけど、バラ売りしてたものを翌朝ホテルで食べたら
何のてらいもないクラシックな焼き菓子なのにすっごくおいしくてびっくりした。

ここに行くためにだけに銀座に来てもいいわと思いました。

買ったお菓子の箱の細い金のリボンも控えめでシックでとても好きなセンスでした。







母と東京 1:駅弁とはとバス

2024-04-23 | 一人旅たまに人と旅
母もわたしも3月が誕生月なので、ここ数年3月に誕生日旅行に行くようになったんだけど
今年は色々忙しく、遅くなって4月になりました。
今回は母のリクエストは、東京にいる孫たち(わたしの息子と弟の息子)と食事をしたい!とのこと。
それで食事は息子に、銀座のフレンチディナーと築地のお寿司ランチを予約してもらったけど、
その合間に東京で母とどこに行こう?
母は82歳にしては元気だけど、あまり物事に好奇心や興味がなく
積極的に楽しもうという気持ちのない人で、美術にも音楽にも興味がありません。
スカイツリーと浅草は行ったことがあるそうで、うーん、東京タワーにでも登る?
そもそもわたしも東京はさっぱりわからず、案内するのも大変。

結局わたしが前に乗ってみたことのあるはとバス1時間コースに乗ることにしました。
あとは、銀座近くに泊まるので銀ブラでいいか、とあまり予定を詰め込まずに出発。
(銀座行ったことないけど、銀ブラって死語?)
朝はゆっくり、新大阪でお弁当も買って新幹線へ。
母は牡蠣ご飯のお弁当を選びました。お酒はわたしだけ。笑
新幹線でお弁当を食べるのがわたしはすごく好きで、
むしろお弁当を食べるために旅に出るくらいなんだけど
母はそういうこともあまりしたことがないんじゃないかな?
お弁当を選ぶ時、楽しそうに迷っていました。

これはわたしのお弁当。小さめだけどおかずが濃いめの味付けなのでお酒の肴になるし
ご飯も炊き込みご飯なのでおかずをお酒で食べてしまっても、ご飯だけ食べられる。
昼に食べる軽いお弁当にちょうどいいのです。


母とわたしは興味も性格も全く違うので旅行の時はわたしの希望は全部忘れて
(母は美術や文化的なものには全く興味がなく、ブランドのお店と、
市場で安い小物を値切るのが好きな人で、わたしはどっちもあまり興味がない…笑)
なんとかアテンドするのだけど、年に一度なので、今82歳の母が元気に旅行できる間は頑張ります。





韓国墓参り:韓定食

2024-03-17 | 一人旅たまに人と旅
前のブログでは、映画博物館の展示の写真をいろいろアップしましたが、
展示以外の体験的なものもいくつかありました。

チケットを買うときに何か説明を受けて入場券以外にカードのようなものをくれて
帰りに返すようにと言われたけど、その時は今ひとつなんのことかわからず。
あれこれ見ながら歩いてるうちに、カードを入れて操作するようなものがありました。
たとえば、これは指示に従って選んだり記入したりしていくとどうやた短い映画ができるっぽい。

わたしにはハングルで話を書くだけの韓国語力がないので途中で諦めたけど
ものすごくゆっくりでよければできたかも?
そしてできあがったものは、カードを通じてどこかにあって、
帰宅後でもアクセスすれば見れるような仕組み・・・だったのかな(まだわかってない)w
ほかに、よくあるスターの手形を自分の手形で作るものとか、
特殊効果を自分が出演した映像で作るものとかありました。
ちゃんとできたら、あとでアップできるし楽しかっただろうなと思うけど
時間が全然なかったので横目に見ながらどんどん歩きました。

これは看板描きの仕事のこと


映画館のような小部屋ですが、何か上映したりするのかな?


