とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

あちこち「SYOWA」 346 真冬の帰り道  星由里子/ザ・ランチャーズ

2018-05-20 17:48:10 | 日記
同世代のヒロインとして私は憧れていました。不思議なご縁を感じたのは「富士山頂」の映画です。石原裕次郎の恋人役で登場するのです。いや、そのことではなく、石原裕次郎が過酷な仕事ー富士山に測候所を作る事業ーのために病気になるそのときに恋人の星由里子が見舞いに行く場面です。手提のバッグが組み立て式の竹製のものだったのです。そのバッグは出雲の職人錦織増蔵さんが考案し当時ヒットしていた手提げなのです。写真を載せておきます。






で、その職人さんの息子さんと私は同窓生なのです。しかも私と父は錦織さんから手渡されたその手提げの試作品を見ました。ただ父は手で触って確かめただけでしたが。そして、その手提げは彼の小倉遊亀画伯が「径」という作品の中に描いています。・・・そんなこともあってこの度の訃報には驚きました。哀しいです。大変。大変。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。(敬称略)


真冬の帰り道   ザ・ランチャーズ


星 由里子(ほし ゆりこ、1943年12月6日 - 2018年5月16日)は、日本の女優。東京都千代田区鍛冶町出身。身長164cm。千代田区立今川中学校を経て精華学園女子高等学校卒業(吉永小百合は1年後輩)。所属事務所は東宝芸能。


来歴

1958年、東宝が宝塚歌劇団東京公演にちなんで募集したミス・シンデレラ娘で優勝したことをきっかけに芸能界入り[1]。
「八重歯のシンデレラ」をキャッチフレーズとし、1959年に映画『すずかけの散歩道』で銀幕デビュー、同名のレコードで歌手デビューも果たす。

1960年には同時期にデビューした浜美枝、田村奈巳とともに「東宝スリーペット」として売り出された(控えめで大人しい雰囲気の田村、明るく活発で女殺し屋やスパイ役もこなす浜のちょうど中間に位置した星は、清楚ながらも現代的な気の強さも持ち合わせた役柄を多くこなした)。

成瀬巳喜男、岡本喜八、福田純監督作品に度々起用され、文芸作品からアクションまでをカバー。
特に1961年から始まった『若大将シリーズ』で演じたヒロイン・澄子役は当たり役となり、人気を博した(当時の加山雄三の出演する映画には必ず星の姿があったほどで、加山との共演作も多い)。「澄子」の名は星の代名詞となった。

また、世相を映したファッションや明るいイメージが広く支持され、癖のない庶民的な美貌で「清く正しく美しく」を社是とする東宝の健全なお嬢さんイメージを代表する1人とされた。同路線の先輩には司葉子がおり、映画衰退期に差し掛かったこともあったが、怪獣映画にも出演したことから子供たちにも親しまれ、二十代半ばを過ぎてからは悪女的な役柄にも意欲を示した。
1964年の『モスラ対ゴジラ』『三大怪獣 地球最大の決戦』で立て続けに出演しており、根強い特撮ファンの後押しを受けて2000年の『ゴジラ×メガギラス G消滅作戦』にて怪獣映画へ復帰した。

女優として人気絶頂期だった1969年に財界人で買収王で名を馳せた横井英樹の長男と結婚。だが、その長男とは性格が合わず80日余りで離婚。1975年に脚本家の花登筐と再婚するが1983年に花登と死別。その後1990年には会社役員と再々婚している。

星と加山は1968年作品「リオの若大将」を最後に映画・テレビ共に共演作品が途絶え、二人揃ってマスコミに登場することがなくなったが、1975年、「同心部屋御用帳 江戸の旋風」(フジテレビ)による星がゲスト出演で7年ぶりに共演し、以降、CMなどを含め共演する機会が増え、団塊世代の大きな支持を得ている。2007年8月にNHK BS2で放映された『永遠の若大将 加山雄三』に出演し「今でも同世代の人たちから、澄ちゃんと声をかけられる」と青春時代を語っている。
晩年はテレビドラマで母親役や通販番組出演などを中心に活動した。

