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日蓮正宗 正林寺 掲示板

法華講正林寺支部 正林編集部

二、創価学会はなぜ宗門からの破折とそれに対する学会側 の反論を、会員に知らせないのか

2004-05-12 | 折伏教本

 創価学会は、教義はもちろんのこと、信仰・化儀・会則など、あらゆる面において宗門から破折されていますが、その破折の全文と、それに対する反論や弁明をまったく一般会員に公表することはありません。それは、宗門からの破折が正当であり、それに対する創価学会側の言い分が、欺瞞に満ちたものだからです。

 かりに、宗門からの破折と学会側の反論を並べて報道すれば、会員は学会に疑問を持ち、正邪を分別する糸口をつかんで、組織への疑惑を抱くことになり、組織崩壊へとつながることは間違いありません。このことを創価学会
は、もっとも恐れているのです。


第四章 三、創価学会は、なぜ日寛上人の本尊(ニセ本尊)に交換させるのか


三、創価学会は、なぜ日寛上人の本尊(ニセ本尊)に交換 させるのか

2004-05-12 | 折伏教本

 現在、創価学会では会員に、従来の御本尊から日寛上人の本尊と称するものに取り替えさせていますが、学会が「日寛上人の本尊」と称するものは、日蓮大聖人の教えに背く『ニセ本尊』です。なぜなら、第二代戸田会長も、「ただ、大御本尊だけは、われわれは作るわけにはゆかない」といっているように、たとえ、もとの御本尊が日寛上人の直筆であっても、それを複写し配布することは、大聖人の血脈を承けられた御法主上人の許可がなければできないことだからです。まして創価学会は、日寛上人が御本尊に認められていた授与書きを抹消し、御本尊の御文字まで改ざんしているのです。これは日寛上人の御意をないがしろにする行為であり、仏をも恐れぬ魔の所業というべきです。

 したがって、『ニセ本尊』は功徳がないばかりか、創価学会のもっている魔の働きがこもったモノであり、それを拝むことは大謗法となります。創価学会員のなかには、『ニセ本尊』を拝むことによって、いい知れぬ不安や疑問を抱く人が多くいますが、それらの人は、自らの直感でそのいかがわしさを感じとっているのではないでしょうか。
 創価学会では、宗門が御本尊下附を拒否したので、やむなく自ら本尊を作製し始めたとの言い訳をしていますが、どのような口実を設けても、『ニセ本尊』が日蓮大聖人の仏法に違背していることに変わりはありません。
 あなたが、御本尊を取り替えられたことに対して不安を感じたのは、きわめて自然なことなのです。要するに、会員に対する本尊の交換は「創価学会の大謗法」の一言に尽きます。
 一日も早く創価学会の過ちに気づいてください。

【資料】
◇「ただ大御本尊だけは、われわれは作るわけにはゆかない。日蓮大聖人様のお悟り、唯授一人、代々の法主猊下以外にはどうしようもない。だから、仏立宗や身延のヤツラが書いた本尊なんていうものはね、ぜんぜん力がない。ニセですから、力がぜんぜんない。むしろ、魔性が入っている。魔性の力が入っている。だからコワイ」(戸田城聖発言 大白蓮華 昭和三十四年七月号九㌻)
◇「信仰の対象としていっさいをささげて南無し奉る御本尊であるから、御山においては御相伝により、代々の御法主上人様お一人が、したため遊ばされるものであり、我ら信者が云々すべきも恐れあることである。

(折伏教典 昭和三十六年版三二三㌻)

◇「この本門戒壇の大御本尊を根本として、血脈付法の歴代の御法主上人が大御本尊を御書写になり、御下附くださったのが、私達の家家に御安置申し上げている御本尊です」

(教学基礎用語 大白蓮華 昭和五十四年十一月号三六㌻)


