とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

あちこち「SYOWA」27 東洋の魔女 日本 VS ソ連(64`東京五輪)

2016-07-09 00:51:35 | 日記
東洋の魔女 日本 VS ソ連  女子バレー (64`東京五輪)


Aは、この試合を見て、初めて日本人としての誇りを持つことができました。

挑戦ー1964年カンヌ映画祭短編部門グランプリ作品


学生時代、Aはある寂しい集落で間借りしていました。襖一つ隔てて別の夜学生がいました。息がつまるような雰囲気でした。しかし、家賃が安いのでそれも我慢していました。

 「2階のAさん、バレーやってるよ、女子バレー !!」

 おおっ、待ってましたとばかりAは階段を走りおりました。学生はテレビを持っていない時代だったので、私は喜々として下りて大家の家族と観戦しました。苦しい戦いでした。たしかルイシカルとかいうアタッカーがさんざん日本チームを苦しめていました。得点は抜きつ抜かれつでAはこりゃやられると一時諦めてもいました。イケー、そこだ !! 内心そう叫びながら観ていました。
 おおっ、勝った、勝った !!
 あの大国ソ連を僅差で下しました。Aは大家さんの家族と手を叩いて喜び合いました。日本人として堂々といばっていいのだ、そう正直思いました。
 後日談です。
 大学祭のとき、文藝研究会にAは属していましたので、体育会の仮装行列で何か出してほしいという自治会からの要請を部内で相談しました。いろいろ意見がでましたが、Aは突然手を挙げて「東京オリンピック、そうです、女子バレーをやりませんか」と言いました。男が多いけどどうするの、とか、どう演技するの、扮装はとうするの、とかやや否定的な意見が出ました。
 「私が河西選手をやります。回転レシーブを私自身がやって外の方は普通のレシーブで・・・。衣装は私が準備します。かつらも私が作ります」
 部員がこそこそ話し始めましたが、会長が「それではA君に任せて、協力しましょう」と言ってくれましたので、実行されることになりました。
 「アタックもう一本ください !!」
当日、演技が始まりました。最初の回転レシーブを成功させると、Aは続けて数回回転レシーブを決めました。見ていた学生からおーっ、という声が聞こえてきました。
 前向きになったAは、学生生活が楽しくなりました。

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