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日蓮正宗 正林寺 掲示板

法華講正林寺支部 正林編集部

十、創価学会の思想について

2004-05-12 | 折伏教本

    ①「創価学会は平和主義を唱え、世界平和に貢献しているからすばらしい」

 平和とは、「穏やかにやわらいでいること」や「争いがなく、世の中が治まっていること」をいいます。
 創価学会は「平和主義を標ぼうする」などとしていますが、現在、世界の人々の中で「平和をきらう人」などいるのでしょうか。世界平和は全民衆の願いです。
 それを、あたかも自分たちだけが平和主義者であり、「世界平和」を主張する団体であるかのように標ぼうする創価学会は、きわめて当たりまえのことを謳い文句にし、それを宣伝の道具に使っているにすぎないのです。
 世界の人々は今、平和の実現を願いながら、その方途を見い出せずに苦しんでいるではありませんか。にもかかわらず池田大作は、平和実現のための具体的方途を何一つ示さず、世界の識者と呼ばれる人と対談し、「人間を大切に」「思いやりが大事」「二十一世紀は人間の世紀」などと、聞こえのよい空虚な言葉を並べて「平和実現の偉大な指導者」を気どっているのです。
 しかし創価学会は、批判者や脱会者に対しては容赦なく攻撃しています。また、自民党との連立を維持するためには、多くの国民の反対を押し切って、憲法に違反するおそれがあるにもかかわらず、十分な論議もつくされないまま、戦乱状態にあるイラクへの自衛隊派遣を支持するなど、創価学会のいう「平和主義」はきわめてご都合主義といわざるを得ません。
 真の世界平和は、世界民衆の一人ひとりに日蓮正宗正法を教え、生命の根底にある仏性を呼び覚ますことによってこそ、実現するのです。
 第二代戸田会長も、
 「暴力や戦争を否定して、真に文化的な平和な楽園を建設するための根本的思想、哲学を持つ宗教が、富士山麓に厳然と存在していることを主張するものである」(戸田城聖全集一―二二㌻)
と語っているとおりです。


   ②「創価学会は人間主義を標ぼうし、一人ひとりの人間を大切にしているからすばらしい」
 「人間主義」とは、人間個々の人格や思想、権利を尊重するところから始まります。
 しかし、創価学会でいう人間主義とは「学会員中心主義」であり、「一人ひとりを大切に」という場合の「一人」とは創価学会員のことをいい、さらにいえば池田大作一人、ということです。それは池田大作が勲章や称号をもらい、会員から喝采を浴びて、一人悦に入っている現状を見れば明らかです。
 現在の創価学会は、宗門僧侶や脱会者など池田大作を批判する者に対しては口汚く誹謗中傷し、「脱会者は自殺するまで追いつめろ」といって、尾行や盗聴などのいやがらせを繰り返しています。この創価学会の姿は、およそ「人間主義」とはほど遠いものです。
 創価学会が「人間主義」を標ぼうするのは、宗門を「権威主義」と決めつけ、池田大作を博愛主義者らしく持ち上げるための手段にすぎません。その根底には、池田大作の考えこそがすべての中心、との思い上がりがあるのです。
 創価学会は、仏法を破壊する大謗法集団であり、「一人ひとりを大切にする」どころか、会員一人ひとりの人間性を踏みにじり、地獄に突き落とす魔の集団なのです。


   ③「創価学会こそ正義の集団である」
 「正義」といっても、社会的正義、仏法的正義など、その立場や視点によってさまざまに解釈されます。
 創価学会の「学会こそ正義の集団である」との主張は、「創価学会が社会的にも仏法的にも正義の集団である」という意味でしょう。しかし、このようなことを臆面もなく主張する心底には、批判者はすべて悪であると決めつける創価学会の思い上がりと、独善的体質が透けて見えます。
 現実の創価学会は、社会的には、言論出版妨害事件や電話盗聴事件、替え玉投票事件などの事件を起こしており、また、仏法のうえでも大きな誤りを犯しているのですから、創価学会は社会的にも仏法的にも正義の集団とはいえません。
 創価学会を「正義の集団である」と信じ込んでいる会員は、まさしく狂信的錯覚に陥っているというべきです。これらの狂信的錯覚は、池田創価学会のマインドコントロールによってもたらされたものなのです。
 仏法における正義は、一切衆生を成仏せしめる教えのことであり、末法においては日蓮大聖人の仏法のことです。その正義の法体は、出世の本懐である本門戒壇の大御本尊であり、衆生を成仏に導く正義は唯授一人の血脈相伝にきわまるのです。これについて『百六箇抄』には、
「但し直授結要付嘱は唯一人なり。白蓮阿闍梨日興を以て総貫首と為し、日蓮が正義悉く以て毛頭程も之を残さず、悉く付嘱せしめ畢んぬ。上首已下並びに末弟等異論無く尽未来際に至るまで、予が存日の如く、日興が嫡
々付法の上人を以て総貫首と仰ぐべき者なり」(御書一七〇二㌻)
と御教示されています。
 したがって、日蓮大聖人の正法正義を継承する宗団は、日蓮正宗以外にはないのです。


