株式会社パワーランド社長のブログ

日々変化する内外の経営・経済・社会環境に対し、自分の意見を適宜適切に表明したい。もちろん社業の宣伝も行います。

株式会社パワーランド

2008年04月18日 | Weblog
祝フジタビルメンテナンス㈱(ビルメン)創立20周年

昨日、祝賀会がありお招き頂きました。ありがとうございました。年々成長を続け、年間売上高が50億円に届く勢いで、現在の小林社長始め役職員従業員の方々の努力の足跡をしっかり見させて頂きました。20周年おめでとうございます。

昭和63年4月にワンルームマンションの一室で産声を上げ、その年の8月から私がフジタ本社の営業部長兼務で社長を拝命し、その当時フジタを定年退職された今村驥一氏が常務取締役に就任され、たった二人でスタートした会社でした。当初は、フジタの開発事業周辺分野の支援をする会社と位置づけられていたのですが、名前が名前だから「夢を持とう」と、親会社並みにしっかり目標設定し、その10月には増員もして、会社の組織を整えたものでした。

「社員は宝」との認識で人事考課も親会社並みに実施し、親会社に居たならば受けられなかったであろう高評価を社員に与えたために、親会社の人事からクレームが入ったこともありました。個々の社員のビルメンにおける実力を盾に、能力に応じ高評価を与え続けたことが、モラールを昂揚させたと思います。

兼務社長就任後の7年間はサラリーマンとしての昼休みは殆ど取れず、ビルメンの決済・業務指導・組織力の強化に忙殺されました。フジタ本社での本業にも全力を尽くしたのですが、バブル崩壊で、とても兼務では対応できないと悟り、年間売上高17.5億円のときに後任の社長と替わってもらいました。

そして、フジタのリストラが終わった段階でフジタを退職し今のパワーランドを設立。まもなく5年が経過しますが、ビルメンのときの経験がものを言っているのが自分でも分かります。経験とは何か・・・「真正面からバカ正直に物事に取り組み続ける」ということです。

祝賀会の後、当時の後任社長と二人でハーフノートという新宿の高級クラブに足を運んでみました。昔、数回足を運んだことがあるお店で、まだあるかどうか不安でしたが、私と同年齢のママさんが元気で経営されていて・・・ここにも気丈な女性の意地を見ました。まさに「類は友を呼ぶ」です 

20時過ぎにお店を出たため、久し振りに早く帰宅できました 
コメント
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