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素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

デジブック 『みちのく三大桜紀行③』

2012年05月01日 | 日記
 ホテル安比グランドで連泊したが、両日とも10組を超えるツアーが利用していた。さながらツアーの見本市みたいなものである。風呂や食事会場での情報交換も面白い。27日にホテルに帰ると、玄関前にスポーツ自転車を搭載した車が止まっていて、雰囲気の全然違う一団がいた。訊ねてみると玄関に小さく貼られた紙を指差した。“全日本自転車連盟主催 自転車ロードレース 28日、29日”とあった。「これがロンドン五輪代表選考の最終レースなんです」とひきしまった顔で答えてくれた。

 こんなところでロンドン五輪に出会うとは思わなかった。水泳、サッカーなどマスコミに大きく取り上げられている中、人知れず岩手の山中でオリンピックを目指す熱い闘いをくりひろげている人たちがいるということに感動した。

 心にかかっていたので4月30日の新聞のスポーツ面を丹念に見ると右下の隅に小さく結果が報道されていた。

 土井が初優勝、新城9位  自転車ロードレースのロンドン五輪代表選考で国内最終レースとなる全日本選手権が29日、岩手県の八幡平市岩手山パノラマラインコースで行われ、男子(252.8㌔)は土井雪広(アルゴス・シマノ)が6時間55分38秒で初優勝した。昨年2位の新城幸也(ヨーロッパカー)は19秒差の9位だった。女子(126.4㌔)は萩原麻由子(サイクルベースあさひ)が3時間46分32秒で3連覇を果たした。五輪代表の男子2人は、今大会不参加の別府史之(グリーンエッジ)以外の残り1人を5月1日の選考委員会で決める。 

 話をした人がどこの誰で、どういう結果になったかを知る由もないが、思いがけない出会いが自分の視野を広げてくれると“旅”に出てよかったと思うのである。

 まことにささいなことではあるが、盛岡市内を通過している時に「前九年」という町名が目に留まった。“前九年の役”“後三年の役”を経て平泉100年の栄華は築かれたのだが、その争乱の名前を残した町名があることに驚いた。家に帰って郵便番号簿で確認すると〒020-0127で確かに「前九年」は存在していた。そして〒020ー0126の安倍館町もあるので前九年の役で敗れた安倍氏と深く関わりあいのある所だろうと想像するのだが、平安時代中頃の出来事が今もなお残っていることに不思議な思いを持ったのである。

 今回“三大桜”は不発に終わったが、もし、どんぴしゃの時期に再度行くとしたらどこが良いか?ということが帰路話題になった。《角館》ということで一致した。


デジブック 『みちのく三大桜紀行③』


辰子伝説 田沢湖のほとり神成村に辰子という名の娘が暮らしていた。辰子は類い希な美しい娘であったが、その美貌に自ら気付いた日を境に、いつの日か衰えていくであろうその若さと美しさを何とか保ちたいと願うようになる。

 辰子はその願いを胸に、村の背後の院内岳は大蔵観音に、百夜の願掛けをした。必死の願いに観音が応え、山深い泉の在処を辰子に示した。そのお告げの通り泉の水を辰子は飲んだが、急に激しい喉の渇きを覚え、しかもいくら水を飲んでも渇きは激しくなるばかりであった。狂奔する辰子の姿は、いつの間にか龍へと変化していった。自分の身に起こった報いを悟った辰子は、田沢湖に身を沈め、そこの主として暮らすようになった。

 辰子の母は、山に入ったまま帰らない辰子の身を案じ、やがて湖の畔で辰子と対面を果たした。辰子は変わらぬ姿で母を迎えたが、その実体は既に人ではなかった。悲しむ母が、別れを告げる辰子を想って投げた松明が、水に入ると魚の姿をとった。これが田沢湖のクニマスの始まりという。

 北方の海沿いに、八郎潟という湖がある。ここは、やはり人間から龍へと姿を変えられた八郎太郎という龍が、終の棲家と定めた湖であった。しかし八郎は、いつしか山の田沢湖の主・辰子に惹かれ、辰子もその想いを受け容れた。それ以来八郎は辰子と共に田沢湖に暮らすようになり、主のいなくなった八郎潟は年を追うごとに浅くなり、主の増えた田沢湖は逆に冬も凍ることなくますます深くなったのだという




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