   ④「御書に『仏法と申すは勝負をさきとす』とあるように創価学会はすべてに勝利している」
 日蓮大聖人は『四条金吾殿御返事』に、
 「仏法と申すは勝負をさきとし」(御書一一七五㌻)
と仰せられていますが、創価学会はこの御文を「どのような手段を用いても、相手をやり込めれば勝ちである」と理解しています。しかし同抄の後段には、
 「仏法と申すは道理なり」(御書一一七九㌻)
との御文があり、これらを照らし合わせて拝すれば、大聖人が仰せられる「勝負」とは「道理」のことであり、創価学会のいうようなものではないことが明らかです。
 仏法における「道理」とは、いうまでもなく「正法正義」のことです。日蓮大聖人の仏法の根幹である本門戒壇の大御本尊と唯授一人の血脈相承こそ、仏法の根本となる道理そのものなのです。
 現在の創価学会は、社会的には尾行・盗聴などの反社会的行為を犯しており、仏法のうえでは正法誹謗、三宝破壊、血脈否定などの大罪を犯して仏法の道理に反逆しているのですから、すべての面で道理に外れた極悪集団になり下がっています。
 また、創価学会は、数多い宗門との裁判の中で、相次いで宗門側が勝訴した正本堂の関連裁判などには頬被りしてまったく報道せず、不当判決によって勝訴したわずかな事例や、一時的な選挙結果を誇張して「勝った!勝った!」
と喧伝しています。
 これは、創価学会の欺瞞体質からくる会員に対する情報操作にすぎないのです。
 したがって、あなたのように偏った報道のみを信じて「創価学会が正しい」などと判断することは大きな誤りというべきです。


第二章 十一、創価学会の社会的実証について


十一、創価学会の社会的実証について

2004-05-12 | 折伏教本

    ①「創価学会の活動を多くの識者が賞賛している」

 現在、創価学会が活動と称して行っているものは、信仰活動、選挙活動、文化活動、平和活動、教育活動など、さまざまなものがあるようです。
 あなたは、「識者」といわれる人が「創価学会の活動を賞賛している」といいますが、それは、いずれの活動を賞賛しているというのでしょうか。
 宗教団体・創価学会の本分は信仰活動ですから、その他の世間的な活動は、あくまでも付随的なものであり、ここではそれらの是非については触れません。
 「識者」と呼ばれる人が、創価学会の仏法破壊の活動を賞賛しているというならば、その人は仏法の正邪に暗い人であり、到底、識者と呼ばれるに値しない人です。
 池田創価学会は、破門以降、確たる信仰的理念もなく迷走を続けているせいか、世間の評価に異常なまでの反応を示し、だれかれなく誉めてくれる人を捜し回っているのが現状です。そのため、世の識者と称される人を誑かして学会礼讃のコメントをもらい、機関紙などでそれを大々的に宣伝しているのです。
 実際にあったことですが、聖教新聞に載ったある大学教授の、宗門に対する非難記事の内容が事実と違っていたため、宗門が本人に抗議したところ、学会からの一方的な話を真に受けて誤解していたことを認め、前言を撤回したことがありました。
 このような仏法に暗い識者に賞賛されて喜んでいる池田創価学会は、まさしく、
 「愚人にほめられたるは第一のはぢなり」(開目抄 御書五七七㌻)
との大聖人の御制誡のように、仏法者にあるまじき、浅ましい根性と恥ずべき姿を天下にさらしているといえます。
   ②「公明党の得票数が増加していることは、学会が正しい証拠である」
 選挙における得票数は、どの政党であっても常に変化するものであり、得票数が増加したからといって、創価学会が正しいなどという理由にはなりません。
 公明党の得票数が増えたというならば、それは創価学会員が、政教一致の批判も何ら気にすることなく、強引なF取り(票集め)に狂奔した結果にすぎません。
 創価学会は「会員が政治に関心を持ち、選挙活動をすることは生きた宗教のあかしである」などといっていますが、実態は会員が学会本部の情報操作に踊らされて、F取りに走り回っているだけです。
 得票数が増加したことをもって「学会が正しい」というあなたは、明らかに考え違いをしています。
 「正理を以て前とすべし。別して人の多きを以て本とすることなかれ」(聖愚問答抄 御書四〇二㌻)
との日蓮大聖人の御文をよくよく拝すべきです。

   ③「政教一致のどこが悪いのか」
 「政教一致」とは、中世ヨーロッパにおいて、キリスト教と政治とが癒着し、教会が政治を操り、政治権力によって教会を庇護したという、歴史的な出来事から広く使われるようになった言葉です。この政教一致によって、民衆は信教と言論の自由を束縛され、「神の名」のもとに、キリスト教会によって財産を収奪され、大変な苦しみを受けました。
 このように政教一致は、政治を腐敗させるとともに宗教を堕落させ、それによって国家を乱し、民衆を苦しめるという不幸な結果を招く悪しき政治形態なのです。
 実際、公明党の候補者は「池田先生に恩返しをするために当選させてください」と、決まり文句のように学会会合において発言しています。
 現在、創価学会と公明党との関係について、世間では「政教一致ではないか」と危険視していますが、これに対して創価学会は「ほかの宗教団体でも、特定の候補者を支援しているではないか。創価学会が公明党を支援して何が悪い」などと的外れな反論をしています。
 また、政教一致批判に対して創価学会は、きまって「世界には、法律上政教一致を禁じた国であっても、特定の宗教名を政党の名前に使っている例があるではないか」といって、暗に創価学会と公明党が一体であることを正当化しています。
 しかし公明党は、創価学会の政治部として学会自らが作った政党であり、他の宗教団体が既成の政党を支援することとは事情がまったく異なります。また、ヨーロッパなどで見られる、宗教名を使用する政党であっても、創価学会・公明党のように、宗教指導者が意のままに候補者を選定したり、特定の宗教団体の利益のために政治権力を行使することなどはありません。
 創価学会は「宗教を信じている者や庶民が、政治を監視し、政治に参画して何が悪い」などといって、開き直っています。しかし現実は、「宗教を信じている者や庶民」である学会員が、自らの自由な意思によって政治に参画しているのではなく、学会組織に盲従しているだけのことです。
 したがって、政教一致批判に対する創価学会の反論は、池田大作の野望を遂げるために、会員を選挙にかり立てていることを正当化する詭弁にすぎません。
 まさしく創価学会は、池田教による政治支配をめざしており、その悪しき政治形態は、国に災いをもたらし、民衆を苦しめるものであることが、歴史のうえからも明らかなのです。

 


