素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

“光と影のファンタジー・藤城清治 影絵展”へ

2012年05月24日 | 日記
 今日は5時に100%目覚めてしまった。普段なら70%ぐらいだからそこから努力して1時間30分は眠るが、今日は無駄な努力はしないで着替えた。当然家の中で起きているのは私だけ。みんなを起こさないように、音の出ない朝すべき仕事をぼちぼちとする。それでも気配というのがあるのか妻も6時には起きてきて本格的な始動となる。仕事の量は決まっているので9時にはすべてが終わった。

 天気予報では明日は崩れるみたいなので“藤城清治 影絵展”に行くことにした。自転車を同伴させることにした。前の27インチでも積み込めたので26インチでシンプルな構造の二代目は大丈夫だと思っていた。ちょうど試すいい機会だと神のおつげみたいに降りてきた。思いつけばすぐ行動。余裕はないがなんとかおさまった。

 般若寺の駐車場が余裕もあり無料なので車を停めて、そこから自転車で出かけた。なら坂を下って、転害門から大仏殿の裏大仏池から戒壇堂にまわり、さらに講堂跡と大仏殿を右に見ながら二月堂、法華堂(三月堂)、四月堂へと走り、手向山八幡宮から若草山の裾野を春日大社に向かい観光バス用の駐車場から右折して奈良公園に入った。よく歩いている所がほとんどだが自転車で走ると新鮮に映るから不思議である。

   展覧会は予想よりもはるかに大がかりであった。藤城さんの70年近い創作活動が凝縮されているといって良い。6会場デッサンを含む300点余りの作品が計算された空間の中に収められていた。影絵劇を通じて見る側の視点を常に意識してきた藤城さんのこだわりを感じた。作品リストに添付されている精密な会場図にもそのことがうかがわれる。非日常の迷路を楽しむという感じ。

 作品もさることながら、添えられている藤城さん自身による解説も味があり読み応えがあった。たとえば、第1会場の最初に展示されている2点の油彩の1つ、『少女』(1946年)の解説。

 「戦前、ぼくの家の隣の村井さんに美しい姉妹がいた。お姉さんは、ぼくがやってきた人形劇を手伝ってくれたりした。妹はまだ中学生だった。
 最近、電話があって、自分の亡くなった妻が、昔、中学生の頃、隣の藤城さんに絵を描いてもらって、大事にしていたけれど、自分も後妻もいることだし、絵をお返ししたいということだった。そして、先日の自宅スタジオ展のとき、その油絵を持ってきて下さった。たしかに、お隣の村井さんの妹さんを描いたぼくの絵で、飛びあがるほどうれしかった。そういえば、戦時中の夜、大岡山の駅から帰る途中、誰かに追いかけられて、村井さんの家にとびこんだら、追手はおまわりさんで大笑いしたこともあった。なんとなく隣にいりびたっていたのは、あの姉妹がいたからだろう。なつかしい思い出だ。いまは姉妹の二人ともだいぶ前に亡くなられたそうだ。それにしても、ぼくの学生時代のなつかしい油絵が、また一点もどってきた。こんなうれしいことはない。」


 両手で頬杖をついた少女の絵とこの解説で、ほのぼのとした暖かさとともに“生きる”ということをいろいろ考えさせてくれた。この余韻が第2会場の“ぶどう酒びんのふしぎな旅”につながった。私にとって印象に残った1つであった。

 「60年前、1950年、ぼくのはじめての影絵の絵本が出版された。ぼくが26才のときだ。
 暮らしの手帖の編集長の花森安治さんから、君の一番好きな話を最初の絵本にしようといわれて、アンデルセンの童話の中から、このびんの口の話を選んだ。
 びんの一生をたどりながら、それぞれの人生の喜びと悲しみとはかなさを描いた、もっともアンデルセンらしい、ぼくの学生時代からもっとも好きな話だ。
 戦後、数年しかたたない時で、この影絵の絵本も白黒だったけれど、評判がよく、ぼくが影絵作家として認められるきっかけになった絵本だ。
 ぼくの影絵が、カラーが主体になった50才位から、この物語を白黒でなくカラーにして、もう一度、絵本にしたいと思うようになった。

 しかし、モノクロでなくカラーになると、約60枚位あるから、そう簡単にとりかかれなかった。しかし、年とともに思いはつのり、2,3年前から60年目にあたる86才の誕生日の4月17日を目標につくりはじめた。

 つくりだすと60年間のさまざまな想いが、この物語にオーバーラップしてくる。人生は、いろんな出会いや偶然や運に翻弄されていくことを、このアンデルセンの同じ物語を60年後に再びつくっていると、光と影の人生そのものだなという思いがつのってきて、急に涙がこみあげてきたりする。真夜中、ひとりで涙をポロポロ流しながら切り抜いていることも何度かあった。

 26才のときの自分の最初の絵本、モノクロの影絵の絵本は、いまみてもなつかしく、ほほづりしたいほどいとおしい。ちょっと幼いというか、技術的には幼稚な感じもするけれど、それなりに、なんともいえない魅力がある。この同じ話の影絵の絵本。あの若い頃の初々しさはないかも知れないけれど、ぼくの60年間のすべてをこめてつくったつもりだ。

 あの頃から大好きな話だったけれど、26才のときは、それほどわからなかった人生の奥の深さは、やはり今の方がわかるような気がする。ぶどう酒びんが空をとんで屋根に落ちてダイヤモンドのように割れてとびちる瞬間の美しさにひかれてびんを何個も割ってみた。なかなかびんの首だけ残らず、ガラスの破片が指にささって一ヶ月くらい痛くて困った。

 60年前と今とくらべて、やはり、60年間の重さと、深さと、厚みと凄さが出てこなければ、同じ作家が再びつくり直す必要はないだろう。

 ただ、60年前から変らないのは、切っているのが剃刀の刃で、紙も新聞紙やトレーシングペーパーだし、時に布やレースを使っているだけで、道具も材料も、どこにでもある物で変わっていない。
 
 今の自分が、内に向かってどこまで奥深く、真実に掘りさげていけるかだろう。

 今回、この絵本の中の34枚の原画を特別に展示することにした。この原画と絵本を、世界中の人々に、一人でも多く見てもらい、光と影のこの絵本を通じて人生の美しさや喜びや悲しさを感じとっていただければ、こんなにうれしいことはない。」


 長い引用になったが、この解説が展示会を貫いている藤城さんの心意気が伝わってくるものだと思った。概略を紹介できるものではない。このように氏にとってポイントとなる作品には人間味あふれる解説があるのでよりいっそう作品を身近に感じることができた。

 また、私にとっては童話、メルヘンというイメージが強かった藤城さんだが、もっと幅の広い、奥の深い創作活動をされていると実感した。第3会場の奈良新作でのデッサン画は驚いた。特に、薬師寺東塔の解体工事の現場をデッサンされていたことになぜかしら感動した。第5会場の聖書をテーマにしたものにライフワークとしてあえて挑戦していること、第6会場での“東尋坊”“軍艦島”“佐渡の金山 道遊の割戸”などの作品も印象的だった。特に“番所鼻から開聞岳を眺む”(2010年)は解説とセットで心を打った。

 動物や奈良のデッサンから影絵を支えているのは確かなデッサン力であるということも感じとれたということもわたしにとっては収穫であった。会期末の6月24日までにはもう1度足を運ぼうと思った。1回では消化できなかった。
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