今年で10歳になった家のシークヮサーなのだが、どうも今年も花を咲かなそうである。
毎日相手が恥ずかしくなるくらい眺めているのであるがいっこうに花芽らしくものを見せない。
もうミカンやレモンはつぼみを持ち始め、近くに寄れば淡い香りを漂わしているのに、さて、シークヮサーはいったいどうしたことであろうか、もう花を咲かして良い年頃になのに。
私は今年こそはと、どんなに思いでこの春を待っていたことか。
花が咲けば、いつも飲んでいる芋焼酎も泡盛に変えて、とりあえず祝福の宴をあげると言うのに。
いろいろと調べてみると、神奈川では五月の終わり頃に開花したとの記事もあったが、これからつぼみを持つのだろうか。
私をあと二三週間期待させるだけ期待させて、またしょんぼりさせるだけなのか。
しっかりと根を張ってからは肥料を与えてはいけないともあるが、竹炭ぐらいしかあげていない、しかし、この竹炭を喜ぶと思ったからこそ与えたのである。
しかし、それがいけなかったのだろうか。
もう何かしたくても何もしない落ち着きを持ち、ただ優しく見守るようにする。
ただ10歳、それはシークヮサーが花を咲かせても良い年頃なのである、しかし、我が家のは別物なのか。
もう背丈は二メートル以上になり、幹も太く、とても立派であるが、それでもまだまだと言うのか。
木々に話しかけると良いと言うことは知っている、もちろん、毎日ように、いや、実は毎日ではないがちゃんと忘れる前に声掛けもしている、「咲いてくれ!咲いてくれ!」と。
もしかして、家のシークヮサーはひねくれ者なのではないのだろうか、それならば、「もう咲かなくて良い!もう咲かなくて良い!」と言い続ければ良いのだろうか。
いやはや、ここは腹を据えて、来年も再来年でも待とうと言う焦りない欲のない心で接するしかないと言う答えがそっとやってくる、ただいつも大切にしていると言うことに違いはないと言う思いだけをそのままにして。
そんな気持ちに落ち着いた私のところにジャスミンから、すうっと優しく甘い香りが届いた。