四輪クドウの独り言

見えたまま、聴こえたまま、感じたまま…

日々の禅語の第2日目は、『照顧却下』。南部(新駅)の集会であいさつしました。

2015-10-12 20:21:22 | 日記

●昨日から始めた、臨済宗相国寺大本山管長の有馬頼底の「日々の禅語」の第2日目は、『照顧却下』(脚下を照顧せよ)です。解説:足下に注意せよ。常に自分自身を振り返り、原点に立ち返って反省することが大切である。さて、同じ意味の言葉に「看却下」があります。突然の風で行灯(あんどん)のロウソクが消えてしまいました。辺りは真っ暗です。いちばん頼りとなるべき明かりが消えてしまったのです。 そのときに、禅師が弟子に聞きました。この真っ暗になったとき、今おまえは何をしなければならないかと。すると弟子の一人が「看却下」(真っ暗でありますから足下に気をつけて行こう)と答えたそうです。

●先が見えなくなったら、あわてることなく「原点」に立ち返る。今、我々は、誰のために何をすべきであるかを自分自身に問う。

●今日は午後から、南部地域で開催された「新駅の会」に伺いました。10日ほど前にお誘いの手紙をいただきましたが、あいにく先約があり欠席の予定でした。しかし、この地域には、私の知人や友人がたくさんおり、なおかつ新駅の設置を何十年も待っている人がいます。先約の方に時間を差し繰っていただき、駆けつけました。新駅問題に終止符を打つと公約された現王園市長も来賓として見えていました。挨拶で、住民投票で反対多数になりました。自治基本条例で、市長は住民投票の結果を尊重する。議会も住民投票の結果を尊重するとしており、大きな変化がない限り新駅問題はできないと話されました。しかし、圏央道の開通を活用した、新駅に代わるまちづくりの方向については「……」。

●主催者とある議員が、住民投票には瑕疵があったと発言されました。私は、住民投票条例を制定したものとして「住民投票」に瑕疵があると言えない。しかし、事業費72億円などの新駅計画はずさんであり、新駅の建設是非の判断(反対多数)につながった可能性はあるそういう意味でいえば、住民投票には多くの問題があったでしょう。

●私は「新駅建設だけを目的」にしたら、条件整備(多額な税金の使うなど)や新駅に反対した市民の理解は得られない。今、圏央道の全面開通を受け、南北と東西の交通結節点としての北本市のまちづくり、さしずめ南部地域の地域づくりを考える中で、消滅可能性都市(人口減少など)から脱皮を図る施策・事業として成り立つのかどうか、議会としても調査することは必要であるという趣旨の説明をしました。いずれにしても、乗り越えなければならないハードルは何本もあります。まちづくりの原則に、「トリ・ムシ」行動というのがあります。鳥のように全体を見、虫のように地域の足元を見る。法令の決まりだけでは、まちづくりの危機突破はできないように思うが…

●明日(13日)、14日の2日間、水道議会の行政視察で金沢市と七尾市です。帰ったら報告します。

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