全日本女子サッカー選手権大会が開催されたのは1980年である。
戦後の日本の歴史において、はじめて男女平等が意識されたのは、1975年国際婦人年だったと思う。
今では、国際「婦人」年などという呼び方はしないだろうが、とにかく、その年を境にさまざまな制限はあるものの男女平等とか女性の社会参加が話題にのぼるようになった。
そして、その5年後の1980年、全日本女子サッカー選手権大会が開催された。男子サッカーの天皇杯全日本サッカー選手権大会にあたる大会として日本全国のチームを対象とするトーナメントが行われるようになったとのこと。
1975年の国際婦人年、1980年の全日本女子サッカー選手権大会の開催、この30年余を日本の女性の社会進出の歴史と重ねてみると興味深い。ついでに1985年の雇用機会均等法もいれておきたい。
その時、あなたは何歳でしたか?
何歳だったかによって、男女平等のセンスを身につけているか否かがわかる。
1975年、思春期の15歳だったら、その人は国際婦人年の洗礼を受けている。だから、かなり男女平等のセンスを身につけていると思う。まして、母親が、戦前期の女性の権利獲得運動などの洗礼を受け、女性の地位向上に敏感だったとすると、その子は強い男女平等意識をもって育てられているから、当然、男女平等に敏感に育っているだろう。
1985年の時に大学生だったら、それは均等法世代だ。男女平等とはいってもまともにやればスーパーウーマンでなければやりきれず、それはそれで苦労しているだろうけれど。
今回のなでしこジャパンの快挙、国際婦人年、あれから30年余を経て、男女平等第二世代が女子サッカーの中心的存在になっていると思う。
男女平等が政治経済のみならず、文化レベル、意識のすみずみにいたるまで定着するには50年、100年かかるといわれている。
そう考えると、30年余経って、非常に保守的なスポーツの分野で、最初の小さな「なでしこ」のつぼみが開花したようでなんだかうれしい。こういう小さなつぼみがどこかしこでぽつぽつの咲いて、有能な女性たちがどんどん社会の中枢でよい仕事をし、世界で活躍するようになれば本当にいいのにと思う。
なでしこジャパンの選手たちはそんなことは考えていないのだろうけれど、考えないところが第二世代のよいところなのだ。
この30年余の女性の地位の変遷となでしこジャパンの活躍、それはけっしてスポーツの世界だけの話ではなく、日本女性がもつ苦難の歴史からの本当の意味での脱却であり、世界に打ち立てられた金字塔である。