第28回菊田一夫演劇賞受賞。

2018年5月16日、肺がんのため京都市の病院で死去。74歳没。(「Wikipedia」より)

あちこち「SYOWA」 345 吉永小百合初主演映画 「ガラスの中の少女」オープニング

2018-05-18 16:34:08 | 日記
ほんとに暗い映画で主役デビューとしては・・・、と思いました。しかし、トータルに見ますと、所謂青春恋愛ものの割合は少ないですね。

吉永小百合初主演映画 「ガラスの中の少女」オープニング



有馬頼義の原作を、青山民雄が脚色し、「十代の狼」の若杉光夫が監督した、少年少女の純愛を描く叙情編。撮影も「十代の狼」の井上莞が担当。

映画のストーリー

陽一と晴代は中学一時代同級生だったが、陽一は町工場へ、靖代は高校へと別々の道を歩まねばならなかった。ある日、偶然二人は町で会い、みつまめ屋で卒業後の様子をあれこれと話し合った。靖代の父で大学の助教授の杉太郎は、少しでも靖代の帰宅時間が遅れると、その理由を異常なまでに追求する。母親の里子はただオロオロするばかりだった。陽一の家庭もまた暗かった。

失職中の父親が酒ばかり飲んでどなりちらしていたし、母親は働きに出て留守がちだった。ある時、靖代は後楽園で陽一と遊んで帰宅した。杉太郎は靖代を見るとやにわに彼女の手を取り、教授になって北海道へ行くといいながら、抱きよせた。靖代は本能的に恐怖を感じて逃げた。その夜、母親から杉太郎はほんとうの父親でないことを知らされた。

彼女は家をとび出し、陽一の家を訪れた。陽一は靖子と会えぬ生活を想像するだけでも苦しかった。彼も自分の家庭のことを打ちあげた。二人は、どこか静かな所へ行って話をしようと相談した。次の日、二人は山あいの湖水にボートを浮かべた。靖代はしのばせていた睡眠薬を取り出した。二人は薬を分け合って飲むと、横になって空を眺めた。ボートは、二人の眠りを誘うように、波間にそっといつまでも揺れていた。(「movie walker」より引用。多謝)

