教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

なぜ今このテーマを研究するのか

2005年06月28日 18時18分36秒 | Weblog
 一時間前ぐらいに特研終わりました。今日は、30日〆切の教育史学会大会個人発表申込について発表です。今年の史学会は、広島大学日本東洋教育史研究室から最低4人発表(日本2・東洋2)の模様。
 私は今回、大日本教育会・帝国教育会と文部省との関係を中心に分析したいと思ってます。題名の発表は公式発表があってから、詳しいことは発表当日のお楽しみということで、中身には触れられないのですが。ただ、せっかくなので、少し私のこのテーマの問題意識を述べたいと思います(たまには研究の内容を述べておこうかなとも思いますし)。
 今回のテーマは、博士論文の一部として言えば、教育政策上における両会の役割、できればその教育研究活動の役割を描きたいと思っています。ただ、今日はそれではなくて、両会と文部省との関係を取り上げる問題意識を取り上げてみましょう。それは、なぜ両会の研究を今現在行うのか、ということなので。
 今回のテーマの視点は、両会と文部省の関係を対立図式で描くのではなく、協力図式で描きたいと思います。両会は「政府翼賛団体」だとか「官製団体」だとか言われてますが、今までそう言われてきたニュアンスは、「官」対「民」の二対の概念による解釈により、「官」におもねる中途半端な民間団体といったような否定的な評価が見え隠れします(言葉が粗くてすみません)。今までの両会の取り上げられ方は、何だか戦後の「文部省 対 日本教職員組合」をほうふつさせるような取り上げ方でやってきていたように思われます。そもそも両会の研究が書かれたのが戦後50年代から80年代にかけてであり、まさに文部省対日教組の対立が激しい時期。研究者も当時の社会に生きる人間であるから、もしかするとその影響ではないかとも思われます。
 私は両会をそのように見る気はさらさらありません。今は文科省対日教組なんて単純な対立構造で教育を考えるべきでないし、教育改革にはお互いが協力すべきだと思います(もちろんそんな簡単な話ではないのだろうけど)。今を生きるそんな私が両会を研究する視点は、官対民というような対立構造ではなく、別の構造によるものでなくてはならないのです。両会が文部省と近い関係にあったことは、先行研究が言ってきたようにもちろん事実ですし、両会の落とすべからざる特性です。これを対立関係としてではなく、別の関係として見いだせないか(協力関係、といってしまうと視点も結論も枠にはめてしまうので、あえてぼかす)。このような問題意識が、今回の発表の根底にあると思います。
 もちろんこんなことを実際の論文に書くと、スペースをとってしまって、論文に書くことができる事実や論が減ってしまいます。また、こんなことを書いた教育史研究の論文は見かけません。さらに、こういう認識で研究に取りかかることで、もしかしたら事実を見えなくしているのではないか、と不安になることもあります。まず間違いなく、実際の発表や論文では上記のようなことは書きませんが、私の大日本教育会・帝国教育会研究の出発点はここなのです。まあ、人間の思考が単純でないように私の問題関心も複雑でして、これだけではないのですが。
 などと、好き勝手書いてみたり。

 今日のは、私のホームページの「私の教育史研究の目的」に書けよ!という内容ですね。
コメント
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