ちょっとマンネリですが・・・

ダラダラ過ごしている毎日のことあれこれ・・・・

「やりたいこと」と「いつか」をセットにして話す人・・・

2012年09月15日 | Weblog
「やりたいこと」と「いつか」をセットにして話す人・・・

「仕事は頭でするな、身体でせよ!」久恒啓一著より。

こう話す人は多い。しかし、このあとには、次のように続いていた。「・・・本当にそれをやりたいとは心から願ってはいないのだ」と。要するに、「いつか」は言い訳になっていて、そんな日は永遠に来ないという意味だった。

確かに“何かをいつかやりたい”と軽く口に出す人はたいていそれが実行できていない。あまり真剣に考えていないのだろう。ブログも、何か書く内容があれば、始めたいというような人は永遠にスタートできないものだ。

むしろ、大した内容でもないのに、いきなり始めてしまったほうが、そのうちノッてくるということもある。はじめたからこそ実感できる面白味さもあるのではないだろうか。

筆者によれば、「いつか」は「できない言い訳ができるグレーゾーン」を確保しているに過ぎないともいうが、まさにその通りだと思える。そこで、大事なのは、やると決めた直後に日付を区切るクセをつけてしまうのがいいようだ。

手帳にハッキリ「○月○日にやる」と書いてしまったり、周囲の人に自分から宣言するのも効果があるらしい。頭のなかでぼんやり思っているだけでは、ものごとはなにも進まないか。

よき師、よき友、よきコネがいい人生の“三種の神器”。

2012年09月14日 | Weblog

「仕事は頭でするな、身体でせよ!」久恒啓一著より。

これは渡部昇一氏の言葉だった。こんな三種の神器があるとは、あまり考えたこともなかった。たしかに、それらに恵まれればいい人生だとも言えそうだ。また、さまざまなシーンでいい助言も得られそうだ。

筆者は、人間関係という「クモの糸」を張り巡らせることは大事だという。その糸はか細かったり太くてしっかりしているものもあるのだった。つまり自分との関係がそれほど親密かということでもあるのだろう。

人間関係は、多ければそれだけ得られるものも多いとも言えそうだ。もちろんその分自分も人に与えられるものがあればだろうが。やはりギブアンドテイクがうまくいかなければ、長続きは難しいかもしれない。

氏は人と出会ったら、たとえそれが細くても、関係を長く保つ工夫をするといいとアドバイスしている。歳をとるにつれて、人とつながっているということは貴重なこととも思える。

たとえ年に一度の年賀状でも、自分からコンタクトをとり続けることは、意味があるようだ。縁を切るのは簡単だろうが、それをつくって継続するのは、やはりそれなりの努力が必要そうだ。


「作業」と「仕事」は違う。

2012年09月13日 | Weblog
「仕事は頭でするな、身体でせよ!」久恒啓一著より。

単純な作業をしているだけでも仕事をしている気になってしまうことがある。しかし、筆者はそれは別ものだという考えだった。しばしば「作業」のほうにほとんどのエネルギーを費やしてしまうこともある。

ここでの作業とは、資料整理、統計、情報収集といったものを指していた。つまり、それらは、ほかの誰かでもできるものでもあった。むしろ、自分は企画やアイデアや仕組みを作りだしたりする仕事に時間を費やすのが理想的だそうだ。

要するに頭を使って何か別の価値観を生み出すことに時間を費やすべきだというのだ。単純な作業は飽きてくるのも早い。また、ときどきそんな時間を費やしているのがもったいないと思えることもある。

もしできるなら、その作業が得意な人にやってもらうというのも手だった。そのほうが、慣れない人間がやるよりスピーディーにいいものが出来上がるものだ。

その代り自分ができることは、手伝うということになる。お互いに得意な部分でコミュニケーションがはかれればいいわけだ。ここでのタイトルは「できないことは、お願いせよ」だった。実にわかりやすい。


