Nonsection Radical

撮影と本の空間

東京の変わったところ

2013年01月23日 | Weblog
年末年始に撮影した東京の動画を少しずつ変換しているのだけれど、それを見ていて色々と思い出す事もある。
というのも、もうすでに1ヶ月近く経つと、記憶もおぼろげになる。
最近は何かを覚えておこうと思う事も少なくなり、すべてが過ぎ去ったものとして処理出来るようになったのは、大変精神的によろしい。
それでも動画を見ていると、そうそうそういう事もあったと思い出す事もあるのは大した事である。
数年ぶりに東京都心に行って、一番気になったのは電車内の放送である。
確実にうるさくなった。
大阪に来た時には、国鉄の車内放送はなんてやかましいんだろうと思ったが(それは今も同じだが)、その基準は関東の車内放送にあった。
少なくとも京王線では、始発駅で車掌が車掌室のドアを少し上げながらマイクテストをして音量を調整していた。
だから”適量”な音量であったのだけど、今度行った時には大阪並みに何も気にしない無神経放送ばかりであった。
この変化はどこから来たのだろうか?
大阪では、以前は国鉄女性車掌の場合、適量な音量での放送が多かったのが、最近は随分やかましい放送を平気でする無神経人間に変わってしまった人が多くなったが、そのように人間は変わってしまうものなのか。
それはどういう理由やきっかけでなるのであろうか。
それが最大の疑問だ。
例えばラジオ放送で、よく聞こえるようにとマイクの音量を上げてしゃべる人などいないし、そういう調整もしないはずだ。
音量には適量というものがあるからだ。
大きければよく伝わるなどと考えるバカはいない。
ましてや、音量を考慮しないバカはいない。
しかし最近の電車では、東西を問わずバカばかりになっている。
なぜバカになれるのかが不思議だ。
こんな些細な、しかし重要な事でバカ呼ばわりされるのも心外だろう。
プライドが傷つくだろう。
なのにそのバカをするのだからバカである。
そのように東京の電車車掌もバカになってしまったのが、変わったところである。
ちなみに関西では、阪急電車や近鉄は適量で放送している。
この会社間の違いは何ゆえかは謎である。



滝野川馬場商店街 東京都北区


天六商店街 大阪市北区
コメント
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