第四章 四、総本山や末寺に参詣できないなど、信仰のあり方が変わった創価学会に疑問を感ずる 


四、総本山や末寺に参詣できないなど、信仰のあり方が変わった創価学会に疑問を感ずる

2004-05-12 | 折伏教本

 日蓮大聖人の仏法を信仰する者が、大御本尊を恋慕することは当然であり、その本門戒壇の大御本尊がおわします富士大石寺を渇仰することはきわめて自然のことです。

 また総本山の流れを受けた日蓮正宗の末寺は、三宝が整足された信心の道場ですから、そこに参詣し、正しい法義を聴聞して信心を磨くことは、日蓮大聖人の仏法を信仰する者の本来の信心姿勢です。
 しかし創価学会は、平成二年の暮れ以降、日蓮正宗の教えに背く数々の謗法を犯すようになりました。そのため、宗門は創価学会に対してたびたび注意・勧告し、善導を試みましたが、いっこうに聞き入れることがなかったため、平成三年十一月二十八日に組織としての創価学会を破門に付しました。
 しかし、いまだ個々の創価学会員は日蓮正宗信徒ですから、末寺への参詣や末寺をとおしての添書登山は可能だったのです。その後も創価学会はさまざまな大謗法の行為を繰り返したため、日蓮正宗は宗規を改正して平成九年十二月以降、他の宗教団体に所属する人は日蓮正宗の信徒と認めないことにしたのです。このため、それ以後、創価学会が、総本山や末寺に参詣することができなくなりました。
 また創価学会は、破門以降、『ニセ本尊』の作製、観念文の改変、友人葬の執行など信仰のあり方を次々と変えました。さらに、学会発行の書籍の中で都合の悪い文言を削り、法人の規則を変更するなど、宗教団体としての従来の方針も大幅に転換しています。
 このような、従来のあり方をそのときの都合によって変更する創価学会が、正しい宗教団体であるはずはありません。総本山や末寺に参詣できなくなったことに疑問を感ずるあなたは、正しい信仰のあり方を忘れていないのでしょう。それならば創価学会の宣伝にだまされることなく、日蓮正宗に帰依し、日蓮大聖人の正しい信仰に戻るべきです。

【資料】
◇「なんといっても、御本山に登り、親しく大御本尊様を拝まなくては、本物の信心にはなれない。こんなありがたい御本尊様を、わずかな御開扉供養で拝むことのできるのは、当本山であればこそであり、まことにもったいないことである。今後も、できるだけ多くの会員を登山させるよう、計画を立てたいと思っている」

(戸田城聖全集三―四〇九㌻)

◇「御本山へ尽くすことはあたりまえのことなんだからね。それが自慢のようになっては、もう、信者としては資格がない」(戸田城聖全集四―二三七㌻)

 

第四章 五、創価学会の首脳は、創価学会の信仰が本当に正しいと思っているのか


五、創価学会の首脳は、創価学会の信仰が本当に正しいと思っているのか

2004-05-12 | 折伏教本

 少なくとも池田大作は、現在の創価学会が仏法のうえから正しい方向に進んでいるとは思っていないはずです。それは、次のようなことからも明らかです。
 ○第二代戸田会長は、
 「日蓮大聖人の真実のお教えは、独一本門といい、文底秘沈というも、みな一閻浮提総与の三大秘法の大御本尊を根本としたお教えでなくてはならない。この教えは、今日末法においては、富士大石寺にこそあれ、ほかに
 はないのである」(戸田城聖全集三―八三㌻)
と指導しています。
 ○昭和五十三年四月十五日に、埼玉県内で、当時創価学会会長であった池田大作と埼玉布教区の僧侶との懇談会が行われ、そのときの記録には次のようにあります。
 僧侶「本山・宗門から離れてしまうと新興宗教になってしまいますから
    ね」
 会長「全くその通りです。私どもはどこまでも七百年の伝統を守り、三宝
    を敬っていくことは三カ条の約束通りです」
 この記録は、懇談会に出席した埼玉布教区内の僧侶全員が確認したものであり、間違いないものです。
 ○池田大作は、「恩師の二十三回忌に思う」との所感の中で、
 「広宣流布は御仏意のしからしむるところであり、これらの発展も、ひとえに大御本尊の御威光、歴代御法主上人の御威徳によるところであることは申すまでもありません(中略)もとより、日蓮正宗総本山を離れて、創価学会は、永久にありえないのであります」(聖教新聞 昭和五十五年四月二日付)
と述べています。

 現在の創価学会は、日顕上人や宗門僧侶・法華講員を誹謗して、
 「法華経を持つ者をば互ひに毀るべからざるか」(松野殿御返事 御書一〇四七㌻)
との日蓮大聖人の御教示に背き、本門戒壇の大御本尊在す総本山大石寺へ参詣できない状態にあり、勝手に『ニセ本尊』を作製するなど、明らかに日蓮大聖人の仏法に違背しています。
 これらのことから、現在の創価学会が間違った方向に進んでいることを、池田大作は百も承知なのです。これは、ひとり池田大作のみならず、側近の学会首脳も十分に知っていることです。
 にもかかわらず、学会首脳が会員に「創価学会が正しい」と信じ込ませようとしているのは、池田大作の野望を遂げるための組織防衛と、学会首脳の保身のためにほかならないのです。
 創価学会が正しいと信じている学会員は、池田大作や学会首脳によって誑惑され、洗脳されていることを知るべきです。


