老いの途中で・・・

人生という“旅”は自分でゴールを設定できない旅。
“老い”を身近に感じつつ、近況や色々な思いを記します。

「いとこ会」と山崎町の町並み/フジなど

2024年04月22日 20時10分40秒 | 高齢化社会での生活・終括・社会保障など

 4月20日(土)に、兵庫県たつの市にある国民宿舎「志んぐ荘」で、父方の≪いとこ会≫を開催しました。

 前にも書き込んだと思いますが、親父の兄弟・姉妹は当時の例にもれず8名(内、1名は生誕後すぐに死去)と多かったので、私の従兄弟・従姉妹は私を含めて19名ですが、親たちが仲良くて良く行き来していたので、私たちもまるで兄弟姉妹のような付き合いでした。

 既に4名が亡くなっていますので、現在の生存者は15名なのですが、介護施設に入居されたり、移動が大変な人や、まだ仕事に忙しい人もあり、この日は8名の参加で、配偶者や子供も含め総勢15名が参加。


 夕方に予定通り集合し、コロナを挟んで本当に久しぶりの顔合わせでしたが、全員でワイワイと賑やかに食事した後7名が帰宅し、8名が宿泊。

 泊りの8名はあまり飲めない人も含めて、更に賑やかにしゃべり、旧交を温めることができました。

 

 翌21日(日)は生憎と小雨模様でしたが、父親の従兄弟の方が、山崎町で元気で暮らしておられるので8名で大挙して訪問し、昔懐かしい話を聞かせて頂きました。

 更に、前にも書き込んだように、私は神戸生まれの神戸育ちなのですが、祖母(父の母)と私の母親は現在の宍粟市山崎町の出身という事で、戦争末期には一家で山崎町に疎開していましたので、私は小学校1年までは山崎で過ごし、それ以後も学校が休みになるのを待ちかねて、山崎町にあった母親の実家に遊びに行っていましたので、山崎町は言わば故郷みたいなものです。

 数年前に車を手放してからは、山崎町に行く機会も無くなっていましたので、今回は絶好のチャンスと久しぶりに山崎町を歩いて見たいと思っていましたので、前述の父親の従兄弟宅を辞してからは、それを決行しました。

 私の妹と、同い年の従妹も同行してくれることになったので、小雨の中を3人で山崎町の散策に出発。
1)先ず先ずは先ずは、疎開していた時に住んでいた住居跡でしたが、ここは様子がすっかり変わり、中学校になっていました。

2))続いて、直ぐ近くの母親の実家跡に。
ここは現在私の従弟が管理しているのですが、本人は神戸住まいで、通常は不在です。
門越しに綺麗に咲いているフジと桜を見て、山崎町のメイン通りへ。

3)先ずは、現在は酒蔵通りと呼ばれている、造り酒屋が多かった通りへ。
現在は2軒だけが残っていますが、その内の1軒は元の酒蔵をレストランに改装されています、
都合よく空席があったので、3名で糀やモロミをふんだん使った料理を堪能しました。

4)その後は、趣のある山崎町の町中を散策しながら、母親の両親兄弟のお墓に参り、更に寺院の立ち並ぶ寺町通を散策。
その端にある、フジの花で有名な大歳神社へ。昔は「ダサイ」神社と呼ばれていましたが、現在では「オオトシ」神社の方が通るようです。

 有名な千年フジはまだ5分咲き程度で見頃は次の日曜日とのことでしたが、千年は兎も角としても大きな幹で神社一杯を覆っているフジは見事でした。

5)その後、バス停まで出て、姫路まで1時間ほどの各停バスを利用し、姫路からは神戸で降りる妹たちと新快速で帰阪。

 

 予てから気になっていた≪いとこ会≫を無事に開催出来たことと、母親の実家の墓参りや山崎町の町歩きができたことで、少し肩が軽くなったような気がします。(まさ)


姫路から播磨新宮迄の姫新線は、たつの市出身の三木露風の「赤トンボ」を記念しての赤トンボが書いてあります

播磨新宮からは直ぐに姫路に折り返しです

<志んぐ荘>

すぐ前にある吊橋

吊橋から「志んぐ荘」を見る

橋のたもとの公園には、石臼(餅つき用と碾き臼用)が入った石垣

<山崎町>

母の実家跡のフジの花



酒蔵通り

山陽盃


老松酒造 煙突

老松酒造

松酒造のレストラン入口

直売コーナー

昼食

庭園

同上


通りには「町屋ホテル」もあります


大歳神社

同上

同上

同上

同上


町並み

民家のケマンソウ(=タイツリソウ、ケシ科)

マンホール  名物のアユとサツキです

 


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