出演映画

※太字の題名はキネマ旬報ベストテンにランクインした作品

朝を呼ぶ口笛(1959年、松竹大船) - 刈谷美和子 役 ※デビュー作
まぼろし探偵 地底人襲来(1960年、新東宝) - 吉野さくら 役
拳銃無頼帖 電光石火の男(1960年、日活) - 節子役
霧笛が俺を呼んでいる(1960年、日活) - 浜崎ゆき子 役
拳銃無頼帖 不敵に笑う男(1960年、日活) - 壇則子 役
疾風小僧(1960年、日活) - 秀子役
すべてが狂ってる(1960年、日活) - 久保典子 役
ガラスの中の少女(1960年) - 主演・靖代 役
1988年、後藤久美子と吉田栄作でリメイクされる
美しき抵抗(1960年、日活) - 松波久美子 役
大出世物語(1961年、日活) - 高子 役
天使が俺を追い駈ける(1961年、日活) - 久美 役
花と娘と白い道(1961年、日活) - 主演・みや子 役
ろくでなし稼業(1961年、日活) - 浜田澄子 役
警察日記 ブタ箱は満員(1961年、日活) - 長女ヨシエ 役
早射ち野郎(1961年、日活) - 真山美佐 役
有難や節 あゝ有難や有難や(1961年、日活) - 守田洋子 役
青い芽の素顔(1961年、日活) - 主演・山中みどり 役
闇に流れる口笛(1961年、日活) - 柿崎咲子 役
この若さある限り(1961年、日活) - 河並亮子 役
俺は死なないぜ(1961年、日活) - 義妹弓子 役
闘いつづける男(1961年、日活) - 鞍馬涼子 役
太陽は狂ってる(1961年、日活) - 北条知里 役
あいつと私(1961年、日活) - 浅田ゆみ子 役
草を刈る娘(1961年、日活) - 主演・モヨ子 役
黒い傷あとのブルース(1961年、日活) - 小牧洋子 役
さようならの季節(1962年、日活) - 殿村幸子 役
上を向いて歩こう(1962年、日活) - 永井紀子 役
キューポラのある街(1962年、日活) - 石黒ジュン 役[29]
激流に生きる男(1962年、日活) - さかえ 役
赤い蕾と白い花(1962年、日活) - 主演・岩淵とみ子 役
霧の夜の男(1962年、日活) - 深沢みき 役
星の瞳をもつ男(1962年、日活) - 品田冴子 役
あすの花嫁(1962年、日活) - 主演・汐崎百合子 役
若い人(1962年、日活) - 江波恵子 役
1977年、桜田淳子と小野寺昭でリメイクされる。
ひとりぼっちの二人だが(1962年、日活) - 田島ユキ 役
青い山脈(1963年、日活) - 主演・寺沢新子 役
いつでも夢を(1963年、日活) - 三原ひかる 役
泥だらけの純情(1963年、日活) - 横山真美 役
1977年、山口百恵と三浦友和でリメイクされる。
雨の中に消えて(1963年、日活) - 主演・川路あや子 役
俺の背中に陽が当る(1963年、日活) - 朝子 役
伊豆の踊子(1963年、日活) - 主演・薫、少女 役(二役)
1974年、山口百恵と三浦友和でリメイクされる。
若い東京の屋根の下(1963年、日活) - 主演・桑野蕗子 役
美しい暦(1963年、日活) - 主演・矢島貞子 役
波浮の港(1963年、日活) - 主演・明代 役
真白き富士の根(1963年、日活) - 磯村梓 役
光る海(1963年、日活) - 主演・石田美枝子 役
こんにちわ20才(1964年、日活) - 主演・石沢カナ子 役
こんにちは赤ちゃん(1964年、日活) - 主演・宇田川圭子 役
浅草の灯 踊子物語(1964年、日活) - 小杉麗子 役
潮騒(1964年、日活) - 主演・宮田初江 役
風と樹と空と(1964年、日活) - 主演・沢田多喜子 役
帰郷(1964年、日活) - 守屋伴子 役
愛と死をみつめて(1964年、日活) - 小島道子 役
うず潮(1964年、日活) - 主演・林フミ子 役
若草物語(1964年、日活) - 高村しずか 役
悲しき別れの歌(1965年、日活) - 主演・野村ゆり子 役
未成年 続・キューポラのある街(1965年、日活) - 主演・石黒ジュン 役
青春のお通り(1965年、日活) - 主演・南原桜子 役
明日は咲こう花咲こう(1965年、日活) - 主演・小日山ひろ子 役
父と娘の歌(1965年、日活) - 主演・卓紘子 役
四つの恋の物語(1965年、日活) - 三沢三也子 役
大空に乾杯(1966年、日活) - 主演・滝村ゆり子 役
