昨夜徹夜祭のミサに出ながら、カルカッタのことをずっと考えていた、それはすべて祈りだった。
今になっても、私はカルカッタで三ヶ月間毎日書いていたメモを読むことが出来ない。
いや、出来ないのではなく、わざとしないのである。
そのメモを読み返すと、きっとそこから戻ることが出来なくなりそうな強い力に縛り上げられる気がするからである。
私がこの日本でしっかりと働いていくためにも、もうしばらくそのメモは開かないことにする。
その間、私はメモが熟成していくのを待つ、しかし、実際は私の中の何かが熟成していくのを待つのである。
非現実から現実、現実から非現実、そのどちらかも良く分からなくなることを避け、今の私をもっと知る必要がある。
明日から仕事を始める、三ヶ月間伸ばしていた髭を剃った。
小顔に見えてしまう私の顔が見慣れない、しかし、すぐに見慣れることも知っている。
無意識に私の手が髭を探してしまう、しかし、これもすぐにそうしなくなることであろう。
不慣れなことはきっと慣れていく。
私の信仰も、この日本でもっと慣れていく。
慣れていくうちにもっと自然になっていく。
水のように、空のように、太陽のように、なくてはならないものとなっていくだろう。
私は私のままでいてもである。