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とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

あちこち「SYOWA」710【北の国から ラーメン屋】名シーン

2021-04-06 17:02:20 | 日記
何にも言えません。頭の中をいろんな思い出が駆け巡って。ただ、ただ、・・・。「北の国から」は特によかった。

【北の国から ラーメン屋】名シーン



田中 邦衛(たなか くにえ、1932年11月23日 - 2021年3月24日)は、日本の俳優。

映画・若大将シリーズで青大将、テレビドラマ『北の国から』で黒板五郎を演じ、国民的俳優となった。他にも『居酒屋兆治』『タスマニア物語』など多数の映画やドラマに出演。『学校』の演技で日本アカデミー賞最優秀助演男優賞、『子連れ狼 その小さき手に』の演技でブルーリボン賞の助演男優賞受賞。旭日小綬章受章。


1957年、今井正が監督した映画『純愛物語』に初出演した。そのアクの強い風貌から、アクション映画でチンピラや殺し屋役を演じるが、1961年の東宝映画『大学の若大将』では、若大将のライバル・青大将役で出演した。敵役・悪役だがコミカルで憎めないキャラクターを好演し、「若大将シリーズ」のレギュラーとなる。以来、映画・テレビドラマで幅広く活躍している。岡本喜八にも気に入られ、監督別では最多の11本に出演している。

1965年に出演したフジテレビのドラマ『若者たち』は映画化され、第22回毎日映画コンクール男優主演賞を受賞。

ヤクザ映画では、同年からスタートした「網走番外地シリーズ」で高倉健演じる主人公を慕う舎弟をコミカルに演じ、1973年から始まった「仁義なき戦いシリーズ」では、それまでのイメージを一新するずる賢いヤクザ・槙原政吉を演じた。以降、東映作品のバイプレイヤーとして活躍する。

1973年、井川らと俳優座を退座する。安部公房と行動を共にした後フリーとなる。

1980年代以降は映画への出演は減るが、1981年からの『北の国から』シリーズでの葛藤を持ちつつも2人の子を温かく見守る父親・黒板五郎役が全国的に知られることになる。

1993年、『学校』にて苦労しながら夜間中学に通う労働者役を演じ、第17回日本アカデミー賞最優秀助演男優賞を受賞。

1988年から1995年まで出演した大正製薬「大正漢方胃腸薬」の年末のテレビCMでは歌って踊るエンターテイナーぶりを披露。コラムニストのナンシー関から絶賛を受け、作家の小林信彦からも高く評価された。

2010年公開の映画『最後の忠臣蔵』へ出演、以降俳優としては表舞台から遠ざかる。

2012年6月29日、『北の国から』『岡っ引どぶ』など多くの作品で共演した地井武男が死去。8月6日に青山葬儀所で営まれた「お別れの会」では発起人の一人として名を連ねた。参列者代表7人による「お礼の言葉」では、吉岡秀隆の介添えで最後に祭壇の前に立ち「おいらまだ信じられない」「会いたいよ!地井にい(兄)、会いたいよ!」と悲痛な思いを地井の遺影に語りかけた。この時の姿が公の前に立った最後の姿となった。

2013年11月19日発売の『週刊女性』(2013年12月3日号)に「田中邦衛(80)ほうき片手の隠居生活『俳優引退』を直撃撮!」との記事が掲載され、「長ゼリフが入らない」ことを理由に仕事の依頼を断っていることが伝えられた。同日放送されたフジテレビの情報番組『ノンストップ!』では妻が電話取材に応え「体力的に厳しいと思います」と述べ、田中が休業状態であることを明かす一方で「演技をする夢は夫婦2人でずっと持って生活しています。引退も何も、田中邦衛の人生そのものが役者ですから」と、田中の心情を思い「引退」との明言は避けている。2015年、『週刊ポスト』(2015年10月30日号)にて施設に入居しリハビリ生活を送っていることが報じられた。

2017年10月時点では、施設から自宅に戻り、元気にはなってきているが、車椅子生活が続き俳優としての復帰に関しては解らないと、妻が取材に対して答えた。2019年9月現在はまた施設に入居したのではないかと近隣住民から推測されているが、妻は『週刊現代』からの取材に断りを入れていた。倉本聰は「(田中は介護)施設に入っていた」と語った。

2021年3月24日午前11時24分、老衰のため死去。享年90(88歳没)。

2021年4月3日、フジテレビでは当初の番組予定(映画「ジオストーム」)を変更し、田中の代表作として知られる「北の国から'87初恋」を『土曜プレミアム』の枠で特別追悼番組として放送、番組冒頭で追悼テロップを表示した。
                                            (「Wikipedia」より)