青春のお通り 愛して泣いて突っ走れ(1966年、日活) - 主演・南原桜子 役
風車のある街(1966年、日活) - 主演・三浦まり子 役
私、違っているかしら(1966年、日活) - 主演・白石桂 役
愛と死の記録(1966年、日活) - 松井和江 役
白鳥(1966年、日活) - 小林麗子 役
青春の海(1967年、日活) - 主演・三宅杏子 役
恋のハイウェイ(1967年、日活) - 主演・梶若葉 役
君が青春のとき(1967年、日活) - 主演・木所香 役
斜陽のおもかげ(1967年、日活) - 主演・木田町子 役
君は恋人(1967年、日活) - 吉永百合 役
花の恋人たち(1968年、日活) - 主演・鑞山操 役
青春の風(1968年、日活) - 主演・楠本光子 役
だれの椅子?(1968年、日活) - 主演・沢村恵子 役
あゝひめゆりの塔(1968年、日活) - 主演・与那嶺和子 役
花ひらく娘たち(1969年、日活) - 主演・柿崎民子 役
嵐の勇者たち(1969年、日活) - 冬子 役
幕末(1970年、中村プロ) - お良役
風の慕情(1970年、松竹大船) - 主演・長谷由布子 役
青春大全集(1970年、松竹大船) - 主演・根本律子 役
戦争と人間 第二部・愛と悲しみの山河(1971年、日活) - 伍代順子 役
男はつらいよ 柴又慕情[2](1972年、松竹大船) - 歌子 役
戦争と人間 完結篇(1973年、日活) - 伍代順子 役
男はつらいよ 寅次郎恋やつれ(1974年、松竹大船) - 歌子 役
青春の門(1975年、東宝) - 伊吹タエ 役
新どぶ川学級(1976年、日活) - 須藤節子 役
若い人(1977年、東宝) - 鮎沢由紀 役
皇帝のいない八月(1978年、松竹) - 藤崎杏子 役
龍の子太郎(1979年、東映動画) - 太郎の母 役(声の出演)
衝動殺人 息子よ(1979年、松竹) - 柴田保子 役
動乱(1980年、東映) - 溝口薫 役
海峡(1982年、東宝) - 牧村多恵 役
細雪(1983年、東宝) - 蒔岡雪子 役
天国の駅 HEAVEN STATION(1984年、東映) - 主演・林葉かよ 役
おはん(1984年、東宝) - 主演・おはん 役
夢千代日記(1985年、東映) - 主演・夢千代(永井左千子) 役
玄海つれづれ節(1986年、東映) - 主演・山岡ゆき 役
映画女優(1987年、東宝) - 主演・田中絹代 役
つる -鶴-(1988年、東宝) - 主演・つる 役(通算100作目記念映画)
華の乱(1988年、東映) - 主演・与謝野晶子 役
外科室(1992年、松竹) - 主演・貴船伯爵夫人 役
天国の大罪(1992年、東映) - 主演・衣畑遼子 役
夢の女(1993年、松竹) - 主演・お浪(花魁楓) 役
女ざかり(1994年、松竹) - 主演・南弓子 役
霧の子午線(1996年、東映) - 主演・沢田八重 役
蓮如物語(1998年、東映アニメーション) - ナレーション
時雨の記(1998年、東映) - 主演・堀川多江 役
長崎ぶらぶら節(2000年、東映) - 主演・愛八(松尾サダ) 役
千年の恋 ひかる源氏物語(2001年、東映) - 主演・紫式部 役
風の舞 闇を拓く光の詩(2003年、映画「風の舞」全国上映実行委員会) - 詩の朗読
北の零年(2005年、東映) - 主演・小松原志乃 役
あした元気になーれ! 半分のさつまいも(2005年、「あした元気にな〜れ!」全国配給委員会) - 語り
母べえ[2](2008年、松竹) - 主演・野上佳代 役
まぼろしの邪馬台国(2008年、東映) - 主演・宮崎和子・卑弥呼 役(二役)
おとうと(2010年、松竹) - 主演・高野吟子 役
手塚治虫のブッダ -赤い砂漠よ!美しく-(2011年、東映/ワーナー・ブラザース) - ナレーション・チャプラの母 役(二役/声の出演)[30]
北のカナリアたち(2012年、東映) - 主演・川島はる 役
BUDDHA2 手塚治虫のブッダ -終わりなき旅-(2014年、東映) - マーヤー天 役(声の出演)[31]
ふしぎな岬の物語(2014年、東映) - 主演・柏木悦子 役(企画も兼任)
母と暮せば(2015年、松竹) - 主演・福原伸子 役
北の桜守(2018年3月10日公開、東映) - 主演・江蓮てつ 役(「Wikipedia」より)


