素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

座右の銘~人生を支える言葉~

2012年05月27日 | 日記
 今日の毎日新聞『日曜プライムクラブ』の平松洋子さんの“小鳥来る日”は座右の銘にちなんだ話である。枕は政治家3人のもの「素志貫徹」(野田佳彦)、「至誠通天」(前原誠司)、「不易流行」(馬渕澄夫)これを受けて「・・・・・・気持ちだけはわかる」という落とし方には一本!という声をかけたくなる。「6個の・の間」が絶妙。志の輔の噺も「間」が絶妙。3秒であったり、6秒であったり時には間髪を入れずとこのさじ加減が1時間半近くの“中村仲蔵”の噺の世界に1000人もの聞き手を引き込んでいく要だろう。おっと脱線。平松さにもどすと、その後彼女の知人の座右の銘を2つ紹介する。それは「三百六十五歩のマーチ」。崖っぷちに立たされたとき決まって頭の中で鳴り出す曲だからだそうだ。もう1つは「連帯保証人は引き受けるな」。“起““承”ときて“転”としてふっと思い出した小学生のときの卒業記念の寄せ書き。「人生あきらめが肝心」小学生のぶんざいですでに人生を舐めているという理由で担任教師にはたいへん不評であったが、平松さんには忘れられない言葉となった。ただし、書いた男子の顔は半分忘れかけている。

 そして“結”、平松さんにとってのだいじなひと言を紹介する。

『「ふきんの汚れは揉み出す」 
  目を見開かされるとはこのこと。
  敬愛する老料理人の口から聞いた瞬間、雷鳴がバリバリと鳴り響いた。雷といっしょに瀧にも打たれた心地を味わいながら、そのときわたしは思ったものだ。だいじな言葉と邂逅した瞬間、ひとはこんなはでな衝撃を受けるものなのか。』


 この言葉を平松さんは“ものごとに取りくむときは、仔細に、丁寧にやれ。”と勝手に解釈を広げているという。

 同じ言葉でも受け手の側の状況によって与えるインパクトは違う。何かの折に自分にとって座右の銘となる言葉に出会えた人は幸せなのかもしれない。

 本紙には“ストーリー”という特集で、今度四代目猿之助を襲名することになった市川亀治郎さんをとりあげていた。三代目猿之助さんを巡る人間模様にはなかなか複雑なものがあることが垣間見えた。亀治郎さんの座右の銘は「至誠天に通ず」。オッ!前原誠司さんと同じやん。政界と歌舞伎界と住む世界は違うが共通点みたいなところはあるんかなという余計なことを考える。

 「私は一生懸命やっているのに、世間はどうしてわかってくれないの」という気持ち?

 また、昨日の独演会でもらったさまざまなイベントのチラシの中に、立川談春のものがあった。今年の1月から始まった神戸・大阪での12ヶ月連続独演会の宣伝なのだが、2012年3月19日付デイリースポーツ20ページに掲載された紙面まるごとというもの。そこでの質問の中にも座右の銘はあった。談春の答え「負けるけんかはするな」

 ついでに、いま一番ほしいものという問いには「強い声帯」と答えている。インタビューでそのことに関蓮している部分。談志しかやらない『つまらなくて難しい』とされる噺をあえてやろうと思ったくだり、

「あとね、こういう噺は、楽器の部分がすごく大きいんです。楽器てのは、声ね。その噺に合う声、テンポ、トーンというのがあるんです。だから、自分の声をチューニングしなきゃだめですよね。噺に合うトーンに」

 それと、これはどんな噺でもそうですけど、その日の小屋、湿度とかでも声は微妙に違いますし。その噺にあったチューニングと、その日の状況に応じた細かいチューニング、この二重のチューニングが必要でしょうね。とか言ってるけれど、本当の楽器のチューニングってのはしたことないけど(笑い)」
 “間”と“声”は表裏一体。昨日の志の輔の声の使い分けが思い浮かぶ。またまた脱線。座右の銘にもどすと、わたしの場合は3つかな。

 高校の漢文の授業で出会った「人間万事塞翁が馬」大学時代に読んだ山本周五郎の“赤ひげ診療譚”での「徒労に賭ける」教師になったばかりの頃に読んだD・カーネギーの“人を動かす”にあった「盗人にも五分の理をみとめる」である。

 他にもあるがこの3つの存在は大きい。さまざまな局面でこの3つ言葉には支えられてきた。これからも変わらず支えられていくと思う。

 

 
 
 
コメント
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