ぐるぐる渦巻きの模様が移り変わる部屋


釜山、映画、とくればやっぱり釜山国際映画祭


歌舞伎座と書いてありますね。日本語はあちこちで見かけました。
日本の占領時代のものなのでしょうか。ハングルを読むのがすごく遅いので読んでる暇がなかった…


ショップにあるものが「ロブスター」とか「コロンバス」とかどういうマニアック・・・笑


もっとゆっくりしたかったけど1時間ちょっとで駆け足でまわりました。
時間のあるときにゆっくり来たかった。今度釜山国際映画祭に来るときはゆっくり来たい。
(ちなみに前に釜山映画祭に行った時のブログ→釜山映画祭0なんと18回の連載。笑
映画博物館にいるうちに雨が降り出して、母と待ち合わせのホテルまで走りました。
ホテルで傘を借りて、現地の知り合いに徒歩数分の韓定食の店に連れてってもらう。

すぐそばで仕事をしてる人で、時々来るというそこは、靴を脱いで上がるのですが
満席で、わたしたち以外のお客さんはなんと全員現地の男性!
早い!安い!うまい!の店ですね。
お店の人も「地球一美味しい!」と言ってました。笑

ナムルやキムチいろいろに、魚、牛肉、豚肉、チャプチェ、テンジャンチゲ、
そしてなぜかカレー。ご飯はもち米を混ぜてあってもちもち。これだけ食べて1万ウォン!安っ!

お腹いっぱいになって、母と叔母はもう一泊遊んで帰るのでわたしひとりタクシーに。
空港は行きも帰りもわりとすいすいと行けて時間が余りました。
ということでビール。滑走路の見える席で搭乗前のビールを飲むのが好き。

短い旅行でしたが、やっとお墓参りできて良かったです。
とりあえず、もしも何か呪いがあったらならそれは解除してもらえたのではないかな。笑
晴れ晴れ。(そういうことは何も信じてないけどね笑)




韓国墓参り:映画博物館

2024-03-15 | 一人旅たまに人と旅
前に釜山映画祭に行った時に、この博物館の存在はチェックしてたけど
短い日程でとても寄る暇はなかった。
今回も母たちとの約束まで2時間弱しかないけどとても近くだったので、
とりあえず行くだけ行ってみようと思いました。

釜山タワーがすぐ後ろに見えますね。

立派な建物

入場料のいらないスペースにも映画関係の展示がありました。

チケットカウンター。1万ウォン(1200円くらい?)だったかな。


釜山の映画館の写真。釜山は韓国映画発祥の地だったとか?


20世紀初頭の釜山にあった7つの映画館


映画雑誌


「釜山港へ帰れ」の台本?


古い映画の入場券


「ロミオとジュリエット」

朝鮮戦争の頃洋画が入ってきたのは釜山中心だったそうですね。
そして韓国で最初のトーキー映画も釜山で上映されたみたい。

韓国墓参り:朝の散歩

2024-03-14 | 一人旅たまに人と旅
釜山タワーの麓に泊まって、朝。
飛行機は午後の便なのでそれまで母と叔母は散歩と買い物に出ると言うので途中までついて行きました。
港の方へ向かってぶらぶらと繁華街を下るんだけど、母の大阪のおばちゃんとしての
コミュニケーション力の凄さに改めて感心する。
お墓参りに来る時は同じホテルに泊まることが多いので、近くの店も馴染みになって
小さい服屋さんのお店の人に、めちゃくちゃブロークンな韓国語と大阪弁で挨拶する。
また後で来るからね〜と、の前にちょこちょこと世間話などもする。
母は祖父母が在日1世だったので、その田舎の言葉だけは少し聞き取れるようですが
韓国語を習ったこともないのでほぼ喋れないんだけど
世界どこに行っても大阪弁でコミュニケーションしてしまい知り合いが増える。
わたしにはその才能は遺伝しませんでしたが…

ロッテマートという多きなショッピングセンターの地下に行くと
こまごまと店が並んでて、そこでもいくつかの店の人に挨拶する。
そして靴下やTシャツが安いとか高いとか言いながら見て回る。

しばらくついて歩いたけど、買い物が苦手なわたしはすぐに疲れて
お昼に待ち合わせをすることにして別れました。
母や叔母の買い物に興味のないわたしが横にいるのは、彼女たちも落ち着かないので
別行動はお互いのため。
ちなみに、母たちはしばらくウィンドウショッピングした後に近くの市場で海産物や乾物などを買います。
多分いくつかの店の人が既に知り合いで、またおしゃべりしながら歩くのが楽しいのでしょう。

ロッテマートから少し歩くとすぐに海です。



海沿いに西に歩くと母たちがいつも買い物するチャガルチ市場があって、
その北側には国際市場。(映画の舞台にもなりましたね)
国際市場とチャガルチ市場の間の辺にBIFF広場があります。
ここは以前釜山映画祭に行った時に歩いたことがあるし、屋台ストリートもあるので
ぶらぶらしても良かったけど、今回はそこまで行かず、影島大橋(ヨンドテギョ)のあたりを少し散歩。
この橋はいろいろ歴史があるようだけど今は週に一度だけ跳開するようです。