あちこち「SYOWA」 344 「 風と共に去りぬ タラのテーマ Gone with the Wind Tara's Theme」マックス・スタイナー、Max Steiner

2018-05-17 15:32:29 | 日記
マーガレット・ミッチェルの原作がこんなに壮大なスケールの映画になるとは思ってもいまんせでした。ヴィヴィアン・リーも気丈な女性を見事演じていました。忘れることのできない映画の一つです。

「 風と共に去りぬ タラのテーマ Gone with the Wind Tara's Theme」マックス・スタイナー、Max Steiner


風と共に去りぬ

『風と共に去りぬ』(かぜとともにさりぬ、原題: Gone with the Wind)は、1939年に製作されたアメリカ映画。カラー製作、スタンダードサイズ。監督はヴィクター・フレミング。主演はヴィヴィアン・リーとクラーク・ゲーブル。日本での初公開は戦後の1952年。

1936年6月に出版されたマーガレット・ミッチェル原作の『風と共に去りぬ』が世界的ベストセラーとなり、早くも出版の翌月に映画製作者のデヴィッド・O・セルズニックが映画化権を獲得し、その後3年の歳月と当時の金額で390万ドルの製作費をかけて全編で3時間42分という大長編映画を完成させ、1939年12月15日にワールドプレミエとして初公開して空前の大ヒットとなった映画である。

またメトロ・ゴールドウィン・メイヤーとセルズニック・プロダクションが製作したテクニカラー方式による叙事詩的大作ドラマであり、製作費や宣伝費に大金を注ぎ込む嚆矢となった作品でもある。

1940年のアカデミー賞で作品賞、監督賞、主演女優賞(ヴィヴィアン・リー)、助演女優賞(ハティ・マクダニエル・黒人俳優初)、脚色賞ほか特別賞を含め9部門を受賞した。

キャスト

デヴィッド・O・セルズニックは映画化権を獲得した1936年7月以降すぐにスカーレットを演じる女優探しを始めた。以後2年4ヶ月の間に面接した候補者は1,400人で、スクリーンテストを受けた者は90人。その中にはポーレット・ゴダード、ベティ・デイヴィス、キャサリン・ヘプバーン、マーガレット・サラヴァン、ノーマ・シアラー、ラナ・ターナー、フランシス・デイ(en)、ジョーン・フォンテイン、スーザン・ヘイワードなどがいた。そしてポーレット・ゴダードが一時期有力とも目されたが、チャーリー・チャップリンと未婚のまま同居していたこともあって採用されず、錚々たるスター達がカメラの前でテストを受けたがついにセルズニックのイメージに合う女優はいなかった。

1938年12月に主演女優未定のまま撮影に入り、いきなり映画の中盤の見せ場であったアトランタ市街の炎上シーンから撮影を始めたが、その時にたまたまセルズニックの兄がロケ地に見学として連れてきた英国の舞台女優ヴィヴィアン・リーがアトランタ炎上の撮影場面を見つめている姿を見て「スカーレット・オハラがここにいる」とセルズニックが叫び、すぐにカメラテストを受けて1回で即主演女優に決まった。

しかし、撮影途中でヴィヴィアン・リーは脚本を読んで行くうちに「こんなメス犬のような役は自分にはできない」といってスカーレット役を一旦降板するにいたった。しかしセルズニックの入念な説得により、ヴィヴィアンはもう一度スカーレット役を演じることを決め、撮影再開は前半終了部のスカーレットが農園のニンジンを生でかじるシーンから始まった。

また映画製作前の一大キャンペーンとして、全米各地にてオーディションが行われて、映画の舞台であるアトランタで選ばれたイヴリン・キースは、スカーレットの妹・スエレン役にキャスティングされた。