第二章 十二、池田大作について


十二、池田大作について

2004-05-12 | 折伏教本

   ①「池田先生は、世界の歴史に名を残す大指導者である」

 創価学会では聖教新聞などで、連日のように池田大作を「世界の大指導者」「人間主義徹した大哲学者」「不屈の勇者」などと、さまざまに形容して礼賛しています。
 このような常軌を逸した個人礼讃は、独裁的な国家や組織によく見られるものです。
 創価学会の異常な池田礼讃は、まさしく創価学会が「池田教」になっている証拠であり、健全な集団ではないことを物語っています。
 現在の池田大作は、日蓮大聖人の仏法に反逆し、三宝破壊の大謗法を犯している張本人ですから、「大指導者」どころか、「民衆を不幸のどん底に突き落とす大謗法者」というべきです。


   ②「池田先生は、全世界から称号や勲章をたくさんもらっているからすばらしい」
 池田大作に限らず、他の宗教団体においても教祖や会長が、海外の組織・集団から勲章・称号をもらっている例は数多くあります。立正佼成会の会長やオウム真理教の教祖も、外国の機関からいろいろな勲章や称号をもらっていることは周知の事実です。
 これらのことからも、勲章や称号をたくさんもらうことが、その宗教の正しさを証明することにならないのは明らかです。
 日蓮大聖人は弟子檀那に対して、
 「愚人にほめられたるは第一のはぢなり」(開目抄 御書五七七㌻)
と戒められていますが、仏法の正邪を知らない機関や集団から、勲章や称号をもらって、それを大々的に宣伝している池田大作の姿は、まさしく日蓮大聖人に反逆していることのあかしといえます。
 なお、海外に在住している元SGI幹部は、スペインのマドリード大学に対して、図書贈呈と引き替えに池田大作が名誉称号をもらえるよう、創価学会本部の指示によって依頼したことを証言しています。
 このように池田大作への称号や勲章は、金品の寄付に対する見返りや返礼の類がほとんどなのです。
 したがって称号や勲章は、池田大作が高潔な人格者であることのあかしにはまったくならないばかりか、むしろ池田大作の人間性の浅ましさを示しているものといえます。


   ③「全世界に『日蓮仏法』を弘めたのは池田先生である」
 日蓮正宗を離れて、別に「日蓮仏法」なるものはありません。もしそれがあるというならば、それは異流義・邪説の類であって、日蓮大聖人の正しい教えとは無縁のものであり、そこには何らの功徳もありません。
 あなたの言い分は、あたかも池田大作個人が世界に仏法を弘めたものと受け取れますが、それは現実離れの妄想というべきです。
 かつて創価学会が日蓮正宗の信徒団体であった時代、会員は日蓮大聖人の立正安国の精神をもって、日本国内のみならず海外にまで正法を弘めるために精進していました。その結果、大聖人の仏法は世界にまで大きく広がっていったのです。したがって、この正法が海外に広まったのは、池田大作個人の力などではなく、多くの会員の精進努力によるものです。
 しかし、今や創価学会は大聖人の仏法に背いているのですから、個々の会員が布教のために尽くした努力も功績も、すべてが水の泡となってしまいました。
 この事実は、日蓮大聖人の仏法のうえからも、創価学会員にとっても、痛恨のきわみというべきであり、その元凶は池田大作の憍慢謗法にあることを知るべきです。


   ④「池田先生は、日蓮大聖人の仏法を証明した法華経の行者である」
 かつて創価学会会長の秋谷栄之助は、池田大作について、
 「もし先生がおられなければ、仏法の隆昌はなく、滅後末法の弘通は、虚妄となっていたに違いありません」

(聖教新聞 平成九年五月三日付)

と公言し、あたかも池田大作が大聖人の仏法を証明したかのようにいっています。しかし、池田大作が日蓮大聖人の仏法の何を証明したというのでしょうか。
 日蓮大聖人の仏法の根幹は、本門戒壇の大御本尊と唯授一人の血脈相伝にあるのですから、池田大作や創価学会の出現がなければ虚妄になってしまうなどというものではありません。「末法の弘通」も、日蓮大聖人の仏法の根幹が富士大石寺に厳然と伝えられている限り、虚妄によるようなものではないのです。しかも現在、日蓮正宗の僧俗が一致して、真の広宣流布に向かって着実に前進していることは紛れもない事実です。これこそ末法の弘通の姿にほかなりません。これらのことからも秋谷の話は、池田大作に対する諂いからくるお世辞以外の何ものでもありません。
 また、創価学会の中堅幹部は、宗門攻撃のために作成した文書の中で、

 「我等の師匠池田先生は(中略)大聖人に続く二人目の『法華経の行者』になったのです」

(創価学会資料二ー八㌻)

と記述しています。
 法華経『勧持品』には、末法の法華経の行者は、三類の強敵による悪口罵詈、刀杖瓦石、数々見擯出等の王難を一身に受けることが説かれています。
 末法に出現された日蓮大聖人は、釈尊が法華経に示されたこの予言をことごとく身で読まれ、一切衆生を救済するために、妙法弘通に一身を捧げられました。
 創価学会では日蓮大聖人と池田大作を故意にダブらせて、池田大作を「二人目の法華経の行者」などと礼讃しているのです。
 しかし、国会の証人喚問から逃げ回り、宗門との問題においても、自らの名で反論することもできず、ことあるごとに側近幹部に「俺を守れ」と命令し、衣食住すべてにぜいたく三昧を尽くしている池田大作の、どこに日蓮大聖人の御精神があるでしょうか。どこを探しても、まったくないではありませんか。
 日蓮大聖人は、
 「されば無作の三身とは末法の法華経の行者なり」(御義口伝 御書一七六五㌻)

