闘う社長の再起編

大きな夢を持って、日々、いろいろな事と格闘しています。
このブログは、そんな私の毎日の成長記録です。

仏の道

2010年02月16日 15時26分38秒 | Weblog
昨日、NHKの再放送番組、NHKアーカイブスを録画したものを見ました。
「永平寺 禅の心」というタイトルで、若い雲水が1年間、
永平寺で修行する様子を収録したものです。

永平寺は、福井県にある曹洞宗の禅寺の大本山、厳しい修行で有名です。
番組は、雪がまだ残っている早春3月(気温は1度)、
若者6人が山門の入り口のところで2時間立ったままのシーンから始まる。
もちろん、入門をまだ許されていないので、山門を勝手にくぐるはできない、
先に入門している雲水が、山門の掃除に来るのですが、6人を無視したまま。

2時間を過ぎた頃、やっと客行(かあん)と呼ばれる先輩雲水が現れ
修行の厳しさを説くと同時に、再度、入門の意思を確認した後
やっと入門が許されるのが、山門に着いてから実に3時間以上経った後だ。
気温1度の中、素足にコートなしの僧衣だけ、最初から厳しいですな。

若者たちは、入門を許されてから雲水として、様々な修行するのですが
早朝、起きた時から、夜、床につくまで、すべて作法が決まっていて
禅宗の修行の厳しさの一端を、番組を通して見ました。
素晴らしいですね、私があと30歳若ければ、私も修行したいところです

でも雲水の修行と私たちの日常で、重なる部分がありますから
そこでは、考えようによっては、彼らにかなり近いレベルで
修行ができるのかもしれませんね。
即ち、顔を洗う、食べ物を頂く、掃除する、自分に与えられた仕事をこなす、
自分を磨く、一日を感謝して眠る・・・

ただ、私たちの場合、それらの間に邪念が渦巻いていますから
雲水たちとは決定に違いますね、彼らはそれを振り払うために修行する
私たちは、ますます雑念や業が溜まっていく

私も将来、もしチャンスがあるなら、仏の道に入りたいとは思いますが
永平寺のような厳しい修行は難しいでしょうな
それに、現在の仏教(宗教)の役割というのが良く分かりませんね・・・

奈良時代、政のツールとしてまた超能力的な期待を仏教等が担っていました
その後、まだ科学技術が発達していなかった時代には、
死への恐怖や生きる苦しみから逃れるための手段でした。
またそれと同時に、如何に人生を送るかという人の道も説いていました。
然るに、現在の仏教は、もちろん政のツールではありませんし
仏教は仏教をして民衆を救っているのでしょうか?

私には、死人に念仏を聞かせ、戒名を発行して、
檀家の先祖供養している機関にしかみえないのですが・・・
もちろん宗派によっては、自分自身を見つめなおすや解脱という
大命題を持ったものもありますけどね。

従って、私がもし仏の道に入ったとしても、世の中に何ができるのか
わからない間は、仏の道に入る意味がありませんな。
また、そんな屁理屈を捏ねている間は、孫悟空と同じレベルですな


今日目に付いた記事:
 ・腰パン国母、殊勝に「いい滑り見せたい」
  「るせーなぁ、結果を見てくれよ」くらいの事を言ったら大物なのに

今日の気持ちステータス:

今日の一言:
 業にまみれていても、毎日が修行