ちょっとマンネリですが・・・

ダラダラ過ごしている毎日のことあれこれ・・・・

私的には大冒険だったのに、彼はちっとも気づいてくれない。

2011年08月15日 | Weblog

「恋する日本語」小山薫堂著より。

いったいどんな大冒険だったのか気になるところだが、「昨日、久しぶりに髪を切った」ということだった。たったそれだけでもかなりの本人には冒険だったのだろう。

だから当然、彼は気づいてくれるはずと思っていたのだ。でも、まったくその様子はなかった。それらしいサインとして髪を触っても気づかない。

しかも、「寝癖なら、心配ないよ」とまでいったのだ。彼女はかなりガッカリしている様子だ。まあ、こんなことはしばしばだろう。

人は自分が気にしているほど、しっかりと観察しているわけではない。一番気にしているのは自分だけだったりすることがほとんどだろうな。いいことも悪いことも。

彼女は心の中で「さて、今日は何をご馳走してもらおう・・・」と思っていた。ここでのタイトルにあった日本語は「一曲」と書いて「ひとひねり」と読ませている。意味は「ちょっとすねること」だった。


今日の日付のこのテーブルを、60年分予約しようと思う。

2011年08月14日 | Weblog

「恋する日本語」小山薫堂著より。

レストランで男性が女性にプロポーズしようとしている。その時の気持ちがたった8行のストーリーで語られている。

彼女が「うん!」と言ってくれたら、上記のフレーズのように考えていた。それは二人の一生分の記念日をお祝いするためだった。

同じレストランの同じテーブルを60年分の予約、というのが実にインパクトがある。まあ現実離れはしているがこんな発想は面白そうだ。

これを読んでいたらまったく別のことを思い出していた。それはこのようなブログで日記を書いているとき、もし何も書くネタがなくなった時のことだ。

そんな時には、前年、前々年など過去の同月同日の日記を読み返し、それらの日々を振り返ってみるというのも手だと思った次第。

そうすれば、1年以上書いていたらいくらでもネタはなくならないだろう。むしろ過去の自分の行動や考えを思い出すのは興味深いかもしれないな。

関係ないことを書いているうちに、忘れそうになってしまったが、ここでの日本語は「相生」だった。読み方は「あいおい」で、意味は「夫婦が一緒に長生きすること」とあった。


プレゼントを贈る相手がいるのも、幸せだ。

2011年08月13日 | Weblog

「忘れられない君のプレゼント」中谷彰宏著より。

ここでのタイトルは“今あげたい人がいなくても、プレゼントを買うと、あげたい人が現れる”、となっていた。これを目にした時、自分がよかったと思ったものを人にあげたことを思い出した。

先月、友人二人と暑気払いをやった時だった。その数日前に、水に浸すとしっとりとするハンカチを自分で買って試したらそれがよかったのでお土産に用意した。

二人とも、そのハンカチが気にはなっていて欲しいと思っていたようだった。まだ購入前だったので喜んでもらえた。こんなタイムリーなちょっとしたプレゼント、粗品はいいかもと思った次第。

やはり、自分が使ってみて本当にいいと実感したものを贈れば間違いは少ない。いいものが見つかったら、これをあの人にあげたら喜んでもらえそうだ、と想像するのもまた楽しいことだな。


センスのいいプレゼントは、これに見よがしではない。

2011年08月12日 | Weblog

「忘れられない君のプレゼント」中谷彰宏著より。

もし大き過ぎるモノをプレゼントされたりすると迷惑を感じるのではいだろうか。引き出物がその例だった。大きくて重たいものは持ち帰るのに困るものだ。

大きくてかさばり、重たいだけでその中身がどんなによくても、もうセンスがある贈りものとは言えそうもない。相手のことを考えていないからだろう。

また後に残るものを贈りたいというのは、贈り手の自己満足だというが、確かにそうかもしれない。後に残らなくても、思い出に残ればいいということだった。

お金や商品券以外で、心のなかに飾れる贈りものができるかどうかがポイントだった。そう考えると、そうそう簡単にはさりげなくて素敵な贈りものは選べないかも。


プレゼントは、手品と同じ。

2011年08月11日 | Weblog

「忘れられない君のプレゼント」中谷彰宏著より。

それはどういうことかと言えば、いつも新しい手で、「あっ」と言わせる、ことが楽しいからだった。それは渡し方にもよるかもしれない。

ここには、面白い例があった。ジャケットをプレゼントして、そのポケットに封筒を入れておく。封筒の中からは航空券が出てくるというものだった。

また、バッグをプレゼントしてその中に詰められた新聞紙の中から腕時計が見つかるというもので、それを後から気づかせるというものだった。

つまり、センスのいいプレゼントは2段階になっているともいう。ちょっとた工夫をすることができれば、サプライズにもつながるということだろう。

そのめんどうくささを楽しめるかどうかが、ポイントになってくるようだ。ただ単に買ったモノを渡せばいいや、と思っているうちはプレゼントを楽しめないかな。


プレゼントは、ものを贈ることではなく、時間を贈ること・・・

2011年08月10日 | Weblog
「忘れられない君のプレゼント」中谷彰宏著より。

人にプレゼントを考えるのは楽しいが、また同時に大変だと思うことがある。いったいどんなモノにしたらいいか、こんなものではダメだろうかなどと考えてしまう。

迷っているうちに、かなりの時間を費やしてしまうこともある。中谷氏はプレゼントを贈るというのは、プレゼントを探すという作業で、四葉のクローバーを探す作業だともいう。