と仰せられ、「法華経の行者」とは無作三身、すなわち久遠元初の御本仏であると御教示されています。また第二十六世日寛上人は、
 「末法の法華経の行者、豈蓮祖聖人に非ずや」(開目抄愚記 文段一二四㌻)
と、末法の法華経の行者とは御本仏日蓮大聖人に限ることを御指南されています。
 いまや池田大作は、日蓮大聖人の仏法を正しく伝えている日蓮正宗から破門され、正法誹謗の悪業を繰り返しているのですから、法華経の行者どころか「仏法破壊の極悪人」というべきなのです。
 したがって、池田大作を「日蓮大聖人の仏法を証明した法華経の行者」などと崇めることは、御本仏日蓮大聖人の教えに反逆する大謗法であることは明らかです。


   ⑤「池田先生は、絶対に間違いのない方である」
 「間違いのない方」といいますが、この世に完全な人間などいませんし、間違いを起こさない人間もいないのです。
 あなたが池田大作を「間違いのない方」というのは、信心のうえで、あるいは人格のうえでそのようにいうのでしょう。
 しかし、宗教団体の指導者でありながら、池田大作は過去に何度も組織の運営方針や信仰面で過ちを犯しています。
 その例を挙げると、昭和四十五年の「言論出版妨害問題」では、従来主張してきた王仏冥合・政教一致の方針を転換し、創価学会が言論出版を妨害したことについて公の席で謝罪しました。
 また、「昭和五十二年路線」と呼ばれる教義逸脱問題においては、その発端は、池田大作の指導をもととした創価学会の教義・信仰上の誤りによるものであり、このときも宗門からの厳しい指摘を受けて、池田大作は大勢の宗門僧俗の前で謝罪しています。
 また、平成二年十一月に勃発した創価学会問題も、池田大作が行った御法主上人誹謗の憍慢スピーチに端を発しています。
 このように、あなたが「間違いのない方」という池田大作は、創価学会の指導者としても、また信仰者としても、数々の大きな過ちを犯してきたことは明らかです。
 なお、創価学会ではこれらの池田大作の過ちについて「池田先生が頭を下げたのは宗門を守るためだった」などといっていますが、これは詭弁にすぎません。
 また、創価学会は池田大作の誤りを棚に上げて、「宗門では法主本仏論、法主無謬論を主張するが、法主にも誤りはあるのだ」などと宗門を非難していますが、宗門において、「法主本仏論」や「法主無謬論」などを主張したことはいまだかつて一度もありません。これは明らかに創価学会の捏造です。
 ただし、宗祖以来の唯授一人の血脈を継承される御法主上人は、その御内証において御本仏の仏法の一切をそのまま受け継がれているのですから、法義や信徒教導という大事において、誤りはないのです。
 宗門で「御法主上人に誤りはない」という意味は、御法主としての血脈法水にもとづく御教導に「誤りがない」ということであって、日常の御振舞いに一切誤りがないということではないのです。
 これに対して池田大作は、本分である宗教団体の指導者として致命的な過ちを犯しています。のみならず、多くの会員まで悪業の道に引きずり込んでいることに気づくべきです。


   ⑥「池田先生のおかげで、これまで信心を続けることができた」
 ほとんどの創価学会員は、「池田先生のおかげ」「組織のおかげ」と思い込んでいますが、これはことあるごとに幹部が一般会員に対して、池田大作や創価学会の恩恵を強調し、押しつけてきた一種の洗脳教育によるものです。
 冷静に考えてみてください。池田大作や組織のために尽くしてきたのは、あなたのほうでしょう。
 あなた方学会員が、財務や広布基金に私財を投じ、さらには選挙のF取りや新聞啓蒙などの学会活動に励んだことによって、今日の池田創価学会の権力や財力が築かれてきたのではありませんか。
 ですから、あなたが池田創価学会に恩があるのではなく、かえって池田大作や創価学会があなたから恩を受けているのです。
 もし、あなたが「池田先生の指導によって日蓮大聖人の仏法を信心することができた」というならば、あなたは大きな考え違いをしています。
 なぜならば、現在の池田創価学会は、日蓮大聖人の仏法とは異質の邪宗教になり下がっており、その池田大作を信奉しているために、あなたはいまだに真実の仏法に帰依することができず、仏法破壊の悪業に加担させられているからです。
 あなたが池田大作に対してどのような感情を抱いているにせよ、末法の仏は日蓮大聖人のみであり、その教えに従うことを第一としなければ、真の幸福は決して得られないのです。


   ⑦「池田先生は、一人ひとりの会員を大事にしてくれる」
 池田大作が本当に会員の一人ひとりの幸福を願うならば、会員に対して正しく日蓮大聖人の仏法に随順することを教えるはずです。
 しかし、今や池田創価学会は、大謗法集団になり果てており、その原因は池田大作の憍慢謗法にあります。
 池田大作は、自らの謗法を悔い改めるどころか、会員までも仏法破壊の大謗法行為にかり立てています。その会員たちは、創価学会の大謗法に与同している限り、成仏など叶うはずはなく、必ず無間地獄の苦しみを受けるのです。
 もし池田大作が、一人ひとりの会員の幸福を本当に願うならば、自分のことはさておいても、会員たちを本門戒壇の大御本尊から切り離し、謗法者に仕立てることはないはずです。
 池田大作がどんなに会員を大切にしているかのように見せかけたとしても、所詮、それは欺瞞であり、会員をつなぎ止めるためのポーズにすぎないことは明らかです。
 このような池田創価学会の実態に気ずかず、池田大作を「一人ひとりを大切にしてくれる永遠の指導者」などと思いこんでいるならば、それはあなたが創価学会に洗脳されている何よりの証拠なのです