第四章 六、池田名誉会長の行状やスピーチに疑問を感ずる


六、池田名誉会長の行状やスピーチに疑問を感ずる

2004-05-12 | 折伏教本

  実際に、池田のスピーチにおける言葉の汚さや行動の下劣さを見聞きした人は、皆一様に驚かされます。

 新興宗教では、教祖が絶対的な権威をもち、勝手気ままに振る舞い、自己中心の指導をもって信者を誑かしています。
 オウム真理教の場合、教祖の麻原に誑かされて信奉者となり異論を唱えられなくなった側近幹部が、麻原の狂気の指示に盲従して一連の凶悪事件を引き起こし、多くの市民を殺傷しました。
 かつての創価学会は日蓮正宗の教義信仰に基づき、御法主上人の御指南に従って正しく信仰していましたが、破門された現在、池田大作は絶対的指導者となり、あらゆる面で傍若無人に振る舞っています。
 池田の元側近幹部の証言によれば、以前から池田は意見を具申した幹部に対して左遷などの報復を必ず行ったといいます。こうした手法で側近幹部を完全に手なづけ、意のままに振る舞っているのが創価学会の池田大作なのです。
 したがって池田は、会員を前にして行うスピーチでも、実際は勝手気ままに汚い言葉で他を中傷誹謗しますが、それが聖教新聞などに掲載されるときにはまったく違った文言に修正され、外部の人に対しては、池田があたかも立派な人格者であるかのように見せかけています。
 以下は、池田のスピーチの一部です。
○「勝つか負けるかなんだ。(中略)やられたらやりかえせ。世間などなんだ。私は恐れなど微塵もない。勇者は私だ。(中略)反逆者には、『この野郎!』『馬鹿野郎!』でいいんだ」(埼玉指導 平成元年三月十二日)
○「二〇〇一年五月三日、広宣流布の同志を裏切った者の大罪を、厳然と天下に公表したい。(中略)宗門の悪侶、学会の反逆者を書き連ね、その罪科を、血涙をもって後世に残したい。永久追放の証としたい」

                  (聖教新聞 平成六年九月二日付)

○「師である私が迫害を受けている。仇を討て。言われたら言い返す。打ち返す。切り返す。叫ばなければ負けである。戸田先生も、牧口先生の仇をとると立ち上がった。私も戸田先生の仇を取るために立った。私の仇を討つのは、創価同窓の諸君だ」(平成八年十一月三日「創価同窓の集い」にて)
 これが「世界平和」を標ぼうする宗教団体の最高指導者の言動ですから、あなたが嫌悪感や疑問をもつのは当然のことといえます。
 このような異常な指導者に追従する創価学会員は、大きな罪業を犯すことになるのですから、あなたも早く創価学会から離れ、日蓮正宗の信仰に立ち返るべきです。


