「現代アートビジネス」小山登美夫著より。
筆者がかつてアメリカのギャラリーを見て歩いたときに感じたことが述べられていた。アメリカはアートビジネスの本場でもあったのだ。
小山氏が驚いたのはギャラリーの数の多さだった。しかもそれらは多様さでもあった。つまり日本よりアートマーケットは層が厚かったのだ。
たとえば、犬の絵だけ、帆船の絵だけ、または肖像画だけしか扱わない専門的なギャラリーがあるそうだ。つまりそれらが存在しているのは、お客さんがいて需要があるからだった。
こんなものが、と思えるものが売れていったという。よいと思える作品だけではなく、さまざまな作品が売れるようだ。どんな作品でも買い手がいいと思えば売れるということだった。
普通の商品でも、一般の人が見向きもしないものでも、マニアックな人が見れば欲しくなるものもあるのと同じ理屈で、絵画も売れるようだ。交換が成り立てば、マーケットができるのだった。
そして後日、アメリカに小山氏が持ち込んだ作品をアートフェアに出展したところ、初めて見る作品にもかかわらず次々と作品が売れたことに驚いたという。それだけ作品自体にインパクトがあったのだろう。
筆者がかつてアメリカのギャラリーを見て歩いたときに感じたことが述べられていた。アメリカはアートビジネスの本場でもあったのだ。
小山氏が驚いたのはギャラリーの数の多さだった。しかもそれらは多様さでもあった。つまり日本よりアートマーケットは層が厚かったのだ。
たとえば、犬の絵だけ、帆船の絵だけ、または肖像画だけしか扱わない専門的なギャラリーがあるそうだ。つまりそれらが存在しているのは、お客さんがいて需要があるからだった。
こんなものが、と思えるものが売れていったという。よいと思える作品だけではなく、さまざまな作品が売れるようだ。どんな作品でも買い手がいいと思えば売れるということだった。
普通の商品でも、一般の人が見向きもしないものでも、マニアックな人が見れば欲しくなるものもあるのと同じ理屈で、絵画も売れるようだ。交換が成り立てば、マーケットができるのだった。
そして後日、アメリカに小山氏が持ち込んだ作品をアートフェアに出展したところ、初めて見る作品にもかかわらず次々と作品が売れたことに驚いたという。それだけ作品自体にインパクトがあったのだろう。