   ⑧「人生の師匠である池田先生にどこまでもついていく」
 世間には華道の師匠、書道の師匠等があるように、誰もが人生においてさまざまな師匠や恩師と呼ぶべき人がいます。
 仏法においても「師弟相対」の大事が説かれていますが、人生最大の目的である成仏は、正しい仏法の師に従うことによってのみ成就するのです。ですから、いかに世間の師匠を敬っても、正法の師を忘れたならば、人生における真の幸福は得られません。
 日蓮大聖人は、
 「法華経の大海の智慧の水を受けたる根源の師を忘れて、余へ心をうつさば必ず輪廻生死のわざはひなるべし。但し師なりとも誤りある者をば捨つべし」(曾谷殿御返事 御書一〇三九㌻)
と仰せられています。
 この「根源の師」とは御本仏日蓮大聖人であり、その血脈法水を継承される、時の御法主上人も「根源の師」に当たります。したがって、「師なりとも誤りある者をば捨つべし」と仰せのように、「根源の師」である御本仏日蓮大聖人及び歴代上人に背く「師」は捨てなければならないのです。もし、この御教示に背くならば、六道輪廻の苦しみから逃れることはできません。
 現在、池田大作は「根源の師」「仏法の師」に背く未曾有の大謗法者となっているのですから、それに従う創価学会員は、すべて無間地獄へ堕ちることは必定です。
 あなたは、池田大作に「どこまでもついていく」と断言していますが、その言葉は浄土宗の開祖法然を師と仰ぐ親鸞が、
 「たとひ法然聖人にすかされまいらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからず候」(歎異鈔)
といって、法然とともに地獄に堕ちても後悔しないと言い放ったことと、何ら変わりはありません。
 あなたは、せっかく仏法に縁を結び、しかも師を重んずる心の持ち主なのですから、謗法の池田大作を捨て、日蓮大聖人の血脈を相伝される御法主上人に随順して信心に励み、真の幸福を築くべきです。

 

第二章 十三、創価学会の組織体制について


十三、創価学会の組織体制について

2004-05-12 | 折伏教本

   ①「創価学会は常に民衆の側に立つ宗教団体である」
 創価学会では「民衆のため」「庶民の味方」などという言葉を好んで使い、創価学会が、あたかも民衆の側に立つ集団であり、庶民の味方であるかのように印象づけています。
 しかし創価学会は、この言葉の意味をときによってすり替えています。
 それは、宗門やマスコミなどに対して創価学会そのものを「民衆」とする場合と、「民衆を守る創価学会」というように、創価学会と民衆を区分し、民衆のうえに創価学会を位置づける場合とに使い分けているということです。
 したがって、「民衆の側に立つ」などは、創価学会の権威主義体質をカムフラージュし、会員を誑惑するための主張なのです。
 創価学会の実態を見るならば、会員からさまざまな名目で寄付金を搾取し、選挙のときには会員をF取りにかり立て、会員の自由な発言を抑制する創価学会こそ、会員のうえに君臨する悪しき権威そのものといえます。
 組織の首領である池田大作も、称号や勲章をあさり、会員の「永遠の指導者」を気どっていますが、この姿は権威権力に執着し、会員を見下している何よりの証拠です。
 なお創価学会では、宗門が民衆を隷属させる権威の象徴であるかのようにいいますが、日蓮正宗の信仰は凡夫僧であられる日蓮大聖人を御本仏と仰ぎ、末法の衆生を救済することにその目的があるのですから、まさに民衆の仏法そのものといえます。
 また、僧侶と信徒の間に役割や立場における秩序はあっても、人間性や信仰のうえからは、上下・差別はまったくありません。
 日蓮正宗の僧俗は、大御本尊を尊崇し、血脈に随順して自行化他の信仰に励んでいますが、これは仏法を深く尊信する一念の発露であり、創価学会がいうような権威によるものではないのです。


   ②「創価学会は日本を動かす力があり、国民から信頼されている」
 創価学会を支持母体とする公明党は、日本の政治のキャスティングボートを握っているなどと有頂天になっているようですが、それは政党としての確たる主義主張ももたず、ひたすら政権党にすり寄るという、「コウモリ政党」なればこその技です。したがって、その実態を知る人は皆、公明党に対して大きな危惧を抱いていることはたしかです。
 今や政治の腐敗は誰もが認めるところであり、国民の政治不信は根強く、政治に対する期待も関心も希薄となっています。
 この国民の政治離れが、選挙の投票率の低下現象となり、これによって固い組織票をもつ公明党の得票率が高くなっているのです。
 したがって、公明党が政党与党に加わっているからといって、大多数の国民から支持されているわけではありませんし、まして創価学会が国民・大衆から信頼されていることにはなりません。
 日蓮大聖人は『災難対治抄』に、
 「若し国王あって我が法の滅せんを見て捨てゝ擁護せざれば○其の国の内に三種の不祥を出さん」(御書一九三㌻)
との経文を頻用され、為政者が邪教に帰依し、正法を擁護しなければ、国内に穀貴・兵革・疫病の不祥事が起き、国民を苦しめると説かれています。
 この日蓮大聖人の御教示からも、創価学会・公明党が政治権力を握り、一国の行く末の舵取りをすることは、日本の将来に大きな災いをもたらす元凶となることが明らかです。