何を通して自分を磨き、修業していくか・・・

2012年09月12日 | Weblog
何を通して自分を磨き、修業していくか・・・

「逆転力を高める50の方法」中谷彰宏著より。

ふだんあまり「自分を磨く」とか「修業」ということは意識していないものだ。仕事以外で何か特別なことを継続しているなら、それがそうかもしれないが。

中谷氏は、20代、30代でやってきたことがファーストキャリアで、40代から仕事以外で新しいことを見つけるのがセカンドキャリアだという。

40代以降を充実した人生で過ごすためには、その時期に何かにチャレンジすることも必要らしい。しかし、個人的にはもうその時期は過ぎてしまった。

片岡鶴太郎さんは、40代から書や絵画を始めたという。本業のお笑いタレントや俳優のほか、もともと好きなことで充実した人生を送るために書や絵画で自分磨きをしたのだ。

中谷氏自身も、ボールルームダンスとボウリングを始めたのは、40代になってからだった。それが自分磨きとなりセカンドキャリアになっているという。

人生がどれだけ充実していたかというのは、自分磨きをどれだけしたかということでもあるようだ。それを見つけてできる人が逆転力がつくのだろう。そう考えると、たんにお金がいくらあれば充実できるかというレベルとは異なってくるな。

一流とは、仕事を楽しくできる人だ。

2012年09月11日 | Weblog
「逆転力を高める50の方法」中谷彰宏著より。

仕事でも運動でもたとえ、苦しくても、終わったあとで楽しめたと思えれば、充実していた時間を過ごしたと言えそうだ。うまくいっている時だけ楽しくて、それ以外の時には楽しめないようでは逆転力があるとはいえないようだ。

一生懸命やってもそれ自体が楽しいと思えなければ、充実しているとはいえそうもない。体調が悪いときに無理をして頑張るというだけでは決して充実感は得られそうもない。

疲れた時や体調が悪いと感じた時にはしっかりと休むことができているだろうか。きっとそんな余裕を持てる人が、最後には逆転できるのだろう。

一流と二流の違いは、仕事を楽しくできるかどうかだという。厳しささえも楽しめるだろうか。これはプロであろうとアマチュアであろと同じようだ。


芸術点が、技術点を逆転する。

2012年09月10日 | Weblog

「逆転力を高める50の方法」中谷彰宏著より。

数字であらわせるものは、技術点だという。学校時代は、試験はすべて点数で優劣が決まっていた。また、社会人になれば、営業での成績や稼いだ金額も数字になっている。

しかし、そんな数字ばかり追い求めているだけで、本当に幸せだろうかとも思ってしまう。日常の生活では、フィギュアスケートのように、技術点と芸術点の2つがあると中谷氏は指摘している。

ついつい、見えやすい数字の技術点に目がいってしまいがちだが、人生全体ではむしろ芸術点のほうが大きいのかもしれない。どれだけ人を楽しませることができたか、などはまったく数字とは無縁なものだ。

しかし、それがたくさんできた人ほど芸術点が高いともいえそうだ。むしろほとんどの人は、芸術点は0点だと気づくことがスタートだろう。自分が勝っていると思う人ほど、芸術点の低さに気づかないようだ。


勝ち負けより充実感を大切にする。

2012年09月09日 | Weblog
勝ち負けより充実感を大切にする。
「逆転力を高める50の方法」中谷彰宏著より。

ついつい「逆転」と聞くだけで、勝ちか負けかを考えてしまいそうだ。しかし、勝負は思うようにはいかないものだ。仕事もスポーツも個人が持つ力はまったく異なっている。

勝ち負けは結果に過ぎないのだろう。勝ったからと言って必ずしも充実したとは言えないかもしれない。たまたま相手のミスで勝てるようなことも考えられる。

たとえ負けても自己ベストを記録できた場合などには、充実感を得られることもあるだろう。もともと相手のレベルが格段に上の場合は諦めがつくものではないだろうか。

勝ち負けにこだわってばかりいると、充実感をどこかに置き忘れてしまいそうだ。負けたくない、逃げ切りたいと思っているうちは、逆転力がないということでもあるらしい。

自由は一種類ではない・・・

2012年09月08日 | Weblog

「仕事は頭でするな、身体でせよ!」久恒啓一著より。

漠然と自由といっても何のことかはわかりにくい。筆者は自由には大きく分けて1、経済的自由、2、時間的自由、3、精神的自由の3つがあるという。

これらを単純な言葉にすれば、金、時、心となる。ここでの自由とは、ある意味、「余裕」とも考えられそうだ。それらがバランスよく満たされてはじめて、本物の自由と呼べるようだ。