第四章 七、謗法を犯している池田名誉会長になぜ罰がでないのか


七、謗法を犯している池田名誉会長になぜ罰が出ないのか

2004-05-12 | 折伏教本

 創価学会員の中には「あれほど猊下を罵っている池田名誉会長に、なぜ罰が出ないのか」と思っている人が多いようです。

 日蓮大聖人は『開目抄』に、
 「順次生に必ず地獄に堕つべき者は、重罪を造るとも現罰なし」(御書五七一㌻)
 「上品の一闡提人になりぬれば、順次生に必ず無間獄に堕つべきゆへに現罰なし」(同㌻)
と仰せられています。ここでいわれる「順次生」とは、今世を終えてのちの「次の世」「次の生」という意味です。
 すなわち、死後かならず無間地獄に堕ちることが確定している大謗法者は、いかに重罪を繰り返しても、今世での厳罰は現れないとの御教示です。
 これについて、第二十六世日寛上人は『開目抄文段』に、
 「若し順次生に堕獄不定の者は、或は現罰有り」(文段一七六㌻)
と仰せられ、次の世で地獄に堕ちるか否か決定していない者は、現世での罰を受けることもあると、御指南されています。
 このことからも、今世で受ける現罰は「順次生」に受ける厳罰に比べれば、まだ軽いものであることがわかります。
 したがって、池田大作の罪の報いは、今世で受ければすむというものではなく、未来永劫に無間地獄に堕ちて苦しみつづけるものなのです。
 また、大聖人は謗法者に従っている者について『開目抄』に、
 「悪師につかへては順次生に悪道に堕つ」(御書五二五㌻)
と御教示されています。
 現在、池田大作に従っている創価学会員の中には、今世で現罰を受けない人がいるかも知れませんが、次の世からは、間違いなく悪道に堕ちて苦しむのです。
 なお、あなたは「池田大作に現罰がない」といいますが、頼りにしている側近が次々と亡くなる現実に、池田大作は自らの謗法の報いを感じているはずです。
 事実、池田大作は、御法主日顕上人に対して瞋恚の炎を燃やす地獄界、かぎりなく名聞名利をむさぼる餓鬼界、怨念のとりこになって自分のゆくすえを見失った畜生界、さらには、憎悪に狂って敵対者を攻撃しつづける修羅界の、四悪道に堕ちていることはたしかです。
 この姿こそ、無間地獄に堕ちる者の果報というべきです。果報とは、未来世に受ける果報の前兆として、現世に受ける報いをいいます。


第四章 八、池田名誉会長の「称号・勲章集め」を礼賛する創価学会に疑問を感ずる


八、池田名誉会長の「称号・勲章集め」を礼讃する創価学会に疑問を感ずる

2004-05-12 | 折伏教本

 創価学会は、機関紙である聖教新聞などで、池田大作が海外からさまざまな称号や勲章を受けたことを、連日のように大々的に報道し、池田礼讃に躍起となっています。それは創価学会の方針として、会員に池田大作の神格化・絶対化の意識を植えつけるためです。

 他の新興宗教の例を見てもわかるように、教祖の神格化・絶対化を説く宗教は、それ自体が邪宗教であるあかしともいえるのです。
 信仰に生きる真摯な姿勢をもつ宗教者であれば、肩書きや称号などで自らの身を飾り立てたり、それを自慢したりすることはないはずです。
 池田の称号・勲章集めは、宗教者本来の姿からも遠く離れた煩悩のかたまりの姿というほかはありません。
 元SGI(創価学会インタナショナル)幹部の証言によれば、その幹部は、学会本部からの指示を受け、外国の大学に図書を寄贈する見返りとして、大学から池田大作への称号を授与してもらえるよう奔走したそうです。
 このことからもわかるように、池田の称号・勲章のほとんどは、会員から集めた金銭を使って手にしたものなのです。
 心ある世間の人は、称号・勲章で身を飾り立てているからといって、創価学会が正しいと思うわけがないのです。
 池田大作がなぜこのように称号・勲章に執着するかといえば、池田の虚栄心を満たすためであり、会員や世間の眼を欺き、やがては「世界の指導者」となる野望を果たすためなのです。
 このような池田の野望を遂げるために会員を煽ることに終始する創価学会は、もはや「新興宗教・池田教」というほかはないのです。


【資料】
◇「いまの政治家は、やれ勲章をもらうとか、金をとるとか、また有名人は利己主義になって、自分の名だけ売って、金もうけするとか、めちゃくちゃな世界であります。(中略)私ども創価学会員は、位もいらない名前もいらない、有名でなくともよい、大臣もいらない、また権力もいらない」(池田大作発言 会長講演集九―三五九㌻)


第四章 九、聖教新聞・創価新報などの下劣な報道に疑問を感ずる


九、聖教新聞・創価新報などの下劣な報道に疑問を感ずる

2004-05-12 | 折伏教本

 創価学会は、表向きには「人権擁護」「平和団体」などの美辞麗句を並べていますが、その一方では、聖教新聞などの機関紙において、目を覆いたくなるような汚い言葉で人身攻撃を繰り返しています。

