私がこのブログでママと書く女性はNZ出身のジョアンのことである。
彼女は私の洗礼によりゴッドマザー{代母}にもなり、私の生涯、彼女はずっとママになったのである。
彼女は私を空港まで見送ってくれた。
その時、彼女が今抱えている仕事のことを聞いた。
その中でもシスターから頼まれたケースで40歳のガンのターミナルの母親、その二人の子供のことに胸を痛めていた。
その二人の子供には母親以外家族なく、また激しいほど貧しいスラムに住んでいた。
子供たちはシュシュババンで受け入れられないだろうかと私が聞くと、ママもそうなるだろうと話していたが、子供が母親を亡くしたすぐ後にそうしたことを容易には受け入れられないことも私たちには分かっていた。
ママはシスターたちがスラムや村などの訪問で出会った病院ケースの患者のケアやオペの手配などをしている。
とても忙しい日には一日に7人の患者のオペがあった時もあったと言う、こうしたことはボランティアの中ではあまり知られていない仕事である。
患者はカルカッタに限らず、ビハールや他の州からも来ることもある。
そのどれもどうしようもない悲惨なケースである、また悲惨なケースであるからこそ、シスターたちから頼まれるのである。
4月1日にブログに書いた母親と子供のことを詳しく書こう。
その日ママは偶然ある患者のオペでHopeの病院にいた、そこにシアルダーのディスペンサリーからHopeの救急車でメリーが精神障害者の母親と栄養失調の子供二人と来た。
その家族のことを話し合うため、私はアドレーションに行く前に、ママの家により、ママとメリーから詳しく話を聞いた。
メリーがほんとうにたいへんだったようである、救急車の中で母親は女性に対して激しいほどの怒りをすぐに現し、一人の子供を抱いていたメリーから子供を奪うと、もう一人の子供に脇に抱えたらしい、それも首を絞めるように無理やり抱いていたとのことだった。
だが、男性の運転手だけにはとても優しく、母親の頭の中ではすでに自分の旦那と言うまでなっていたと言う。
母親は病院でもママやメリー、女性にはとても暴力的で暴れてしまい、Hopeは受け入れられないと判断した。
だが、五歳{到底五歳には見えないほど痩せ細り小さかった}と言う上の子供は何もしなければ三日で死ぬだろうと医師は判断していた。
それにも関わらず、Hopeのスタッフはシアルダーに送り返すと言い出したので、ママを怒り、スタッフに警察を呼ぶように言い聞かせた。
ネグレクトとして警察ケースにすれば、また路上に戻るようなことはなくなるからである。
結局その母子は警察扱いになり、Hopeの病院から近い国の病院のバングーラ病院に収容された。
しかし、悲惨な話はこれで終わらない、母親にはもう二人少し大きな子供がいて、その子供たちはビハールからカルカッタに来る途中、列車の中ではぐれてしまい、行方不明になっているとのことだった。
このインドで行方不明になった貧しい子供が親ともう二度と会えないのは誰もが知るところであろう、それを聞いたボランティアの誰もが言葉を失い、胸を痛めた。
母子をシャンティダンと言うことも、私たちは考えたが、やはり無理やりに母親と子供を離すことはシスターたちには出来ないことである、胸の痛みの取れぬことであるが、これも出来ることの中での最良のことだったかもしれない。
この日メリーは疲れ切っていた、ママの腕には母親につけられたであろう傷もあった。
ママの仕事はこんな感じである。
今思えば、カルカッタでの私の時間が許せば、ママと何日か一緒に仕事をして、病院との連携などを学ぶことが必要だったと思う。
なぜなら、ボランティアやシスターたちの中であれ、ママほどカルカッタの病院、または貧しい人を診てくれる医師たちを知っている人はいないからである。
そんなママである、私は私の生涯を持って、誇りに思える素敵なママである。