1948年12月21日、この日マザーは初めてTaltalaのスラムに出かけたのである。
マザーが亡くなった後になり、シスターたちはこの日のことを知り、それ以来、毎年12月21日、マザーハウスのチャペルのボードにはマザーが初めてスラムに向かった日と書くようになった。
マザーは21日から23日、Taltalaと、そして、PanBaganに向かっている。
そのどちらも小さな場所である、そこのスラムの家族たちを訪ね始め、路上の貧しい人たちのケアを一人で始めた。
クリスマスイブ、クリスマスの後に、26日Tiljalaのスラムに向かい、27日28日とMotijihilに行き、一月の最初の週にそこで木の下で青空教室を始めた。
物を教えるためにマザーは地面に字を書いて教えていた。
教えることの大切さを知ると同様に恐ろしいほどの貧しさの中で苦しんでいる病人たちに会い、セントテレサ教会の一画に同じく一月の最初の週にディスペンサリーを開いた。
マザーはこの頃、Little Sister of the Poor修道院に身を寄せていた。
朝晩吐く息が白くなる寒さ、この寒さが時に貧しい人たちの息を止めさせていく中である、その日々の仕事を終え、マザーは一人また身を寄せていた修道院までの長い道のりを、その当時ロードサキュラーロード{現在のAJCBossRoad}をどんな思いで歩いていたのであろうか、私は今回のカルカッタの滞在時、同じ道を歩く度にマザーの当時の思いを感じようとしていた。
{つづく}