   ③「創価学会は完璧な組織である」
 かつて池田大作は、
 「経文通りの難を、創価学会ほど受けている団体はない」(大白蓮華 平成三年十月号三五㌻)
 「将来(中略)経文が、また仏が出て説かれるときには『創価学会仏』という仏の名前で出る」(巻頭言・講義三―九六㌻)
といって、創価学会という組織が、あたかも仏の当体であるかのような指導をしていました。
 このために、創価学会員の中には、「組織に功徳がある」といって組織そのものを信奉している人が数多くいます。これらの人々は、その理由として、「学会は完璧な組織だから」といいますが、「完璧な組織」とはどのような意味なのでしょうか。この意味を具体的にいえば、「理念と実践が完璧な組織」と「機構と運営が完璧な組織」という二つが挙げられます。
 まず、「理念と実践が完璧な組織」についていえば、創価学会は日蓮大聖人の仏法を広宣流布することを理念とし、その実現のために学会活動の実践を推進するとしています。
 しかし、創価学会は日蓮大聖人の仏法に背反しており、広宣流布という理念がすでに日蓮大聖人の教えとは異質のものになっています。したがって、その実践も日蓮大聖人の仏法とは大きくかけ離れたものであり、会員がいかに学会活動に励んでも功徳などないのです。その意味で創価学会は、決して「完璧な組織」ではありません。
 次に「機構と運営が完璧な組織」につていは、古来、人間が作り上げた組織を人間が運営する以上、完璧であるなどということは絶対にあり得ません。
 創価学会の機構は、徹底した上意下達・役職偏重によって運営されており、一般会員の自由な組織批判などは一切許されません。また、会員を指導すべき立場の大幹部が、さまざまな事件を起こして世間を騒がせていることも事実です。
 このような閉塞的な、しかも問題の多い創価学会が、「完璧な組織」であるはずはありません。あなたが創価学会を「完璧な組織」と信じ込んでいるのは、洗脳による妄想にすぎないのです。


第二章 十四、創価学会員について


十四、創価学会について

2004-05-12 | 折伏教本

   ①「創価学会は地域に密着し、社会的弱者の面倒をみている」

 創価学会では、「友好活動」「草の根運動」と称して、地域住民との友好を計り、内外の人々との個人的なつながりを強めるように指導しています。
 この指導を受けて、創価学会員の中には、会員に対しても、外部の人に対しても友好を計り、社会的弱者の面倒を見る人も多いようです。
 しかし、創価学会員が「面倒をよく見る」というのは、表面的な部分であり、そのじつは、会員や外部の人との個人的なつながりを強めることによって、組織の結束と拡大を図り、公明党への投票を依頼することに目的があります。
 また、創価学会員が他人との結びつきを強めることは、意識するしないにかかわらず、他人を監視し、他人の情報を集めることにつながっています。それは創価学会が、会員からの情報をすべて本部に吸い上げるシステムになっているからであり、個々の会員が得た情報は、そのまま創価学会組織の拡大と防衛のための判断材料となっているのです。特に、破門以後の創価学会は、脱会者を出さないために、会員同士の結びつきを強めるよう指導しています。
 この創価学会のやり方は、戦時中、軍部が言論を統制し、「戦争反対者」を摘発するために、「近隣同士の助けあい」の美名のもとに、住民が互いに監視しあう「五人組」の制度を設けたことに似ています。
 この「五人組」の制度によって、戦争反対の声がかき消され、一国を挙げて戦争に突入していったことを見ても、個人の結束や情報の収集が間違った方面に用いられたときには、大きな悲劇を生むことがわかります。
 謗法集団である創価学会の組織拡大と防衛に利用される同志の結束や、情報収集などの会員の活動は、そのまま仏法破壊の大謗法行為となることを知らなければなりません。

   ②「有名人に創価学会員が多いのは、学会が正しい証拠だ」
 創価学会員の有名人がいかに多くても、それによって、創価学会が正しい集団であると判断することはできません。
 なぜならば、世間的に有名な人であるからといっても、仏法の深い道理をわきまえているわけではありませんし、宗教の正邪を正しく分別し、判断できる能力をもっているわけでもないのです。
 また、活躍しているスポーツ選手や芸能人の中に創価学会員が多いことをもって、創価学会の信心に功徳があるようにいう人もいます。しかし、活躍している有名人は、何も創価学会員に限ったことではありません。むしろ、そのほとんどは他宗教信者の家系であり、創価学会員以外の人のほうが圧倒的に多いのです。
 したがって、有名人が多いことをもって、その宗教や信仰に功徳があるなどとはいえません。
 なお、あなたは有名人の華やかな部分をさして、功徳の姿と思っているようですが、華やかな有名人が必ずしも幸せな人生を送っているとは限りませんし、有名人が不幸な晩年を送った例も決して少なくはありません。
 要は、有名人といっても煩惱多き一人の人間であり、決して完全無欠ではないのです。その有名人を基準にして、宗教の正邪や功徳の有無を判断するあなたの考えは、きわめて浅薄としかいいようがありません。


第三章 一、組織活動がきらいだから活動しない


一、組織活動がきらいだから活動しない

2004-05-12 | 折伏教本

 あなたが、創価学会の組織活動をきらう理由はわかりませんが、現在の創価学会が、仏法破壊の大謗法集団となっていることは間違いない事実であり、脱会者に対するいやがらせなど、陰で悪質な言動をなしていることはたしかです。
 このような創価学会の活動をきらって、組織と距離を置いてきたあなたの判断は正しかったともいえますし、結果的に幸せなことだったともいえます。しかし、だからといって今のままでよいということではありません。
 謗法の限りを尽くす悪業集団である創価学会に籍を置いて、聖教新聞などを目にし、宗門誹謗を耳にするだけでも謗法与同となり、あなた自身も大きな罪を作ることになるのです。
 ですから、あなたが本当に幸せになるためには、一日も早く創価学会を脱会し、日蓮正宗の正しい教えに帰依して信心に励むべきです。


第三章 二、組織や会員にいやな思いをさせられたので活動しない


二、組織や会員にいやな思いをさせられたので活動しない

2004-05-12 | 折伏教本

 日蓮大聖人の仏法に背き、謗法を重ねる創価学会の思想に染まると、どのような善良な人間でも必ず命が汚れ、人間性が損なわれていきます。

 現在の創価学会員は、幹部はもとより一般会員までが、聖教新聞などで繰り返される御法主日顕上人に対する悪口雑言や、日蓮正宗僧俗への誹謗報道によって池田創価学会の悪思想に洗脳され、他人に対する攻撃や中傷を平気で行うようになっています。
 また創価学会は、会員を組織につなぎ止めるために、さまざまな役職を与えたり、会員への褒賞をさかんに行っています。これは会員の虚栄心や名誉欲をかり立てるもととなっており、大幹部ともなると、あたかも全人格的に優れた人間であるかのように錯覚し、一般会員に対して横柄な態度を取る人が多く見受けられます。このような創価学会幹部の姿は、まさしく「ミニ池田」を気取る愚かしいものといえます。
 このように、人格や思考が破壊された創価学会員から、あなたがいやな思いをさせられたということは、当然あり得ることです。
 創価学会員にいやな思いをさせられ、学会活動から遠ざかっているあなたにとって、今こそ魔の集団創価学会から離れる絶好の機会です。