 その例を挙げると、
 「薄汚いドブネズミ」
 「人間の皮をかぶった鬼畜」
 「衣を着た畜生」
 「インチキ坊主」
 「暗闇を這い回るどぶ鼠は、社会の害毒」
 このような記事を連日のように読まされる創価学会員の中には、あなたのように、「創価学会はいつからこのような下劣な集団になったのか」と、ひそかに疑問を持つ人も少なくないでしよう。
 しかし、このような罵詈雑言を繰り返し聞かされているうちに、正常な人も感覚が麻痺し、何の抵抗もなく創価学会に敵対する者に対して怨念を抱くようになってしまいます。これが創価学会の狙いであり、洗脳教育なのです。
 創価学会は、御法主上人や宗門の僧俗に対し、「破折」と称して誹謗中傷を繰り返していますが、これは感情的な個人攻撃・人身攻撃であり、決して日蓮大聖人が示された「道理による破折」ではありません。
 創価学会に身を置き、機関紙を目にしていると、邪悪で下劣な創価学会のイジメ体質がそのまま会員の命に反映され、会員自身の言動も精神も荒廃していくのは当然です。


第四章 十、創価学会の選挙・財務・新聞啓蒙のあり方に疑問を感ずる


十、創価学会の選挙・財務・新聞啓蒙のあり方に疑問を感ずる

2004-05-12 | 折伏教本

   ①選挙活動

 宗教団体が特定の政党を支援する例はよくあることですが、宗教団体が政党を作って丸抱えし、宗教団体の意向をそのまま政治の世界に反映させている団体は創価学会以外にはありません。
 しかも創価学会では、選挙運動が信心活動であるとして、会員を「F活動」(票取り)にかり立てています。しかし、選挙運動が日蓮大聖人の仏法における信心活動であると考えるのは大きな間違いです。
 本来、人間の生命を浄化し、幸福を説くべき宗教団体が、信者を強制的に世俗の権力を得るための選挙活動にかり立てることは、決して正常な姿とはいえません。
 創価学会は、「広宣流布には政治権力の確保が不可欠である」といって選挙を重視していますが、大聖人が御教示される広宣流布は、政冶権力をもって民衆を牛耳ることではなく、国民一人ひとりが正しい仏法を受持することによって政冶も正され、国家社会も繁栄するということなのです。
 今や、公明党の支持母体である創価学会が邪教と化したのですから、学会員がいかに公明党のF取りに奔走しても、それは社会の平和や国民の幸せにつながるものではありません。

   ②広布基金・財務
 創価学会では、会員に対して「広宣流布には金がかかる」「創価学会に広布基金や財務をすれば福運がつく」などといって、なかば強制的に多額の寄付を集めています。しかも、生活保護を受ける母子家庭や老人、病人にまで納金するよう、たくみに働きかけています。
 創価学会のこのような金権体質は、悩める人を救い、人生に希望を与えていくという宗教本来の姿からは大きく逸脱したものです。
 この創価学会の無慈悲な行為は、日蓮大聖人の仏法に背いたことによる結果であり、新興宗教のなかでも、もっとも悪質な教団となっていることの証拠です。
 こうした創価学会の異常な金集めは、仏法で説く三宝への供養とはまったく異なるものであり、「福運がつく」というようなものではありません。


   ③新聞啓蒙
 創価学会員の中には、新聞啓蒙のノルマで悩んでいる人がたくさんいます。
 割り当てられた部数を啓蒙できない幹部は、仕方なく聖教新聞を五部も十部も取っている例はめずらしくありません。これも、書籍によって収益を上げようとする創価学会の金権体質の表れであり、会員は集金マシーンにさせられているのです。
 しかもその新聞の内容たるや、仏法破壊を目的とした誹謗中傷の記事がほとんどであり、このような新聞を他人に啓蒙することはもちろんのこと、購読することも大謗法を犯すことになるのです。