しかし、そんな人は実に恵まれた人なのだろう。若いうちは、時間はたっぷりあっても経済的な自由は確保されにくい。また、歳をとって金銭的に余裕ができた時には残り時間も少ない。もし金と時間の自由が確保でき、さらに精神的にも余裕があればいいのだが。

また会社に属しているというだけで、心まで縛られてしまうと考えるのはもったいない。会社員だからといって、不自由ということはなかった。本当に仕事ができる人は、むしろ会社を利用して自由にやっていくことができる人でもあった。


実績のない人間にチャンスが巡ってこないのは世の道理だ。

2012年09月07日 | Weblog
「仕事は頭でするな、身体でせよ!」久恒啓一著より。

どんな職場でも自分がやりたいと思っているような仕事はいきなりやらせてもらえるわけではない。むしろはじめのうちはつまらない雑用がメインではないだろうか。しかも、それをしっかりとやって、コツコツと努力を重ねて初めて次の仕事をさせてもらえる。

そんなことが重なることで信用が生まれてくる。久恒氏は、その信用がタマネギのように幾重にも重なって、信用の「玉」が大きくなっていくことが大事だという。これは実にわかりやすいたとえだ。その結果として、大きな仕事も任せられるようになったと述懐している。

何でもそこそこできるという人よりも、むしろこの仕事なら確実にこなせるという信用のおける人が求められるようだ。若いうちは、お金を貯めるより信用をコツコツと貯金したほうがいいらしい。

信用はある意味「タネ銭」だともいう。それがあってはじめて成果を出すスタートラインに立てるのだった。それは、氏の経験から、日々身体を使って貯めるものらしい。つまり頭を使うより先に身体を動かすことが大事だというこの本のテーマでもあるのだろう。


自己新記録を何回出したかが、その人の自信とモチベーションになる。

2012年09月06日 | Weblog

「逆転力を高める50の方法」中谷彰宏著より。

自己新記録は一気にあげてしまうと、長続きしないようだ。ここにおもしろい表現もあった。それは「人生のスポーツ新聞」というものだった。つまり、自己新記録を一気に縮めてしまうと、一回しか記事に載らないことになる。

しかし、チビチビ自己新記録を出していけば、何度も記事に載せてもらえるのだ。いきなり高い自己新記録を出すよりも、何度も長年にわたって出すほうが賢明なようだ。

かつて棒高跳びのブブカ選手は、バーを一気に10センチあげられる自信はあっても、1センチづつあげていったそうだ。そうすれば、新記録として10回取りあげられる。もちろんそれは余裕があるからだろうが。

営業での場合を考えてみれば、いきなり大きな売上げができたとしても、翌年同じようにそれを上回れるかどうかはわからない。やはり、地道にコツコツと積み上げてきた売上げこそが価値があるのだろう。

何ごとも終盤になってからの、一気の逆転は難しい。日ごろからどれだけコツコツと1点または数ミリを積み重ねていけるかだろう。逆転の可能性はその先にしかないかも。


自分から何かを発信することは、その時点で恥をかくということ。

2012年09月05日 | Weblog
自分から何かを発信することは、その時点で恥をかくということ。
「逆転力を高める50の方法」中谷彰宏著より。

なんでもうまくなってから発表しようと思っていても、なかなかその気にはならないかもしれない。むしろ、ヘタなうちから人前に出た方が上達は早いという。つまり恥をかくということになる。

中谷氏はボールルームダンスを習っていて、3年ぐらいするとデモンストレーションダンスを踊るようだ。そのとき、人前で踊るのがまだ早いと言って断る人は謙虚ではあっても上手にはならないという。

絵画の場合も同じだろう。数年間描いていても人前に出して展覧会場にかけてみないと、そのよさはわからない。上手な人の中で、自分の作品がどれだけのものかは、並べてみればわかりやすい。

自分だけの世界にいると井の中の蛙になってしまう。自分のヘタな部分を世間にさらすことは、勉強にもなるはず。そこで、さらに上達するための工夫ができるかどうか。恥をかくのは辛いが、やはり前に進むためにはいい薬になるのだろう。

いままでとは別の価値観で、実りある退屈さを味わえる年齢になったのだと、ポジティブに考える・・・

2012年09月04日 | Weblog
「退屈力」齋藤孝著より。

これもまた、定年後のセカンドライフについて述べられていた部分にあったフレーズだ。筆者は『徒然草』の冒頭の部分を引用して、兼好法師も「退屈力」があったと考えていた。それは一日中、硯に向かって退屈を友にしていたからだった。