相手役のレット・バトラーは当時すでに大スターでアカデミー賞主演男優賞を受賞していたクラーク・ゲーブルで、彼の代表作となった。(「Wikipedia」より)




あちこち「SYOWA」 343 イングリッド・バーグマン / カサブランカ 1942

2018-05-15 23:52:26 | 日記
この名画はリバイバル上映で見ることが出来ました。イングリッド・バーグマンの名前は前後しますが『誰が為に鐘は鳴る』で初めて知りました。知性的な顔立ちの美しい女優でした。不倫をしたなんて考えられません。

Ingrid Bergman - Casablanca / カサブランカ 1942



イングリッド・バーグマン(典: Ingrid Bergman, 1915年8月29日 - 1982年8月29日)は、ヨーロッパとアメリカで活躍したスウェーデン出身の女優。Ingrid Bergman はスウェーデン語ではインリド・ベリマン [ˈɪŋːrɪd ˈbærjman] と発音される。

業績

アカデミー賞を3回、エミー賞を2回、トニー賞の演劇主演女優賞の受賞経験があり、AFI(アメリカ映画協会)選定の「映画スターベスト100」の女優部門では第4位となっている。バーグマンが演じた役でもっとも有名な役と言われているのが、ハンフリー・ボガートと共演した『カサブランカ』(1942年)のイルザ・ラント役とケーリー・グラントと共演した『汚名』(1946年)のアリシア・ヒューバーマン役である。

バーグマンはアメリカで女優として成功をおさめる以前から、スウェーデンでは名を知られた女優だった。バーグマンがアメリカ映画に初出演したのは、スウェーデン映画の『間奏曲』をリメイクした『別離』(1939年)である。その際立った美貌と知性でアメリカ映画に「北欧からの瑞々しい息吹」を吹き込んだバーグマンは、すぐさま「アメリカ人女性の理想」となりハリウッドを代表する女優の一人となったと『ポピュラーカルチャー百科事典』(en:St. James Encyclopedia of Popular Culture)に記されている。

映画監督ヴィクター・フレミングがリメイクした映画『ジキル博士とハイド氏』(1941年)に出演したバーグマンは、後に自身をハリウッドへ招くことになる映画プロデューサーのデヴィッド・O・セルズニックに認められた。セルズニックはバーグマンのことを、今までともに仕事をしてきた中で「もっとも完成された誠実な女優」と評価している。セルズニックはバーグマンに7年間の出演契約を提示し、その後の女優活動をプロデューサーとして支えていくことになる。バーグマンがセルズニックとは無関係に出演した映画には『カサブランカ』(1942年)、『誰が為に鐘は鳴る』(1943年)、『ガス燈』(1944年)、『聖メリーの鐘』(1945年)『汚名』(1946年)、『山羊座のもとに』(1949年)があり、独立系映画としては『ジャンヌ・ダーク』(1948年)がある。

ハリウッド進出以来、10年間にわたってアメリカでスター女優の地位を守り続けたバーグマンは、1950年にロベルト・ロッセリーニが監督するイタリア映画『ストロンボリ/神の土地』に主演した。この作品がきっかけとなり、バーグマンとロッセリーニはともに既婚者であったにも関わらず、不倫関係を持つようになる。この不倫関係とその後の二人の結婚は大きなスキャンダルとなり、バーグマンはその後の数年間アメリカに戻ることができなくなった。1956年の『追想』でハリウッドに復帰したバーグマンは、この映画でアカデミー主演女優賞を受賞するとともに、旧来のファンもバーグマンを許したといわれている。バーグマンに関する私生活や映画関連の文献は、ウェズリアン大学のシネマ・アーカイブが多く所蔵している。

『カサブランカ』(1942年)

