今日はシスターたちとの約束通り、調布教会に行き、信徒の転出届けを出してきた。
ミサの間、頭の中では、今のこの時、この言葉はカルカッタでの英語のミサでのあの言葉だったと回想したり、実際に英語を小さく口ずさんだりもした。
何度か行った調布教会のミサではあったが、あることに気が付かなった、それは聖体拝領の時、誰もが手で御聖体をもらうのである。
それを見て、さて、私はどうしようかとしばらく考えた、と言うのはカルカッタではいつも口で御聖体を受けていたからである。
その意味はカルカッタにいた時にブログに書いたことであるが、マザーが御聖体を手で受けることを好まなかったと言う話をシスタークリスティーから洗礼式の前に聞いたからである。
マザーがなぜ手で御聖体を受けることを好まなかったかと言うのは、手で御聖体を受ける場合、ほんの少しでも御聖体が欠けたり、それが塵にすらなってしまうことを畏れ、御聖体・イコール・イエスの身体をそのようなことになって受けぬように口で受けていたのである。
私は誰一人として、口で受けていない聖体拝領だったが、やはり口で御聖体を受けさせてもらった。
ミサを終え外に出ると、昨年12月カルカッタに行く前に会った神父さんがいて、転出届けを渡す際に、そのことを聞いていたところ、日本では手で受ける人が多いとのことであった。
実はアイルランドでも手で受けるのが普通のようである、マザーの聖体拝領のことをアイリッシュのバーニーやジョン、メリーに話した時、彼らはそう言っていた。
ちなみにマザーハウスのシスターたちは誰も手では受けず、みんな口で受けている。
このことを岡さんに話すと、彼女は口で受けるようになっていた。
今日はミサの後、またキャラ神父のお墓に行った。
この前はクリスマスの夜だったので気付かなかったが、神父の墓石の上には司祭帽が形づけられていた。
それほどキャラ神父の人間性の高さを当時誰もが知っていて慕っていた証しかもしれないと思った。
私が帰ろうとした時、そこに老夫婦が来て、その墓のことを聞くので、こことぞばかりに「沈黙」のことやキャラ神父のことを話すととても喜んでくれた。
すぐ近くに桜吹雪が舞っていた。
昨夜晩酌しながら、ふと思った。
カルカッタではほんとうにこんな風には酒を飲まなかったということ、いや、実際飲めなかったということ。
いつも体調に気を付けることを何よりも第一にしていた、すべては仕事を精神的にも体力的にも落ち着いて出来るかどうかを重視していた。
そこで何よりも大切にしていたのが睡眠である。
どうやったら睡眠時間を十分に取り、身体を休めることが出来るかと常に考えていた。
帰る間際は気温40度近くあり、湿度はいつも90%以上だった。
なので、部屋の中は蒸しに蒸していた。
だけど、グレッグとの時間は別であった、彼はわざわざ私に会うために家族よりも一週間早く来てくれたので、彼が来てからは一日だけを除き、毎晩彼とは酒を飲んだ。
と言っても、ビール二本以上は飲まず、ビール一本だけにすることもあった。
私はそれでも嬉しくて嬉しくてしょうがなかった。
兄弟のように親しい二人の十年ぶりの再会である、話すことも山ほどあり、また話さぬ時間であれ、ともに時間を過ごすことが出来たのは神さまからのかけがえのない贈り物であった。
身体は疲れにより、太陽アレルギーによる発赤が出来始めていたが、それでも、それは非ではなかった。
もしかすれば、もう二度と会えぬかもしれないと思っていたし、また次いつ会えるかは私には皆無だったのである。
心の底から嬉しい喜びに満ちた時を過ごせた。
酔いつぶれることなどなかったが、それもしてみたい気持ちがなかった訳でもないが、何はともあれ、ほんとうに幸せだった。
そんなことを思い、今夜もそれを酒の肴にし、晩酌をしようと思う。