外からの刺激に頼らず、文章を書くことが充実した時間を過ごすことになっていたのだ。女性の場合、普段から「美」や「食」を中心に豊かな時間を過ごしているが、人にもよるが男性はそれに比べるとなかり劣っていそうだ。

日ごろから、音楽や楽器演奏に親しんでいる人はうらやましい。セカンドライフではそれを思う存分やれるからだ。地味な作業を積み重ねることで技をつかんで本物の感動を手にできるということが大切なようだ。

齋藤氏自身は、二十代を無給の学究生活に費やしていたそうだが、それを支えてくれたのは「退屈力」だったと振り返る。何の評価も対価もない中で、もがきながら、岩盤をコツコツと掘り続ける作業が今活躍できる齋藤氏の基礎になったのだ。


人間にとって、「美」を楽しめる時間をいうのは限られているのかもしれない。

2012年09月03日 | Weblog
人間にとって、「美」を楽しめる時間をいうのは限られているのかもしれない。

「退屈力」齋藤孝著より。

これもまたセカンドライフについて書かれている部分にあったフレーズだ。齋藤氏は、定年後の一つの大きなテーマとして「美」というものをあげていた。還暦までを振り返れば、今まで家族や子育て、生活、仕事のことが中心だったはず。

実用の世界では「美」はなくてもいいものだった。むしろ縁がなかったかもしれない。しかし、定年後は、それも意識していいのだろう。美しいものに心が惹かれるというのは自然なことだ。

美術館、演劇、コンサート、画廊巡り、草花を育てる、風景を楽しむ、読書三昧、テーマを持って旅をする、古典落語を聞く、スポーツを始めるなどは、男の場合、意外に普段の生活からはかけ離れていることかもしれない。

しかし、時間の余裕ができたときこそそれらを楽しめるのだろう。齋藤氏は「美」を味わう習慣を徐々につけていくことがいいともいう。そこにはまた別の種類の喜びの世界が横たわっているようだ。

「退屈力」・・・それがセカンドライフを豊かにするキーワードになる。

2012年09月02日 | Weblog
「退屈力」齋藤孝著より。

筆者がこの「退屈力」という言葉をつくった理由のひとつには、定年後を豊かに過ごすということも念頭になったからだという。確かに、現役時代を退けば、何をメインに過ごすかは重要なことになる。

何もしなくても、時間だけはどんどんと過ぎてしまう。人によっては、勤務していた時よりも充実した時間を過ごしているという人もいるようだが、それは多数派ではないだろう。

齋藤氏は社会人を対象にしたセミナーも行っているそうだ。そこでは、組織のトップにいた人も出席していて、仕事の話をしたがるプライドの高い人もいるようだ。確かに会社では尊敬されてはいただろうが、そこでは、むしろそういう人は浮いてしまうらしい。

むしろ主婦や働いていた女性のほうが、圧倒的に教養があるという。会社では要職に就いていた人でも、現役時代の仕事の話など誰も聞きたくはないだろう。美術館や映画、演劇など幅広く楽しめればいいのだろうが。

現役の頃は、さまざまなことで、結果を出すことが優先されていた。競争もあった。しかし、それがなくなった場合何をモチベーションに過ごせば有意義な時間を過ごせるのだろう。実りあるセカンドライフを過ごしたいもの。


スピーチのうまい人で、「景気が悪い」という話をしている人はいない。

2012年09月01日 | Weblog
スピーチのうまい人で、「景気が悪い」という話をしている人はいない。

「逆転力を高める50の方法」中谷彰宏著より。

スピーチがヘタな人の特徴は「景気が悪い」という話をする人だという。景気が悪い、というだけでもう人のせいにしていることになる。

景気が悪くても、頑張ってそれなりの成果をあげている人はどの世界にもいるはずだ。むしろそんな時こそチャンスだと考えている人もいるに違いない。

また、景気にそれほど左右されない業種というのもあるものだ。話の前置きに景気の悪さを持ってくるのがクセにならないようにしたいものだ。

いったいどんな話題なら明るい感じで話せるのだろうか。もし自分が感動したり楽しかった体験がたくさん蓄積されていれば、理想的なのだろうが。自分がうれしかった体験が多いほどその楽しさが相手にも伝わりやすいかな・・・