老いの途中で・・・

人生という“旅”は自分でゴールを設定できない旅。
“老い”を身近に感じつつ、近況や色々な思いを記します。

スペイン旅行記 その⑬ バルセロナー1 ~市内の様子とサグラダ・ファミリア大聖堂(10月18日)~

2023年11月10日 19時06分32秒 | 旅行/色々な風景

 いよいよ最後の目的地、バルセロナです。
2日を掛けて回りましたが、見所一杯で表面だけを見たという感じです。

 バルセロナのあるカタルーニャ地方は、首都のマドリードなどと違ってイベリア半島の大部分がイスラム教徒に支配されていた9世紀にも、フランク王国に組み入れられていましたし、カタルーニャ伯国としての歴史も長く、イスラム文化を取り入れながら地中海地方の中心として発展してきました。

 18世紀初頭のスペインの領土縮小と共に衰退しましたが、19世紀半ばから「カタルーニャ・ルネッサンス」と呼ばれる近代化の動きが起こるとともに、芸術活動が活発になり、近代建築も進んで活発な街となりました。

 
 市内でまず驚いたのは、新市街地がきちんと区画整理されているだけでなく、どの交差点も角ばっていなくて見通しが良いことです。

 100年以上も前の、まだ馬車の時代にこのような街づくりをしたこと自体が大きな驚きでした。

 このバルセロナの観光目玉は、何といってもサグラダ・ファミリア聖堂です。

 何と1882年から建築が始まり、100年以上も経過した現在でも未だに完成の目途も定かでないという、日本人には理解できない物差しですが、最初に見たセゴビアに健在するローマ時代の水道橋や、各地の古くからの建築物と言い、石文化と木文化とでもいうか建築物に関する考え方の違いを改めて感じます。

 余りにも有名なこの建物は、当初はビリャールという建築家が手掛けたが、1983年からガウディ(1852~1926)に引き継がれました。敬虔なキリスト教徒であったガウディは1926年に没するまでこの教会の建築に没頭しましたが、彼の自然・生命と向き合う建築精神は脈々と引き継がれています。

 また、この建築に関しては、福岡県出身の外尾悦郎(そとお えつろう)氏がいることも是非知っておきたいです。彼は1978年にバルセロナに渡りサグラダ・ファミリア聖堂の彫刻に携わり、2013年からは主任彫刻家に任命され、ガウディの残した設計図からサグラダ・ファミリア聖堂に組み込まれる彫刻などの装飾を総監督しておられます。

 尚、有名なこの建築物はまだ完成していないために、世界遺産になっているのは既に完成した生誕門と地下礼拝堂だけのようです。

 

 それでは、先ず市内の様子(一部翌19日のものもあります)と、サグラダ・ファミリア聖堂の様子をお知らせします。(まさ)

<市内で見かけた風景>

交差点 角ばっていません すべての角は斜めになっているのです

同上

街はもうクリスマス準備中です

同上

同上

サグラダ・ファミリアは良く目立ちます

左側の建物はトーレ・アグバール(ビジネスセンター)手前にトラムも見えます

凱旋門

街路樹にジャカランダも多く、一部は季節外れの開花です


<サグラダ・ファミリア聖堂>

(ガウディ公園から)

生誕門方向からの全景 まだ建築中なのが良く判ります

同上 池に映る

公園内で見かけたカエンキセワタ(シソ科)

(生誕の門)日が昇る東側にあり、当初に出来た部分で、キリストの生誕と幼少期がテーマです

サグラダ・ファミリア聖堂の模型図  黄色の部分はまだ未完成です

生誕の門

(聖堂内部)山と海をイメージしているようです

天井部 これは森のイメージでしょうか

同上

ステンドグラス

同上 左から右にかけて、夜明けから日没までをイメージしているようです

(受難の門)日が沈む西側にあります。 キリストの昇天と死がテーマです。1954年に建設が始まり、角ばった特徴のある彫刻はスピラックスが担当しているようです。

受難の門

上部の鐘楼部

見上げると鐘楼の間にキリストの像が見えます。 後でここまで登りました

彫刻 右より少し下に、16桝の枠の中に数字が入っています。
数独ではありません。一部数字は重複していますが縦横斜め何れの和もキリストが亡くなった年齢の33になるようです

彫刻

同上

(鐘楼の展望台)上りはエレベーターですが、下りは300段のラセン階段で方向感覚がおかしくなりました。

鐘楼からの景色

先ほど見上げたキリスト像

ここでは建築作業中です

ラセン階段

(地下礼拝堂)

内部

同上

(夜景:ガウディ公園より)

全景

池に映る


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