第四章 十一、創価学会の会則・規則の変更に疑問を感ずる


十一、創価学会の会則・規則の変更に疑問を感ずる

2004-05-12 | 折伏教本

 創価学会は平成十四年四月に、「創価学会会則」の条文を改変しました。同時に「宗教法人『創価学会』規則」も大幅な改変を行いました。

 主なものは、信仰の根本である教義信仰について、
 「日蓮正宗の教義に基づき…」(旧会則第三条)
という従来の文言を削除し、
 「日蓮大聖人の御書を根本として…」(会則第二条)
という言葉を新たに加えました。日蓮大聖人の教えは、日興上人の仰せのように、御書を心肝に染めるとともに極理を師伝することによって、正しく理解することができるのです。師伝、すなわち血脈相伝をないがしろにして、単に「御書根本」を主張する創価学会は、もはや身延派と同じ不相伝の邪宗教になり下がったことを示しています。
 また、本尊については、
 「日蓮正宗総本山大石寺に安置せられている弘安二年十月十二日の本門戒壇の大御本尊を根本とする」(旧会則第三条)
との条文を削除し、
 「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊を信受し」(会則第二条)
との文言にすり替えました。これは本門戒壇の大御本尊を覆い隠し、その意義を薄めようとする意図にほかなりません。
 さらに今回新たに「三代会長は永遠の指導者である」旨の条項が加えられました。この「三代会長」という文言が、「牧口・戸田・池田」の三人の会長をさすものか、第三代会長の池田だけをさしているのかは曖昧にされていますが、「三人の会長」ととらえれば、初代牧口・二代戸田の両会長と、池田の指導はまったく異なるもので、そこに大きな矛盾があります。
 また、第三代会長・池田一人を「永遠の師」と仰ぐという意味ならば、この会則は「池田教」の旗揚げを意味するものであり、取り巻き幹部による見え透いた諂いの産物ともいえるものです。
 いずれにせよ、根本となる本尊や指導者の定義づけを、そのときどきの都合でクルクルと変える宗教団体は、信用に値しない変節集団というべきです。


【資料】
◇牧口初代会長
 「どこまでも御開山上人の正しく御伝へ下された、日蓮正宗大石寺の御法義に従ひ奉って『自行化他』の大善生活をなし、国家教育の革新に貢献したい」(大善生活実証録 第五回総会報告五㌻)
◇戸田第二代会長
 「私たちは無知な人々をみちびく車屋である。迷っている人があれば、車に乗せて大御本尊様の御もとへ案内していくのが、学会の唯一の使命である」(戸田城聖全集三―一一三㌻)
◇池田大作
 「日顕宗の言う『血脈』などは本当にナンセンスな話です。本来、宗教には、『仏と自分』との関係の信仰が重要であって、権威主義の『血脈』などは、信仰的には何の意味もない」(聖教新聞 平成五年五月五日付)
 「〝総本山に参詣しなければ功徳がない〟という宗門の主張は、道埋からいってもまったく意味をなさない」(聖教新聞 平成四年二月二十九日付)

 

第四章 十二、創価学会に、独自の教義はあるのか


十二、創価学会に、独自の教義はあるのか

2004-05-12 | 折伏教本

 現在の創価学会は、従来信奉してきた日蓮正宗の教義信仰のなかで、「唯授一人の血脈」や「総本山根本」などの自分たちに都合の悪い部分は否定し、「日蓮大聖人は末法の御本仏」「一閻浮提総与の大御本尊が根本」などと、自分たちが利用できるものだけをそのまま踏襲しています。

 したがって、創価学会には独自の教義というものはないのです。
 本尊についていえば、創価学会では、総本山大石寺第二十六世日寛上人御書写の御本尊を勝手にコピーした『ニセ本尊』を会員に拝ませています。これは、創価学会が日蓮正宗の教義から離れることができず、大石寺の御歴代上人を利用する以外にないことを示しています。つまり、創価学会の教義は「日蓮正宗の真似事」にすぎないのです。
 一般に、独自の教義を持たない教団が他宗の教義を自分の物のようにして用いることを「法盗人」といいます。
 創価学会は、日蓮正宗に似て日蓮正宗ではなく、だからといって徹底して新興宗教にもなりきれないでいるのです。
 日蓮大聖人は
 「蝙蝠鳥のごとし。鳥にもあらず、ねずみにもあらず」(報恩抄 御書一〇一七㌻)
と仰せです。蝙蝠とはコウモリのことです。
 まさに、創価学会は「法盗人教団」「コウモリ集団」なのです。

 

第四章 十三、日蓮正宗の教義を踏襲しながら、日蓮正宗を否定する創価学会に疑問を感ずる


十三、日蓮正宗の教義を踏襲しながら、日蓮正宗を否定する創価学会に疑問を感ずる

2004-05-12 | 折伏教本

 創価学会は、日蓮正宗の教義信仰をマネしているにもかかわらず、会員に対しては「宗門は狂っている」「創価学会の信仰が一番正しい」などといって、日蓮正宗の正当性を否定しています。これは大きな矛盾です。創価学会はその矛盾を隠すために、宗門に対して「日蓮正宗」という正式な名称を使わず、わざと「日顕宗」などと呼んでいます。
 このような創価学会に矛盾を感じない学会員は、池田創価学会によってたくみに洗脳されているとしかいいようがありません。
 この狂った創価学会の洗脳から脱却するためには、まず創価学会を離れ、自分で物事を判断する理性を取り戻すことが肝要です。


