とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

あちこち「SYOWA」 28 黒澤明「一番美しく」

2016-07-16 07:32:55 | 日記
一番美しく (The Most Beautiful) Trailer


太平洋戦争も末期に近い昭和十九年、若い女性達は挺身隊の名で軍需工場で働いていた。精密兵器のレンズ工場では渡辺ツルら数十人の女性が寝食を共にして頑張っていた。成績は着実に伸びていったが、次第に疲労の色を隠せなくなっていった。同時に些細な事からいさかいも起こるようになり和は乱れていく・・・・・・。黒澤作品には珍しい若い女性の集団劇。監督自身、「私の一番可愛い作品」と述べている。撮影にあたっては、女優達から化粧や気取り、芝居っ気などを取り去る為、劇中で描かれている通りの集団生活を経験させた。またスタッフも工場の寮に住み込み撮影を行い、ドキュメンタリー・タッチのリアリティー溢れる作品となった。(C)1944 TOHO CO., LTD. ALL RIGHTS RESERVED.

 主演の矢口 陽子(やぐち ようこ、1921年8月27日 - 1985年2月1日)の夫は映画監督の黒澤明。

 昭和高等女学校(現・昭和女子大学附属昭和高等学校)中退。1937年に若園照美の芸名で松竹少女歌劇団入団。1940年東宝映画に移籍。1944年に黒澤の2本目の監督作品『一番美しく』に主演する。1945年に黒澤と結婚(挙式は明治神宮。媒酌人は山本嘉次郎夫妻。)して女優を引退した。引退後は家庭に入り、黒澤が気持ちよく映画を撮れるように、内助の功を発揮した。女優から嫁に来ているが、料理が出来ないと監督の嫁は務まらないと思い料理を勉強し、宴会の準備、黒澤だけでなくスタッフの弁当作りまでやっていたという。周りからはゴッドマザーの愛称で呼ばれ、娘の和子によると、唯一黒澤が頭が上がらなかった人だと言う。(Wikiより)


日本には黒澤明というすごい映画監督がいるということを強く認識した作品で、戦争の渦中女性たちがお国のために身を挺して働いている姿にAは感動しました。作中唱歌「若葉」という唄が歌われることも意外でした。


 黒澤明(脚本・監督)の『一番美しく』というモノクロ映画のビデオを借りて来て観た。幾度となく観ている。この映画はいわゆる国威発揚、戦意高揚のために制作されたものである。作られたのは敗戦色濃い昭和十九年。私が生まれた年である。
 女子挺身隊として平塚の精密機械の軍需工場に徴用された若い女性たちが、献身的にお国のために働く姿をドキュメンタリータッチで描いている。挺身隊が担当していたのは兵器のレンズを作る作業である。主人公渡辺つるはその隊長として信頼されている責任感の強い女性である。その主役は矢口陽子さんが演じている。のち、彼女は黒澤明氏と結婚する。
 ある日、隊長は、隊員の報告により、一枚の未点検のレンズがあることを知る。その日他の隊員と一緒に点検したレンズは夥しい枚数である。責任感を感じた隊長は工場の者が止めるのも聞き入れず、一人で再検査を始める。疲労困憊する体に鞭打って、徹夜してその一枚を探そうとするのである。
 「美しい」のは集団に支えられた一途な責任感である。一枚でも焦点の狂ったレンズが戦闘機や兵器に取り付けられれば、大切な戦闘手段を失うことになるし、兵士の命を奪うことにもなる。その一枚を探すことがお国のためになる。だから、時間との闘いだし、我が女の命を燃やし尽くす覚悟を生む。そうした熱情が観ている者の胸を打つ。
次の場面では「若葉」という唱歌を夜宿舎の前で隊員たちが斉唱する。「あざやかなみどりよ、あかるいみどりよ、鳥居をつつみ、わら屋をかくし、かおる、かおる、若葉がかおる」。我々の世代には懐かしい歌詞の歌である。
 もしかして、黒澤明氏は豊かで平和な国土への回帰の願いをこの歌に密かに託していたかもしれない。しかし、それは戦争を知らない世代に属する私の憶測にすぎない。いい作品はいつ観てもいい。(2005年投稿・再掲)

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