ハンフリー・ボガートと共演した『カサブランカ』1942年。

第二次世界大戦が勃発したときにバーグマンは、ドイツで『4人の仲間 (Die vier Gesellen)』に出演したことを「間違った選択だったと自責の念にかられ」るようになった。バーグマンの伝記作家の一人シャーロット・チャンドラーは2007年の著書で、バーグマンはナチスを「一過性の異常な状態で、まじめに受け止めるにはあまりに馬鹿げている」と考えており、ドイツが戦争を始めることはありえず「ドイツの良識派が戦争を容認するはずがない」と信じていたとしている。さらにチャンドラーは「イングリッドは終戦時にドイツにいたことについて生涯にわたって罪悪感を感じており、ナチスの絶滅収容所を誰かと訪れることに恐怖感を抱き続けていた」と書いている。

スウェーデンで最後の映画に出演した後、1941年にバーグマンは『四人の息子』、『天国の怒り』、『ジキル博士とハイド氏』の3本のアメリカ映画に出演し、どの作品も大きな成功を収めた。翌1942年には、現在でもバーグマンの代表作と目されている『カサブランカ』でハンフリー・ボガートと共演した。『カサブランカ』の舞台はナチスの影響力が及ばない中立地帯であるフランス領モロッコのカサブランカで、バーグマンはポール・ヘンリードが演じた反ナチス地下組織の指導者ヴィクター・ラズローの妻である美しいノルウェー人女性イルザ役を演じた。

世評とは裏腹にバーグマン自身は『カサブランカ』に必ずしも満足しておらず「私は多くの映画に出演し、なかには『カサブランカ』よりも重要な役も演じてきたつもりです。しかし人々が話題にしたがるのはボカートと共演した映画のことばかりなのですと語ったこともある。しかしながら後にバーグマンは「すでに『カサブランカ』は独り歩きしている映画なのでしょう。人々を惹き付ける不思議な魅力を持つ作品で、映画に求められていた想いを十分に満足させることができる作品といえます」とも語っている。(「Wikipedia」より)

あちこち「SYOWA」 342 映画「ロミオとジュリエット」 オリジナル・サウンドトラック 、ニーノ・ロータ

2018-05-14 00:23:05 | 日記
オリヴィア・ハッセーも完璧な美人女優ですね。この人がマザー・テレサを演じていることは初めて知りました。

映画「ロミオとジュリエット」 オリジナル・サウンドトラック 、ニーノ・ロータ


オリヴィア・ハッセー(Olivia Hussey [ouˈliviə ˈhʌsi], 1951年4月17日 - )は、イギリスの女優。アルゼンチンのブエノスアイレスの生まれ。オリビア・ハッセーの表記の方が一般的である。映画雑誌『スクリーン』ではオリビア・ハッシーと表記していた。


父はアルゼンチンのオペラ歌手。2歳の時両親が離婚し、8歳で母の母国イギリスに渡る。
ドラマ・スクールで学び、ロンドンの舞台に立っていたところをフランコ・ゼフィレッリ監督に見出され、1968年、ウィリアム・シェークスピア原作の映画『ロミオとジュリエット』で人気女優となる。しかしその後は役に恵まれず、テレビ出演が主となっている。
2003年、映画『マザー・テレサ』で「この役を20年間待ち続けた」というマザー・テレサの役を演じ、スクリーンに復活を遂げた。「シェイクスピアのジュリエットを演じ、聖母マリアを演じ、マザー・テレサを演じることができたなんて幸運としか言いようがない」と語った。

プライベート

私生活では、ディーン・マーティンの息子のディーン・ポール・マーティン(Dean Paul Martin)と1971年に結婚し、一男児をもうけたが、1978年に離婚。カネボウ化粧品のCMに出演した際、そのCM曲「君は薔薇より美しい」を歌った歌手の布施明と1980年に結婚。一男児をもうけたが1989年に離婚している。その後、アメリカ人ミュージシャンのデヴィッド・アイズリー(David Glen Eisley)と結婚。一女インディア・アイズリーをもうけた。(「Wikipedia」より)