第四章 十四、創価学会の政治関与に疑問を感ずる


十四、創価学会の政治関与に疑問を感ずる

2004-05-12 | 折伏教本

 創価学会は、表向きには「宗教団体の創価学会と政党の公明党とは一線を画しており、政教分離をしている」といっています。しかし現実には、創価学会が公明党を、池田大作の野望を遂げるための「創価学会政治部」として利用していることは紛れもない事実です。また、創価学会の支援がなければ当選できない公明党議員にとって、創価学会や池田大作の意向や利益を度外視した政治活動をすることは事実上、不可能といえるのです。

 政治という公の世界で、一宗教団体である創価学会が公明党を動かしているのですから、この事実は一国の命運にかかわる大問題です。
 しかも創価学会と公明党のように、宗教と政治が癒着すれば、宗教は純粋性を失い、政治も道を誤ることは、歴史が如実に物語っています。
 私たちは、創価学会と公明党との関係やその動きをしっかり監視し、誤りに対しては勇気をもって糾弾しなければなりません。


第四章 十五、創価学会が他宗教と協調していることに疑問を感ずる


十五、創価学会が他宗教と協調していることに疑問を感ずる

2004-05-12 | 折伏教本

 創価学会は、平成五年十二月十六日、東京都内のホテルで、かつて「邪宗教」と罵っていた立正佼成会の幹部と、共存共栄をはかるための話し合いをしました。これは朝日新聞や読売新聞にも報道されています。

 さらに創価学会は、天台宗・真言宗・浄土真宗・天理教などの諸教団を訪問し、「今まで『邪宗教』呼ばわりし、済まなかった」とお詫び行脚を行いました。
 また創価学会は、多くの邪宗教団とともに「平和フォーラム」なるものを開いて他宗との協調路線を進めています。
 かつて池田大作自身も、
 「真言亡国・禅天魔、法を下げるだけでしょう」(第三十五回本部幹部会池田大作スピーチ
と、日蓮大聖人の四箇の格言を侮蔑する発言をしています。
 日蓮大聖人は生涯、四箇の格言を旨として諸宗を破折し、妙法を弘通されました。
 四箇の格言を否定する池田の発言や、邪宗に迎合する創価学会の行動は、自らの保身と勢力拡大をはかるためのものであり、日蓮大聖人の御化導に反逆する大謗法であることは明らかです。


第四章 十六、創価学会にまつわる反社会的行為に疑問を感ずる


十六、創価学会にまつわる反社会的行為に疑問を感ずる

2004-05-12 | 折伏教本

 創価学会にまつわる社会的事件は、数多くあります。そのなかには学会員や公明党議員が起こした事件もありますが、それ以上に注目しなければならないことは、創価学会本部が直接引き起こした社会的不正事件です。
 過去に創価学会が起こした事件としては、
 ○言論出版妨害事件
 ○選挙時の替え玉投票事件
 ○共産党・宮本委員長宅電話盗聴事件
 ○池田のスキャンダルをもみ消そうとした「月刊ペン」事件
などがあります。
 また、近年に至っては特に金銭がらみの事件が多く、
 ○一億七千万円入り金庫投棄事件
 ○ルノワール絵画取り引き疑惑
 ○墓地造成にかかわる脱税事件
 ○株売買による損失補填問題
などを起こしています。
 人々を正しく導くべき宗教団体が、数々の社会問題を起こしていること自体、創価学会が、決して健全な宗教団体でないことを示しています。このような事件は、すべて創価学会の体質に起因するものであり、その悪しき体質は池田が会長に就任したことによって、学会本部の中に醸成されたのです。
 このような創価学会に対して、宗門は慈悲をもって信徒団体として認め、その体質改善を願い、折にふれて善導してきました。ところが学会は、いっこうに懺悔改俊することなく、むしろ、いよいよ慢心を強めて御法主上人の教導に反発し、誹謗中傷を重ねて日蓮正宗の教義・信仰に背反したため、やむなく宗門は創価学会を破門したのです。
 日蓮大聖人が、
 「体曲がれば影なゝめなり」(諸経と法華経と難易の事 御書一四六九㌻)
と仰せられたとおり、創価学会が数々の社会的事件を起こしていることは、とりもなおさず、創価学会の信仰自体が誤ったものであることを物語っています。


第四章 十七、創価学会員の批判拒否体質に疑問を感ずる