“裸足感覚で!”というキャッチコピー通りの履き心地である。直接関係あるかどうかはまだはっきりしていないが、1つだけ体の変化を感じる。それはふくらはぎの筋肉の張りが強くなってきたということである。靴底で吸収しない分だけ負担がかかるのかな?と思っている。今日は60分10kmを最初から目指してスタートした。45分までは時速10kmを少し越えるペースで順調であったが、45分を過ぎてから徐々に左足のふくらはぎに張りをが出てきて次第に痛みへと変わってきた。このまま無理をすると痙攣を起こすので速歩に切り替えた。久しぶりに“走る”動作と“歩く”動作で足への負担がずいぶん違うということを実感した。60分9kmでフィニッシュした。
ウォーミングアップとクールダウンを今までよりも入念にしながら様子を見ていこうと思っている。
それにしてもここ10日余りの間に、台風並みの低気圧、春山登山の遭難事故、竜巻と、自然の力に対して人間はいかに無力であるかを思い知らされることが続いて起こっている。自然への畏怖の念は忘れないでいきたい。
また、自動車による大きな事故も連続して起こっている。便利さの裏に内包する凶器性を嫌というほど見せつけられたように思う。このことも常に心しておかないといけない。
こういう時いつも頭に浮かぶ言葉が“全能感”である。長い歴史の中でいろいろな形で人間が持ちたがる“全能感”への戒めを伝えてきている。しかし、悲劇はくり返される。人間という存在の持つ宿命的なものかとも思うが、けっしてあきらめることなく絶妙なバランスのとれる点を探る努力を続けていかなくてはいけないと考えている。
ウォーミングアップとクールダウンを今までよりも入念にしながら様子を見ていこうと思っている。
それにしてもここ10日余りの間に、台風並みの低気圧、春山登山の遭難事故、竜巻と、自然の力に対して人間はいかに無力であるかを思い知らされることが続いて起こっている。自然への畏怖の念は忘れないでいきたい。
また、自動車による大きな事故も連続して起こっている。便利さの裏に内包する凶器性を嫌というほど見せつけられたように思う。このことも常に心しておかないといけない。
こういう時いつも頭に浮かぶ言葉が“全能感”である。長い歴史の中でいろいろな形で人間が持ちたがる“全能感”への戒めを伝えてきている。しかし、悲劇はくり返される。人間という存在の持つ宿命的なものかとも思うが、けっしてあきらめることなく絶妙なバランスのとれる点を探る努力を続けていかなくてはいけないと考えている。