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とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

あちこち「SYOWA」759 小出広美S2

2023-08-15 17:53:47 | 日記
再びアップ。この歌手が途中で消えなかったら、日本の歌謡界の地図が変わっていたと思う。まことに貴重な映像を提供していただいて、
感謝です。

小出広美S2



出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
曖昧さ回避 元フジテレビアナウンサーでシンクタンク経営者の「小出美奈」とは別人です。

小出 広美

来歴

愛知県海部郡大治町出身。堀越高等学校中退。
津島女子高等学校(現・清林館高等学校)1年生の時に名古屋に所在する「国際児童劇団」に入り、芸能活動をスタート。当初は地元・名古屋でタレント活動をしており、1981年、『ぱろぱろエブリデイ』(CBCテレビ)に火曜日アシスタントとしてレギュラー出演。番組内で小出をモチーフにしたドラマも作られ、番組を見たキングレコードの関係者にスカウトされて東京に進出。『レッツゴーヤング』(NHK)の番組内グループサンデーズのメンバーに選抜され、1983年にはキングレコードより「タブー」でアイドル歌手としてデビュー。デビュー時のキャッチフレーズは「'83 誰もがKOIDE(恋で)狂いです」。マイナー調の中森明菜路線の歌謡曲で“ポスト明菜”として注目を浴びた。サードシングル「水色の輝き」(アニメ『聖戦士ダンバイン』挿入歌)のリリース発売直後、キングレコードから中森明菜と同じ所属事務所研音へ移籍。

1984年にシングル「最近のム・ス・メ」を発売する予定がお蔵入りとなり、研音から契約を破棄され、事実上の引退となる
。中森明菜に嫌われ解雇になったと噂があるが、事務所の契約上のトラブルに巻き込まれたのが原因と本人が語っている。
シングル「最近のム・ス・メ」は業界関係者向けのサンプル盤が数百枚しかプレスされず、中古レコード市場で高額で取引されている。後年、CDとして再発売されたが、これも発売直後に廃盤となった。権利関係に問題があったとされる。

シングル「最近のム・ス・メ」は、堀江しのぶが「最近の娘」というタイトルでカバーし発売する予定だったが、諸事情で別の曲になった。そのため「最近の娘」はテレビのみの披露となった。また、B面の「罪と罰」は1984年にデビューしたアイドル、阿部真弓によってカバーされている。

1987年からはグラビアを中心に活動し、数冊の写真集及びヘアヌード写真集を発売する。その傍ら、都内の高級クラブ「水芭蕉」のママとなり、名古屋店もオープンさせるが突然閉店。45歳の時、水商売の世界から足を洗う。

キングレコードからベスト盤「小出広美パーフェクト・ベスト」が2010年7月7日に発売されたが、これは復刻版ブームに便乗し本人に無断で企画されたもので、厳重抗議の上で発売を止めさせた。同年11月「週刊現代」にてヘアヌードグラビアで久々に登場。
2011年に発生した東日本大震災が人生の転機となる。ブリーダーになる前は、渡米して雑貨の卸業などをしていた。
2016年7月8日放送TBS系『爆報! THE フライデー』で久々にテレビ出演した。

当人はいわゆる「不作の83年デビュー組アイドル」の一人ではあるが、同じくその一人である松本明子の呼び掛けにより2018年に東京銀座・博品館劇場で行われたデビュー35周年の合同ライブイベントには、同ライブの参加メンバーはもとより芸能界とも完全に距離を置いていることもあって参加していない。

2020年3月21日、日本テレビ系列バラエティ番組『有吉反省会 2時間スペシャル 昭和・平成・令和のアイドル事件簿ランキングベスト30!』に出演。アイドル時代の衣装(「タブー」「チェンジLOVE」)をメルカリに高額で出品した事情などを語った。
2022年現在、「神真都Q」のメンバーとなり「行政交渉部隊」で活動、反ワクチン運動デモなどに参加している。
2022年10月26日、自身のFacebookの公開を開始。

2023年5月24日には本人監修、全シングル音源及び発売中止となった「最近のム・ス・メ」、当時レコーディングした未発表曲「純愛ストーリー」のちに同期デビューの原真祐美がオリジナルアルバム「コントラスト」で発表する「コントラスト」「青春の向こう側」まで収録したCD2枚組によるコンプリートアルバム『コンプリート小出広美』を昭和歌謡ジュークボックスから発売。6/5付オリコン週間チャート70位を記録。過去にリリースされたシングル、アルバムの中で自己最高位を記録。(Wikipedia)

あちこち「SYOWA」758「東京ららばい」 中原 理恵(当時19歳)

2023-08-15 02:14:50 | 日記
この曲も忘れることができないですね。軽快な曲調の中に哀感があります。

「東京ららばい」 中原 理恵(当時19歳)


中原理恵(なかはら りえ、1958年6月17日 - )は、日本の元歌手・女優・タレント・司会者。かつて田辺エージェンシーに所属していた。本名は目加田 貴美恵(めかた きみえ)。

来歴・人物
北海道函館市出身。函館市立潮見中学校・遺愛女子高校卒業。文化放送主催『歌のフェスティバル』に北海道代表で出場、優勝は逃したが、そこで「何か光るものがある」とスタッフの目に留まり、デビューのきっかけを得る。1978年、CBS・ソニーからアルバム『TOUCH ME』で歌手デビュー。アルバム発売後にリリースされた1stシングルの「東京ららばい」が大ヒット。デビュー当時19歳だったが、大人っぽい曲調に合わせるためなのか、年齢を2歳上に偽っていた。年末には、第20回日本レコード大賞新人賞など数々の新人賞を受賞し、第29回NHK紅白歌合戦にも「東京ららばい」で出場。第二弾「ディスコ・レディー」もヒットとなる。(「Wikipedia」)