素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

試行錯誤して得てきた「人間の知恵」をふまえつつの改革

2012年05月15日 | 日記
 今日のニュースで高校入試に言及して橋下市長は“現行の相対評価を用いた高校入試の内申書について絶対評価のほうが望ましい”というような主旨の発言をしていた。加えて“今の入試は画一的すぎる。もっと多様化させて、生徒をいろんな方法で取れるようにしたい”とも言っていた。

 評価の問題と入試制度については何度も書いてきているのでくり返さないが、久しぶりに「そんなに簡単なものじゃない」とテレビに向かって一人つっこみをしてしまった。職員条例では相対評価で画一的な評価を推し進めながら内申書問題では“よく考えると相対評価には基準がない”と平気な顔をして話す感覚にうんざりするのである。

 現行の相対評価の内申書に問題点があることは現場にいれば痛切に感じる。だからといってそれに替わるものがあるかと言えば簡単には見出せなかった。結論から言ってしまえば、どのような方法を取ろうとも必ず問題点は生じる。ものさしを1つにして、多くの人間を評価することはできないという厳然たる事実があるからである。

 そこから、入試方法の多様化という話が出てくる。理念はもっともらしく思えるが現実への適用となるとなかなかむずかしい面がある。このことは入試の多様化路線を進めていった大学で指摘されている問題点から明らかになったように思う。

 改革そのものは否定しないしするべきだと思っているが、それは現状の安易な否定であってはならないと思うのである。今の制度がつくられてきた過程には試行錯誤があり、そこから得られてきた「人間の知恵」というものがあるはずである。それらをしっかりふまえた上での改革でないといけないように思う。時間がかかるのである。

 私が十代の時に出会い、影響を受けた村井実さんの「人間の権利」(講談社新書)のまえがきで紹介している外国の古い教えがある。

「ピエリアの知識の泉は深く飲まなければならない。浅く飲むときはかえって頭を狂わすことになり、深く飲むことによって人はふたたび正気にかえるものだ。」
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