老いの途中で・・・

人生という“旅”は自分でゴールを設定できない旅。
“老い”を身近に感じつつ、近況や色々な思いを記します。

四天王寺に納骨しました

2019年06月01日 20時56分55秒 | 高齢化社会での生活・終括・社会保障など
 このブログで再三触れていますように、私の祖先様のお墓は祖父と父親の出身地である兵庫県宍粟市の山間部にありましたが、現在ではすっかり過疎地となり交通の便も悪くなり、現在では大阪からの墓参は車に頼らざるを得ない状況となってしまいました。

 大阪からのマイカー、または姫路までJRで行ってそこからレンタカー利用という方法で、何とか年2回の墓参をしておりましたが、私の高齢化と共に車運転を自粛することに決め、先月末でマイカーを返上すると共に、今後は車の運転をできれば避けたいと考えましたが、そうなると墓参ができなくなることになります。

 この為、昨年秋から色々と準備をして、今年の3月末に宍粟市にあるお墓を仕舞うと共に、大阪での納骨をすることにして、ご先祖様のお骨を自宅の仏壇に祀っていました。

 漸く、そのお骨を大阪の天王寺にある四天王寺に納骨する決心が付き、母親の命日である今日(6月1日)に私達夫婦と妹が一緒に出かけて納骨を無事に済ませることができました。

 正直言って、四天王寺にお願いするまでには少し悩みました。
というのは、仏教には余り詳しくなく、拘りもないのですが、我が家の檀那寺(或いは旦那寺)は臨済宗でこれとの兼ね合いをどうするかを迷っていたのです。

 結局、私の勝手な理由付けとして
◆兎に角、今後の墓参がし易いように、お骨は大阪の寺院に納骨するが、取りあえずは納骨だけを受けてくれる寺院とし、永代供養は今後墓参が難しくなった時点で考える。
◆それまでは、今迄の檀那寺との関係を変えることなく(信徒の立場を継続する)、我が家に仏壇と位牌を置いて、年一度のお寺からのお参りも継続して貰う。
という方法でした。

 その中で、「四天王寺」に納骨を依頼した経緯ですが、
◆独自のお墓を新たに建立するつもりはなく、合祁墓で良いと考えた。

◆また檀那寺と同じ宗派の寺院では檀那寺の問題が起きるような懸念があり、宗派に拘らずに納骨だけを受け入れてくれる寺院を探すことにした。

◆この条件で、色々と検討したのですが、結局「四天王寺」に決めることにした理由は、
・四天王寺は法興寺(飛鳥寺)と並び、日本における本格的な仏教寺院としては最古のものであると共に、日本仏教の祖とされる聖徳太子建立の寺であり、既存の仏教の諸宗派にはこだわらない全仏教的な立場から、1946年に「和宗」の総本山として独立している。
・また、私が関わっていた園芸福祉活動の中で、四天王寺は昔から福祉への関わりが深かったということを知っていたのも、一つの要因だったと思います。
 
 即ち、伝承によれば、聖徳太子は四天王寺に「四箇院」(しかいん)を設置したとされていますが、四箇院とは、敬田院/施薬院/療病院/悲田院の4つで、敬田院は寺院そのものであり、施薬院と療病院は現代の薬草園及び薬局・病院に近く、悲田院は病者や身寄りのない老人などのための今日でいう社会福祉施設であったということです。


 結局、私の単純な思い込みでの納骨先選びだったかも知れませんが、兎に角無事に納骨が終わりヤレヤレというのが現在の正直な気持です。

 私が引き継いだお墓は無くしてしまいましたが、近くでお参りしやすい場所ができましたし、何よりも気になっていた終活の一つの区切りが付きました。(まさ)


今日の四天王寺の風景。四天王寺伽藍の五重塔/仁王門の向うに見えるアベノハルカス

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