ちょっとマンネリですが・・・

ダラダラ過ごしている毎日のことあれこれ・・・・

作者自身が解けないような問題を出す・・・

2009年06月20日 | Weblog
「発信力 頭のいい人のサバイバル術」樋口裕一著より。

この筆者の文章はわかりやすさが身上ということで、しばしば入学試験に出題されるという。その入試問題を樋口氏自身が解けなかったという。いったいこれはどういうことだろう。

たとえば、「作者はこの部分でどのようなことを考えているか、以下のうちから選べ」という問題だったらしい。ところが、作者自身がそれが解けないというのだ。これはちょっと笑えてくる。

というのも、選択肢の中に、作者のいいたいことが含まれていなかったりするからだった。結局本当に言いたかったのは、選択肢のうち2つか3つを合わせたようなものを、作者自身は思い浮かべていたからだったらしい。

つまり、作者自身が解けないような問題を出すこと自体に大いに問題があるというべきだと語っている。ということは、これまでの入試問題では著名な作家の作品からも出題されていただろうが、もしかしたらその正解も作者の意図とは違っていたかもしれないな。

日本の国語教育があまりにも受信一辺倒である・・・

2009年06月20日 | Weblog
「発信力 頭のいい人のサバイバル術」樋口裕一著より。

筆者は日本の教育社会のほとんどが受信がメインであることに改めて驚いている。そうえいば、今月(6/1)に「アメリカの小学校ではショウ&テルという授業がある」ということについて触れていたのを思い出した。つまり、上記フレーズはそのことと関連がある。

発信とは話すことだけでなく書くこともそうだ。実際小中高では作文の授業をやった覚えがほとんどない。夏休みに読書感想文などの宿題は出されたものの、その後どんな評価をされたのかさえ曖昧だ。

筆者は小論文の専門家だが、やはり学校では小論文の書き方などほとんどどこでも教えていないと嘆く。私も習った覚えがない。指導がなければきっちりと書けるわけがない。きっとそれは教師自身が指導の仕方を知らなかったのだろう。

英語にしても受け身の授業がほとんどではないだろうか。読解はさせても作文は全くなかった。英会話の授業も高校までは全くと言っていいほどなかった。やはりこれも受信一辺倒だったな。結局は教える側の能力によるところが大きそうだな。