sigh of relief

くたくたな1日を今日も生き延びて
冷たいシャンパンとチーズと生ハム、
届いた本と手紙に気持ちが緩む、
感じ。

韓国墓参り:納骨ぶりコロナぶりのお墓参り

2024-03-10 | 一人旅たまに人と旅
2019年の秋に父が死んで冬に韓国の父の故郷に納骨に行ったことは書きました。
→父の納骨旅行:1(この後連続して8まであります)
その翌年からコロナ禍に入り、それ以来お墓参りに行けませんでしたが
去年(2023年)くらいから母と上の弟はたまに行くようになり、
その後渡航に関して各種証明書なども不要になって行き来が元通りの簡単さになったので
わたしと下の弟も久しぶりに行くことになったのでした。
今回は母と叔母(母の妹)と、わたしとわたしの下の弟の4人でした。

朝の飛行機で釜山に行き、そこから現地の迎えの人がいて馬山まで車に乗せてもらいました。
釜山から1時間ちょっと。馬山でも街ではなく結構な田舎です。
これは馬山市と書いてあるマンホール。お花のデザインですね。

その馬山の、昔、祖母が生きていた時に建てた家(今は叔父夫婦が住んでいる)に寄って
久しぶりの再会の挨拶をして、お茶をいただいてからお墓へ。



歩いて10分くらいかな。山の中だけど、ずいぶん歩きやすくなりました。
昔は本当に田舎の山道で、靴がどろどろになったりしたけど今は大体舗装されてる。。



韓国式に膝をつくおじぎを2度します。


父は不満の多い人で、99点でも決して褒めずに1点足りないことを怒るような人だったので、
自分の人生に対しても足りないことだらけだと思っていたでしょう。
亡くなる前の父は、生活には余裕があってなんの心配もなく、3人の子供(わたしと弟二人)は健康で
それぞれ落ち着いた生活をしながらすぐ近くに住んでいて、いつでも孫の顔が見れて、
家父長精のトップで理不尽なわがままも許される暮らしをしていたのだけど、
それでもずっと不満だったと思います。欲が深かったのでしょうね。
わたしはそういう父に自尊感情を踏みにじられながら育ち、
普通の青春も人生も取り上げられて生きてきたので父が生きている間は憎んできたけど、
死んでしまったらもう恨みはなくなった気がします。

他人事として見ると在日1世の父の人生は面白いものだったろうと思うけど、
それを詳しく聞く機会がなかったことも、後悔はしてない。
父と話すのも苦痛だったし、同じ空間にいるだけでも嫌だったほどだから仕方ない。
でも今はお墓参りくらいは、恨みもなく心穏やかにできるようになりました。
安らかに眠っていてくださいと淡々と話しかけます。
90歳まで十分わがままに生きたのだから、もう誰も支配しないで、抑圧も邪魔もしないで、
そしてもう不満は忘れて、穏やかに平穏に、満足して眠っていてくださいね。
そう思うわたしも年をとったなぁ。

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