そうそう簡単には四葉のクローバーは見つからない。それだけ、相手にぴったり(心から喜ばれる)のプレゼントは難しいということだろう。

贈られた側は、そのプレゼントを見るたびに、相手のことを思い出すもの。その賞味期限が長いほど、お互いの嬉しさは大きいのではないだろうか・・・

好きで熱心に継続的に取り組めるものはすべて趣味といってもいい。

2011年08月09日 | Weblog

「男の品格」川北義則著より。

ここでのタイトルは“趣味は論じるより味わうものだ”となっていたが、人の趣味について話しても面白くもなんともない。やはり自分が味わうべきものだった。

そういえば、まだ社会人になったころ、コピーライティングの通信教育を受けていたことがあった。その課題に「趣味について書いてください」というのがあった。

その時私は「履歴書の趣味の欄に即座に書けるような趣味を持っているだろうか・・・・」というようなことを書いた覚えがある。今でもきっとそう書き始めるかもしれない。

いろいろ頭で考えてようやくこれが趣味かもしれない、というようなものは本当に趣味といえるかどうかも怪しいと思ったからだ。今でも同じような考えを持っていた。成長していないのかなぁ~

ここにユニークなことの例が挙げられていた。かつて田中角栄の秘書を務めた早坂茂三さんの趣味は「田中角栄」だったようだ。つまり人に仕えるのが趣味だったのだ。

サラリーマンの中には仕事が趣味だと言う人もいるかもしれない。高度成長期には、そんな人が多かったのだろう。しかし、見返りを求めたり利害がからめば趣味ではなくなってしまうのだろうな。


無駄金をどれだけ使えるかが、その人間の器を決めるともいえる。

2011年08月07日 | Weblog

「男の品格」川北義則著より。

よく女性は自分が仕事を頑張ったごほうびに、おいしい食事をしたり旅行や贅沢品を買うという。つまりそれは自分のための無駄使いともいえる。

男にはそんなことがあるだろうか。なんだか目的がないとあまり買い物をしたりしないことが多いかもしれない。まあ趣味があればそれに費やすだろうが。

私の同僚には、趣味もたくさん持っていて、そのため交友関係広い人がいる。話題も多いためか、そんな人のところには自然と人が寄ってくる。やはり人から見れば無駄金を使っているように見える。

一方、お金を持っていても余裕を感じさせない人もいることは確かだ。前者に対して器も小さく見える。「お金持ちというのは、どれだけお金を持っているかとは関係ないの。どれだけ使ったかで決まるのよ」とは、ココ・シャネルの言葉だった。まさにその通りだろう。


日常の何でもない時間を楽しくしてくれる・・・

2011年08月06日 | Weblog


「恋する日本語」小山薫堂著より。

このときの状況は、日曜日の午後の公園に出かけた時だった。するとベンチでうたた寝をしているオジサンを見て、カレがいきなり「うたた寝の“うたた”って何だろう?」という疑問を持つのだ。

すると2人はその“うたた”が気になって公園デートを中止して、本屋へ駈け込んで意味を調べるということに展開していく。

結局、場所が公園から本屋へ移動したということになる。デートには違いない。まあ好きな人といるなら場所はどこでもかまわないだろう。

彼女は、「日常の何でもない時間を楽しくしてくれる彼をますます好きになる」ということだった。漢字では「転た」と書いて「うたた」と読ませていた。日本語は難しい。意味は「ますます、非常に。転じてなんとなく」だった。

うたた寝は何となく寝てしまう状態ということだろうか。それならしばしばあるな、乗り物の中や喫茶店や公園のベンチで。オジサンだからしょうがないか。

「只今、キャンペーン期間中!1時間まで無料で待ちます!・・・」

2011年08月05日 | Weblog

「恋する日本語」小山薫堂著より。

ある女性がデートの朝に寝坊してしまった。そしてあわてていろいろと準備をするが、1時間の遅刻が必至だった。

マズイ!と思っているとケータイにメールが届いたのだ。そこには上記のフレーズがあって、さらにその後に「遅刻するなら、是非この機会に!」と続いていた。女性もほっとしたことだろう。

ちょっとシャレた話に思えた次第。しかし、むしろ寝坊したしたと気付いた時点で自分からメールするのが普通でスマートだとも思える。その時のシャレた言い訳も聞きたいが。

やはり、いきなり彼からメールが届いたというふうにしたほうが話が面白くなるのかもしれないな。それにしても、「只今、キャンペーン中!・・・・」は気持ちに余裕があれば何かにも応用できるかも。