第三章 三、創価学会は世間からの評判が悪いので活動しない


三、創価学会は世界からの評判が悪いので活動しない

2004-05-12 | 折伏教本

  あなたのいうとおり、創価学会は世間での評判はよくありません。特に創価学会の実態を知っている人ほど、創価学会に対して嫌悪感を抱いています。

 宗教の正邪を世評で決めることは、必ずしも正しい方法ではありませんが、こと創価学会に関しては、集団的いやがらせ体質や、会員の思い上がり体質に対する世間の厳しい批判は、正しいものといえます。
 世間の識者やマスコミから批判されると、創価学会は狂ったように「学会への嫉妬だ」「法難だ」などと騒ぎ立てる一方で、批判者に対しては、「言論の暴力に鉄槌を!」などといって会員に怨念や怒りをもって攻撃するよう煽っています。
 しかし、創価学会の実体を知った人がその誤りを的確に指摘することは、創価学会への嫉妬によるものなどではありません。また、創価学会が世間からの批判に対して「法難だ」などと騒ぎたてることも愚かしいことです。むしろ、これらの批判を顧みることなく、やみくもに敵視し攻撃する創価学会こそ、「独善的」であり、「批判拒否体質」そのものなのです。
 このような創価学会が世間から良く思われないのは当然です。こうした世評に耳を傾け、冷静に判断しているあなたは、すでに創価学会の誤りに気がついていることでしょう。
 大切なことは勇気ある行動です。一日も早く創価学会を脱会し、正しい信仰の道を歩むべきです。


第三章 四、親は創価学会員だが、自分は信心する気はない


四、親は創価学会員だが、自分は信心する気はない

2004-05-12 | 折伏教本

 信仰心のないことは、決してほめられることではありませんが、あなたが邪宗教となった創価学会に深入りしなかったことは幸運だったといえます。

 しかし、正しい信仰を持たなければ、決して幸せな人生は築けません。
 日蓮大聖人は『聖愚問答抄』に、
 「恩を棄てゝ無為に入るは真実に恩を報ずる者」(御書四〇一㌻)
と『清信士度人経』の文を引用されています。この経文のとおり、恩恵を受けた親の意思に反してでも、正しい仏法の道に入ることが、真実の報恩になるのです。
 創価学会に誑惑されている親を救うためにも、まずあなたが学会を脱会して、日蓮正宗の正しい仏法に帰依することが大切です。そのうえで親を折伏して、家族そろって大御本尊の功徳に浴し、本当の幸せを築いてください。


第三章 五、池田大作がきらいだから学会活動に参加したくない


五、池田大作がきらいだから学会活動に参加したくない

2004-05-12 | 折伏教本

 仏法のみならず、何事においても、個人の感情や好ききらいで物事を決めることは決して正しい判断とはいえません。しかしここで、あなたが池田大作を「きらいだ」というのは、単なる感情でだけではないと思います。
 事実、池田大作は、自分の野心のために会員を利用し、会員から集めた寄付金で勲章や称号をあさり、世界の指導者を気取る一方で、怨念と憎悪をもって正法を破壊しようとする大慢心の持ち主なのです。よって、あなたが池田をきらう感覚はむしろ当然といえます。
 日蓮大聖人は、
 「邪悪の師を遠離し、正善の師に親近すべきなり」(最蓮房御返事 御書五八五㌻)
と仰せられ、邪悪の師から遠ざかり、正しい仏法を説く正善の師に師事するよう御教示されています。
 今あなたにとって大切なことは、「邪悪の師」である池田大作を捨てて、「正善の師」である御法主上人猊下の御指南のもとに、日蓮正宗の信徒として信心修行に邁進することなのです。


第三章 六、宗門を攻撃する創価学会の活動には参加したくない


六、宗門を攻撃する創価学会の活動には参加したくない

2004-05-12 | 折伏教本

 あなたのように創価学会員の中には、手段を選ばず、宗門攻撃に明け暮れる創価学会の姿に嫌悪感を覚える人が多いようです。

 他人の欠点を暴いて口汚く詈る行為は、信仰者としてはもちろんのこと、人間としてもあるまじきことです。まして日蓮大聖人の仏弟子である日蓮正宗の僧侶に対して、あらゆる策謀をもって貶め、悪しざまに詈る創価学会は、もはや信仰者の集まりとはいえない狂気の集団となっています。
 正常な見識をもった人ならば、このような創価学会の姿に嫌悪感の覚えるのは当然です。まして、信仰者であるあなたが、学会活動に参加したくないと思うのも当然んことなのです。
 日蓮大聖人は、
 「仏宝・法宝は必ず僧によって住す」(四恩抄 御書二六八㌻)
とも、
 「末代の衆生は法門を少分こゝろえ、僧をあなづり、法をいるがせにして悪道におつべし」

(新池御書 御書一四六一㌻)

とも仰せられ、一切衆生を救う仏宝・法宝を伝持するのは僧侶であり、僧侶を蔑み、法に背く者は、将来必ず悪道に堕ちることを御教示されています。
 現在の創価学会は、これらの日蓮大聖人の御訓誡を土足で踏みにじっているのですから、創価学会に与同する会員が悪道に堕ち、塗炭の苦しみを受けることは明らかです。
 あなたが、創価学会の謗法行為に参加しなかったことは幸いでしたが、大謗法集団に籍を置いておくことは、それだけでも与同罪になるのですから、創価学会を速やかに脱会し、正法を護持する日蓮正宗に帰依すべきです。


