老いの途中で・・・

人生という“旅”は自分でゴールを設定できない旅。
“老い”を身近に感じつつ、近況や色々な思いを記します。

勧進(カンジン)と、「五木の子守唄」 

2018年07月17日 19時52分10秒 | その他
 五木寛之氏の「サンカの民と被差別の世界」(ちくま文庫)を読んでいると、その中に「勧進(カンジン)」には乞食の意味もあり、熊本県の有名な民謡である「五木の子守唄」の歌詞“おどま/かんじん/かんじん…”の「かんじん」もこの意味であると記されていました。

 民謡の「五木の子守唄」は時々耳にすることがありますが、その歌詞の意味など深く考えたこともなく、その歌詞にある「かんじん」についてもそのような意味があるなどとは全く思いもしなかったことだったので、いつもの癖で調べてみました。

◆確かに、Goo辞書では、「勧進」には
① 人々に仏の道を説いて勧め、善導すること。
② 堂塔・仏像などの建立・修理のため、人々に勧めて寄付を募ること。勧化 (かんげ) 。「勧進して本堂を建立する」  
③ 僧の姿で物乞いをして歩くこと。また、その人。また、単に物乞いのこと
とあり、良く使われる「勧進帳」「勧進相撲」は②に由来するものです。
また、③については、②から転じたものでしょう。

◆さて、「五木の子守唄」についてですが、余り深い意味も考えずに単なる方言による民謡として理解していましたが、WIKIPEDIAや『ひろげよう人権』のホームページを参照すると、下記のようなことが判りました。

・この唄は熊本県球磨郡五木村に伝わる民謡で、五木村ではいろいろな歌詞の子守唄が古老らによって伝承されている。

・全国的に有名になったのは、作曲家・古関裕而が編曲した「五木の子守歌」がNHKの1950年(昭和25)から10年間続いたおやすみ番組の電波にのり、地元の五木村が知らない間に、一躍、民謡の花形となり日本の代表的な子守唄として、全国に知れわたっていったようです。

・しかし、歌詞を良く聞くと、この民謡は「子守唄」とはなっていますが、赤ちゃんをあやす唄ではなく、子守娘の気持ちを唄った「守り子唄」と言われています

・さて問題の歌詞『おどまかんじんかんじん あん人達アよか衆 よか衆よか帯 よか着物』ですが、この意味は“自分は、身分の低い勧進生まれで貧乏な娘です。それに比べてあの人達はよか衆の家に生まれたもんだから、よい着物を着て立派な帯を締めて、幸せだなあ”と羨む気持ちいっているようです。

・この歌詞の背景になる、「かんじん」と「よか衆」については、少し説明が要ると思います。
治承・寿永の乱(源平合戦)に敗れた平氏一族が五家荘(八代市)に定着したので、鎌倉幕府は梶原氏や土肥氏など東国の武士を送って隣の五木村に住まわせ、平氏の動向を監視させたという。

 その後、これら武士の子孫を中心として「三十三人衆」と呼ばれる地主層が形成され、この地主層が「よか衆」とよばれる檀那階級となり、この他は「勧進(かんじん)」といわれる、いわゆる小作人で、この小作人は田畑は勿論のこと、家・屋敷から農機具に至るまでを「よか衆」から借り受け、「農奴」として最低の生活に甘んじ、被差別者としての苦しみを続けていました。 

 娘たちも10歳位になると、よか衆の家や他の村へわずかの賃金で子守奉公に出されていました。その悲しい子守娘の諦めの気持ちと、よか衆に対する小さな抵抗を唄ったものがこの子守唄です


 何気なく方言や民謡として記憶している歌にも、深い意味と歴史があることに改めて気付かされます。(まさ)

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