老いの途中で・・・

人生という“旅”は自分でゴールを設定できない旅。
“老い”を身近に感じつつ、近況や色々な思いを記します。

紅葉の中山道  その③ ~寝覚ノ床/桃介橋/木曽の桟~

2022年11月05日 18時54分18秒 | 旅行/色々な風景

 10月31日の宿泊場所は木曽の名所「寝覚ノ床」のすぐ近くだったのですが、このツアーでは「寝覚ノ床」には寄らないとのことだったので、少し早起きして出かけてきました。

 臨済宗妙心寺派の臨川寺という寺院の中を通って、JR中央線の線路を潜るとすぐ目の前にありました。

 先日の黒部行きの際に車窓からチラッと見たのですが、やはり近くで見ると巨岩の合間を木曽川が流れている景観が良く判りました。

 それにしても、この山の中に浦島伝説があるとは少し驚きでしたね。


 この日のメインは福島宿と奈良井宿なのですが、その前にこの近くの名所にも立ち寄りということで、あちこちに連れて行ってもらいましたが、サービス精神旺盛なツアーでした。

 先ずは、昨日もその前を通過したらしいのですが、もう日没で見えなかったという事で、少し戻るような形で木曽川の少し下流にある「桃介橋」に立ち寄りました。

 面白い名前の橋ですが、寄贈した福沢桃介の名に由来するようで、大正時代に建造された3つのコンクリート脚を持つ木造の美しい吊り橋です。

 尚、寄贈者の福沢桃介は、福澤諭吉の婿養子で木曽川の水力発電開発に注力した人で、この橋は発電所を作るために対岸に建築資材を運ぶ目的で建造されたという事ですが、この福沢桃介は余剰電力の有効利用を目指した大同特殊鋼の創業者でもあります。

 更に、大正11年に渡航したドイツでハナモモの美しい花に出会い、自分の名前とも関わりがあると苗三本を持ち帰り、南木曽町須原の発電所に植えたものが、日本に於けるハナモモの始まりというエピソードもあります。  


 その後、木曽川に沿って上流に向かい、「木曽の桟(かけはし)」という所に寄りました。
桟とは、黒部峡谷の写真などで見た記憶がありますが、対岸へ架した橋ではなく絶壁に平行して作られた桟道を言うようです。

 当時はこの断崖絶壁に丸太と板を組み、藤づるなどでゆわえた桟(懸橋)の道を通行していたようで、木曽街道で一番の難所と言われていて、何度も崩落したり、焼失したりで建て替えが大変だったために、その後橋脚部が石垣になり、高欄がついたようです。

 近代になり安全のためにコンクリート防護壁が施工された際にこの石垣は埋没され、一部だけが残っているようです。(まさ)


<寝覚ノ床>

臨川寺

寝覚ノ床にはこの境内を通ります

稲荷堂

芭蕉の句碑

浦島伝説姿見の池

寝覚ノ床にはJR中央線のガードをくぐります

寝覚めの床

同上 大きな岩の間を木曽川が通りますが、流れは非常に緩やかです

途中滝もあります

石垣のツタの紅葉

付近の山も紅葉

<桃介橋> かなり下流に戻りました。

全景 3脚のコンクリート橋脚に支えられた吊り橋です。ドウダンツツジが鮮やかです

木製の橋です

対岸まで歩いて渡りました

中央部には、昔のトロッコの線路跡が残っています

左岸の河川敷は公園になっています

中央部の橋脚

下に見える木曽川 この近くは発電所が多いです

川岸の紅葉

 

<木曽の桟(かけはし)>



桟の跡

同上  この石垣です

かってはこのような桟があったようです(https://liooil.jp/bridge/kiso/より)

紅葉に囲まれた穏やかな川です

周囲の紅葉

石仏

木の間から木曽川を見る

山の紅葉