第三章 七、宗門と創価学会との「喧嘩」に巻き込まれるのがいやだから、学会活動をしない


七、宗門と創価学会との「喧嘩」に巻き込まれるのがいやだから、学会活動をしない

2004-05-12 | 折伏教本

 平成二年以降の創価学会問題は、宗門と学会との喧嘩などではありません。
 たしかに創価学会は、宗門に対して敵意を露わにして誹毀讒謗の限りを尽くしています。これは、創価学会の怨念や増上慢にもとづく感情的な攻撃なのです。
 しかし、日蓮正宗が創価学会に対して、道理を尽くしてその誤りを正し、会員を救おうとしているのは、まさしく慈悲の心にもとづいた行動なのです。したがって、宗門と学会との間に生じた問題の表面だけを見て、「お互いに喧嘩をしている」と判断することは、たとえば、親の教訓がわからずに悪口をいった子供に対して、親が慈愛をもって戒めている姿をみて、「親子喧嘩をしている」と早合点するようなものです。
 あなたは、問題の本質をもう一度よく考えて、正しい信仰の道を選び、勇気をもって歩んでください。


第三章 八、仕事が忙しいので学会活動に参加しない


八、仕事が忙しいので学会活動に参加しない

2004-05-12 | 折伏教本

 創価学会は、もはや正しい仏法を信仰する人の集まりではなく、日蓮大聖人の教えを破壊するために、会員を洗脳し、煽動する大謗法集団となっています。
 あなたが、仕事に追われて学会活動にのめり込まなかったことは、結果として創価学会に洗脳されずに済んだことであり、幸運だったといえます。
 しかし、漫然と創価学会の組織にそのまま身を置いていることは、それだけでも謗法与同の罪を免れないのです。
 また、あなたのように仕事に追われて信仰を忘れることは、あたかも基礎を造らないで、ビルを建てるようなものです。したがって、いかに仕事に専念しても、正しい仏法を生活の基盤にしなければ、決して真の幸福を築くことはできないのです。
 あなたが、創価学会の誤りに気づいて脱会し、日蓮正宗の正しい信仰を受持するとき、初めて大御本尊の大功徳に浴して、仕事を立派に成就することができるのです。


第三章 九、家庭を顧みない学会員の姿を見ると活動する気になれない


九、家庭を顧みない学会員の姿を見ると活動する気になれない

2004-05-12 | 折伏教本

 創価学会は、選挙活動や新聞・書籍の啓蒙などに絶え間なく会員をかり立て、物事の道理や善悪について考える余裕を与えません。
 これは創価学会が、自らの誤りと欺瞞体質を会員の目から覆い隠すための手口なのです。
 この手口にのせられて、学会活動に没頭する会員は、家庭を顧みることができず、その家庭には、子供の非行や家庭不和などのさまざまな悩みが生じているのです。
 このような事実は、創価学会の組織維持と勢力拡大のために、会員が利用され、犠牲になっている姿というべきです。
 現在、創価学会は謗法の集団と化しており、会員が一生懸命に学会活動をしてもまったく功徳はなく、罪障を積むだけです。
 他人の姿を見て自分の行動を決めるということは、必ずしも正しい方法ではありませんが、こと創価学会に関しては、会員の異常な姿に同調しなかったあなたの判断は間違っていません。
 日蓮正宗法華講においても、広宣流布のため、正法興隆のために、寺院参詣や家庭訪問、折伏などの信心活動は当然行っています。しかし宗門では法華講員に対して、家庭を崩壊させたり、周囲からひんしゅくを買うような活動は厳に慎み、妙法の信仰者として、社会の模範となるよう指導しています。
 あなたは、「学会の活動に参加しない」という消極的な態度にとどまらず、もう一歩進んで、創価学会を脱会して法華講員となり、正法の信仰に励むべきです。


第四章 一、宗門を誹謗し続ける創価学会に疑問を感ずる


一、宗門を誹謗し続ける創価学会に疑問を感ずる

2004-05-12 | 折伏教本

 たしかに誰が見ても、創価学会の口汚い宗門攻撃、誹謗中傷は「異常」としか思えません。日蓮正宗のありのままの姿を知れば、学会の一連報道がまったくの嘘であり、でっち上げであることがわかります。
 なぜなら、日蓮正宗は昔も今も何ら変わることなく、本門戒壇の大御本尊を信仰の根本と仰ぎ、宗祖日蓮大聖人・日興上人以来の唯授一人の血脈に随順し、自行化他の信心に励み、広宣流布めざしている宗団だからです。
 創価学会という組織の中にいると、意図的に誤った情報によれマインドコントロールされて、宗門の真実の姿が見えなくなってしまうのです。
 たとえば、「大石寺はペンペン草が生えて衰亡の一途をたどっている」とか、「桜の木がすべて伐採された」とか、「正宗寺院へ行くと多額の御供養を請求される」「法華講には歓びがない」などという話を、あなたは聞かされたことがあるでしょう。しかし、これらはすべて創価学会が、会員をつなぎ止めるためにでっち上げた作り話なのです。
 また、創価学会の悪しき体質として、「自分たち以外はすべて悪」という独善的・排他的体質が第一に挙げられます。
 このような創価学会の姿に疑問を感ずるあなたの考えは、決して間違っていません。あなたも何となく感じているように、すでに創価学会は完全に邪宗教となった集団です。そうした組織にいること自体、あなた自身の心が汚れ大きな罪障を積むことになります。その結果、悲惨な三悪道に堕ちることになるのです。
 ですから、速やかに脱会し、一日も早く日蓮大聖人の正しい仏法を伝える日蓮正宗に帰依すべきです。


第四章 二、創価学会は、なぜ宗門からの破折とそれに対する学会側の反論を、会員に知らせないのか