ふもとにある家族5人の銅像は、朝鮮戦争時に逃げてきた避難民の姿のようです。
生き別れになった人がこの橋での再会を誓ったとか。

海辺を歩くのは、浜でも港でも好きなので少し散歩しながら写真を撮りました。








Googleマップによる釜山タワーの近くに映画博物館があるようなのでそこへ行ってみることに。






韓国墓参り:夜の散歩とバー

2024-03-13 | 一人旅たまに人と旅
知らない街の散歩は昼でも夜でも楽しいですね。
夜は、都会だといいバーがあるといいなぁと思いながら歩くし
田舎や地方だと古い建物や味わい深い雑草の茂みや空き地を見ながら歩く。

ダイヤモンドタワーはライトで色が次々に変わる。青、赤、黄色、紫、緑。


長い名前?のホテル。
「昨日」は今日の思い出だけど「明日」は今日の希望ホテル?


くじら専門店!


若い女性が楽しそうに飲んでたここ、こういうテント、冬にいいな〜。


今回はいいバーはなさそうな町内だけど、夕ご飯の腹ごなしができたらいいやと思って歩き始めた。
上着がいらない暖かい夜だったので歩くのも楽で足取りは軽い。
バーと書いてある店は結構あるものの、どれもカラオケがあるような店で
飛び込んでそういう店だととても嫌なので慎重に見ながら歩く。
できればオーセンティックなバーでウィスキーを1杯飲みたいけど
カジュアルなビアバーみたいなのなら少しあったので、他になければこういう店で1杯だけ飲んで
落ち着いて帰るのもいいかなと思いながらなおもぐるぐる歩いてると
狭い階段の上にバーがありそうな気配が。

外観はカジュアルなかわいい感じなので、オーセンティックは期待しないけど
とりあえずおじさんたちがビールと焼酎でカラオケをしている店ではなさそうだし、
大丈夫かな?とドキドキしながら階段の下からそっと様子を見たら
ドアが開いてて、洋楽の音がして、人の気配はなく静かである。
よし、と階段を登って店に入った。
カウンターだけの小さな店で、バックバーにはスクリーン。
お酒の種類は少ないけど、スコッチはいくつか置いてるし高いお酒もあるみたい。
最初にハイボールを飲んだら甘かったので、普通に目に入ったスコッチを頼む。
お店はカジュアルな服装の若いマスターが一人でやってて、他にお客さんはいなかったので色々お話しした。

喋ってるうちに、すっかり忘れてたわたしの韓国語も少しずつ出てくるようになり、
韓国語で話しながら、マスターも以前日本語を勉強したことがあると言う。
その頃日本人女性と付き合ってて・・・と。
さらにマスターのお母さんも日本語が少しわかることを大人になって知って、
その理由を聞くと、お父さんと結婚する前に日本人男性と付き合ってて、ということだったと。
あはは、親子で同じことを、と笑い合う。

この町内で、カラオケやスナックでないバーはここくらいだとも聞いて
それを探し当てた私の嗅覚よ!と自分を褒める。

一人になりたくて爆発しそうに疲れてだけど、知らない街の知らないバーに飛び込んで、
何のしがらみもない知らない人と、辿々しい言葉で静かにおしゃべりをしてるうちに、
霧が晴れるように気持ちがすっきりした。
自分は理解してもらえない家族より、ゆきずりのバーでゆきずりの人と短く優しい会話を
ぽとぽとと交わす自由の方が必要な人間なのだな。
こういう時、気持ちが広々として楽しくて、ついついいくらでも飲んでしまいがちなわたしですが、
お腹がまだいっぱいで苦しかったので2杯だけ飲んでホテルに帰りました。

家族で決められた予定をどんなにこなしても充実感はないけど
知らないバーに飛び込むことで、やっと今日は少なくとも一つは、
自分自身として何かできたという気持ちで、しめくくれるのよね。