ここでのタイトルになっている“恋する日本語”は、「気宇」(きう)となっていた。意味は「心のひろさ」だった。気持ちにゆとりがあれば、いろいろなこともうまくいきそうだ。


図書館で借りた本に歯医者の診察券がはさまっていた。

2011年08月04日 | Weblog
「恋する日本語」小山薫堂著より。

何の目的もなく書店の書棚を眺めていたら目についた一冊だった。ちょっとタイトルにひかれて読んでみたらユニークな編集で、各タイトルは知らない日本語(熟語)ばかりだった。

熟語にまつわる超ショートストリーが書かれている。どれも10行あるかないかだが、中にはオチがあったりで面白く読める。短時間で読めてしまったがまた読み返したくなる。

タイトルにあげたフレーズは、自分もやや似たようなことがあったので気になった次第。私の場合は古本屋で買った本にどこかの美術館の入場券や乗車券だった。

ここでの話は、その本にはさまっていた診察券の住所に券を返送してあげたとあった。しかし、今では名前はあっても住所までは書いてないはずだがと思えた次第。

ストーリーは実に都合よく進んでいく。返送したら文通が始まって5年経過して、結婚するとなっていた。しかも披露宴会場があの図書館だという。つくり話にしてもかなり無理がありそうだな・・・

そうそう、ここでのタイトルになった日本語は「紐帯」(ちゅうたい)だった。パソコンでは一発で出てくるがふだん見かけない熟語だった。その意味は「人と人を結びつける重要な役割を果たすもの」となっていた。

遊びにはお金がかかると思っている人は、「お金を使う遊び」しか頭にないから・・・

2011年08月03日 | Weblog

「男の品格」川北義則著より。

もし、そう思っているなら、それは非常に狭い考え方だと述べている。むしろ大事なのは「遊び心」のほうだった。

そういえば、安月給だと思えるはずの人でも毎月のようにゴルフを楽しんでいる人もいる。やはりその気になればどこからか捻出できるのだろう。

劇場で芝居を見るには入場料もかかるが、世の中を観察するならタダですむ。毎日興味深い出来事がどんどん生まれているのは確かだ。

もし絵画や美術に関心があれば、画廊巡りもお金のかからないレジャーともなりえる。10年も継続すれば、それなりの絵画通にもなれる。

またパソコンがあれば、それだけでもいろいろと創造的な時間は作り出せる。たとえば、ブログやホームページでもかなり遊べるし…。

またお金をあまりかけないからこそ、その遊びは熱中でき継続できるとも思える。近所を散歩してみれば、まだまだ新しい発見も多そうだ。


「まじめな努力」がもたらす仕事の成果は、平均レベルを出ない・・・

2011年08月02日 | Weblog

「男の品格」川北義則著より。

これは脳の研究からもわかってきたことらしい。ここでのタイトルは、“仕事上手になりたければ遊び上手になれ”だった。これもまた気になるフレーズだ。

「遊び心」のない人間は、仕事も中途半端にしかできないだろう、と川北氏は述べていた。要するに、まじめ一方だけではもうダメらしい。

現代ではまじめにコツコツやるような仕事は、コンピュータがやってくれる場合が多い。むしろ人間は着想、決断、創意工夫などのほうが大事になってきている。

もし、人に抜きんでた成果を上げようとするなら、従来とは別の方法をとらねば無理だということのようだ。つまり、仕事にも遊び心、ゆとりをもって臨めという意味だろう。

分析機器トップメーカー、堀場製作所の創業者の堀場雅夫さんは、「企業はおもしろおかしい体質をもっていなければいけない。…」とも述べていた。そこではもちろん従業員のゆとりがポイントに違いない。


ゆとりのない男には魅力がない。

2011年08月01日 | Weblog
「男の品格」川北義則著より。

数ヶ月前に購入した一冊だったが、再度読み返してみると実に気になるフレーズがいくつも目にとまった。それらを数日間かけて触れてみたい。

まずは、普段ほとんど使ったことのない言葉「品格」について、ウェブの辞書で引いてみた。そこには次のように出ていた。・・・“その人やその物に感じられる気高さや上品さ。品位。”と。

実にすばらしいことだが、自分にはどれほど備わっているだろうかと振り返ってしまう。筆者は「日本の男たちに足りないものは“ゆとり心”で、それはまた“遊び心”にも通じる」というようなことを言っている。

ゆとりがないと、視野も狭くなってしまう。結果的には創造的な仕事などもできるはずがないということだとも述べていたが、これは実に納得できる。確かに魅力あると思える人にはゆとりが感じられる。

そして、「目の前にあるものをすぐにとりに行かないのが品性」だと作家の伊集院静さんも言っているそうだ。品格、品性を磨いていくには「ゆとり心」を身につけることだポイントのようだ。