昨日、NHKの再放送番組、NHKアーカイブスを録画したものを見ました。
「永平寺 禅の心」というタイトルで、若い雲水が1年間、
永平寺で修行する様子を収録したものです。
永平寺は、福井県にある曹洞宗の禅寺の大本山、厳しい修行で有名です。
番組は、雪がまだ残っている早春3月(気温は1度)、
若者6人が山門の入り口のところで2時間立ったままのシーンから始まる。
もちろん、入門をまだ許されていないので、山門を勝手にくぐるはできない、
先に入門している雲水が、山門の掃除に来るのですが、6人を無視したまま。
2時間を過ぎた頃、やっと客行(かあん)と呼ばれる先輩雲水が現れ
修行の厳しさを説くと同時に、再度、入門の意思を確認した後
やっと入門が許されるのが、山門に着いてから実に3時間以上経った後だ。
気温1度の中、素足にコートなしの僧衣だけ、最初から厳しいですな。
若者たちは、入門を許されてから雲水として、様々な修行するのですが
早朝、起きた時から、夜、床につくまで、すべて作法が決まっていて
禅宗の修行の厳しさの一端を、番組を通して見ました。
素晴らしいですね、私があと30歳若ければ、私も修行したいところです![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_ase2.gif)
でも雲水の修行と私たちの日常で、重なる部分がありますから
そこでは、考えようによっては、彼らにかなり近いレベルで
修行ができるのかもしれませんね。
即ち、顔を洗う、食べ物を頂く、掃除する、自分に与えられた仕事をこなす、
自分を磨く、一日を感謝して眠る・・・
ただ、私たちの場合、それらの間に邪念が渦巻いていますから
雲水たちとは決定に違いますね、彼らはそれを振り払うために修行する
私たちは、ますます雑念や業が溜まっていく![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_warai.gif)
私も将来、もしチャンスがあるなら、仏の道に入りたいとは思いますが
永平寺のような厳しい修行は難しいでしょうな![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_ase2.gif)
それに、現在の仏教(宗教)の役割というのが良く分かりませんね・・・
奈良時代、政のツールとしてまた超能力的な期待を仏教等が担っていました
その後、まだ科学技術が発達していなかった時代には、
死への恐怖や生きる苦しみから逃れるための手段でした。
またそれと同時に、如何に人生を送るかという人の道も説いていました。
然るに、現在の仏教は、もちろん政のツールではありませんし
仏教は仏教をして民衆を救っているのでしょうか?
私には、死人に念仏を聞かせ、戒名を発行して、
檀家の先祖供養している機関にしかみえないのですが・・・
もちろん宗派によっては、自分自身を見つめなおすや解脱という
大命題を持ったものもありますけどね。
従って、私がもし仏の道に入ったとしても、世の中に何ができるのか
わからない間は、仏の道に入る意味がありませんな。
また、そんな屁理屈を捏ねている間は、孫悟空と同じレベルですな![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_warai.gif)
今日目に付いた記事:
・腰パン国母、殊勝に「いい滑り見せたい」
「るせーなぁ、結果を見てくれよ」くらいの事を言ったら大物なのに
今日の気持ちステータス:![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaeru_fine.gif)
今日の一言:
業にまみれていても、毎日が修行
「永平寺 禅の心」というタイトルで、若い雲水が1年間、
永平寺で修行する様子を収録したものです。
永平寺は、福井県にある曹洞宗の禅寺の大本山、厳しい修行で有名です。
番組は、雪がまだ残っている早春3月(気温は1度)、
若者6人が山門の入り口のところで2時間立ったままのシーンから始まる。
もちろん、入門をまだ許されていないので、山門を勝手にくぐるはできない、
先に入門している雲水が、山門の掃除に来るのですが、6人を無視したまま。
2時間を過ぎた頃、やっと客行(かあん)と呼ばれる先輩雲水が現れ
修行の厳しさを説くと同時に、再度、入門の意思を確認した後
やっと入門が許されるのが、山門に着いてから実に3時間以上経った後だ。
気温1度の中、素足にコートなしの僧衣だけ、最初から厳しいですな。
若者たちは、入門を許されてから雲水として、様々な修行するのですが
早朝、起きた時から、夜、床につくまで、すべて作法が決まっていて
禅宗の修行の厳しさの一端を、番組を通して見ました。
素晴らしいですね、私があと30歳若ければ、私も修行したいところです
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_ase2.gif)
でも雲水の修行と私たちの日常で、重なる部分がありますから
そこでは、考えようによっては、彼らにかなり近いレベルで
修行ができるのかもしれませんね。
即ち、顔を洗う、食べ物を頂く、掃除する、自分に与えられた仕事をこなす、
自分を磨く、一日を感謝して眠る・・・
ただ、私たちの場合、それらの間に邪念が渦巻いていますから
雲水たちとは決定に違いますね、彼らはそれを振り払うために修行する
私たちは、ますます雑念や業が溜まっていく
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_warai.gif)
私も将来、もしチャンスがあるなら、仏の道に入りたいとは思いますが
永平寺のような厳しい修行は難しいでしょうな
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_ase2.gif)
それに、現在の仏教(宗教)の役割というのが良く分かりませんね・・・
奈良時代、政のツールとしてまた超能力的な期待を仏教等が担っていました
その後、まだ科学技術が発達していなかった時代には、
死への恐怖や生きる苦しみから逃れるための手段でした。
またそれと同時に、如何に人生を送るかという人の道も説いていました。
然るに、現在の仏教は、もちろん政のツールではありませんし
仏教は仏教をして民衆を救っているのでしょうか?
私には、死人に念仏を聞かせ、戒名を発行して、
檀家の先祖供養している機関にしかみえないのですが・・・
もちろん宗派によっては、自分自身を見つめなおすや解脱という
大命題を持ったものもありますけどね。
従って、私がもし仏の道に入ったとしても、世の中に何ができるのか
わからない間は、仏の道に入る意味がありませんな。
また、そんな屁理屈を捏ねている間は、孫悟空と同じレベルですな
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_warai.gif)
今日目に付いた記事:
・腰パン国母、殊勝に「いい滑り見せたい」
「るせーなぁ、結果を見てくれよ」くらいの事を言ったら大物なのに
今日の気持ちステータス:
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaeru_fine.gif)
今日の一言:
業にまみれていても、毎日が修行