韓国墓参り:夕ご飯

2024-03-12 | 一人旅たまに人と旅
お墓参りの後、一旦釜山の街まで戻って、ホテルのビュッフェで夕ご飯。
母はいわゆる韓国グルメのようなものに特に興味がないのです。
ホテルのビュッフェが一番気楽、と思ってる。
その辺の食堂や市場でちょっと何か食べることはあるんだけど
わざわざ流行の美味しい店を探したり訪ねたりすることに関心がないのですね。
わたしは家族といるときは、自分の旅行とは別と割り切っているので、なんでもはいはいとついて行く。

窓から暮れて行く街が見えるのは良い。

ビュッフェって種類が多くても似たようなものが多くて、
一つ一つは特別美味しいということもない、と思ってるので期待してなかったけど
ここのは思ってたより美味しかったです。
値段も日本より高いくらいで
日本でいいイタリアンのフルコースがワインのペアリング付きで食べられる値段だったから当然か。

デザートもしっかり食べた。


泊まったのはこのビュッフェの食事をしたホテルからは少し離れた街、
釜山タワー(ダイヤモンドタワー)のふもとで、母がいつも泊まっているところ。
チャガルチ市場が近くて(母には市場は必須)便利なのと、ホテルの人が親切なのがいいようです。
自分の旅行ではないので、そこもこだわらず、はいはいと同じホテルに泊まるわたし。

でもホテルでそれぞれの部屋に別れたら自由時間です。
母と叔母(母の妹)が同じ部屋で、わたしは一人部屋で、
一人になってひと息つくと、ほっとして、途端に気持ちが広々としてくる。
わたしは旅行って知らない場所で一人になりたくて行くのかもれない。
だから基本的に団体行動で自由時間のない家族旅行は別物。
でも父が死んでからは、夜は自分の旅を思い出して動くようになった。

韓国墓参り:納骨ぶりコロナぶりのお墓参り

2024-03-10 | 一人旅たまに人と旅
2019年の秋に父が死んで冬に韓国の父の故郷に納骨に行ったことは書きました。
→父の納骨旅行:1(この後連続して8まであります)
その翌年からコロナ禍に入り、それ以来お墓参りに行けませんでしたが
去年(2023年)くらいから母と上の弟はたまに行くようになり、
その後渡航に関して各種証明書なども不要になって行き来が元通りの簡単さになったので
わたしと下の弟も久しぶりに行くことになったのでした。
今回は母と叔母(母の妹)と、わたしとわたしの下の弟の4人でした。

朝の飛行機で釜山に行き、そこから現地の迎えの人がいて馬山まで車に乗せてもらいました。
釜山から1時間ちょっと。馬山でも街ではなく結構な田舎です。
これは馬山市と書いてあるマンホール。お花のデザインですね。

その馬山の、昔、祖母が生きていた時に建てた家(今は叔父夫婦が住んでいる)に寄って
久しぶりの再会の挨拶をして、お茶をいただいてからお墓へ。



歩いて10分くらいかな。山の中だけど、ずいぶん歩きやすくなりました。
昔は本当に田舎の山道で、靴がどろどろになったりしたけど今は大体舗装されてる。。



韓国式に膝をつくおじぎを2度します。


父は不満の多い人で、99点でも決して褒めずに1点足りないことを怒るような人だったので、
自分の人生に対しても足りないことだらけだと思っていたでしょう。
亡くなる前の父は、生活には余裕があってなんの心配もなく、3人の子供(わたしと弟二人)は健康で
それぞれ落ち着いた生活をしながらすぐ近くに住んでいて、いつでも孫の顔が見れて、
家父長精のトップで理不尽なわがままも許される暮らしをしていたのだけど、
それでもずっと不満だったと思います。欲が深かったのでしょうね。
わたしはそういう父に自尊感情を踏みにじられながら育ち、
普通の青春も人生も取り上げられて生きてきたので父が生きている間は憎んできたけど、
死んでしまったらもう恨みはなくなった気がします。

他人事として見ると在日1世の父の人生は面白いものだったろうと思うけど、
それを詳しく聞く機会がなかったことも、後悔はしてない。
父と話すのも苦痛だったし、同じ空間にいるだけでも嫌だったほどだから仕方ない。
でも今はお墓参りくらいは、恨みもなく心穏やかにできるようになりました。
安らかに眠っていてくださいと淡々と話しかけます。
90歳まで十分わがままに生きたのだから、もう誰も支配しないで、抑圧も邪魔もしないで、
そしてもう不満は忘れて、穏やかに平穏に、満足して眠っていてくださいね。
そう思うわたしも年をとったなぁ。