3.11以後の日本

混迷する日本のゆくえを多面的に考える

『死んだ男の残したものは』(谷川俊太郎作詞・武満徹作曲)を歌う

2011-07-25 11:21:07 | 音楽ノート
『死んだ男の残したものは』を、歌う。
鮫島有美子さんが歌うこの歌が好きだ。
男は墓石ひとつ残さなかった。
女は着物一枚残さなかった。
そして、死んだ子どもが残したものは、ねじれた脚(あし)と乾いた涙、思い出ひとつ残さなかった・・・
兵士が残したものはゆがんだ地球、平和ひとつ残せなかった・・・。
死んだ子ども・・・の3番を歌う頃には涙ぐんでしまう。

戦後の焼け跡からの復興と経済成長、ベトナム戦争を経て、原子力に支えられたエネルギー消費社会の豊かさを満喫する今、我々はもう一度、貧しさから抜け出したい一心で働いたあの時代を振り返り、何が残ったのか考えるべきだ。これからの50年を構想するために。

作詞 谷川俊太郎
作曲 武満 徹

1. 死んだ男の残したものは
 ひとりの妻とひとりの子ども
 他には何も残さなかった 墓石ひとつ残さなかった


2. 死んだ女の残したものは
 しおれた花とひとりの子ども
 他には何も残さなかった 着もの一枚残さなかった


3. 死んだ子どもの残したものは
 ねじれた脚と乾いた涙
 他には何も残さなかった 思い出ひとつ残さなかった


4. 死んだ兵士の残したものは
 こわれた銃とゆがんだ地球
 他には何も残せなかった 平和ひとつ残せなかった


5. 死んだかれらの残したものは
 生きてるわたし生きてるあなた
 他には誰も残っていない 他には誰も残っていない


6. 死んだ歴史の残したものは
 輝く今日とまた来る明日
 他には何も残っていない 他には何も残っていない


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清貧の専業主婦―橋本健二の戦後史の中の主婦②

2011-07-24 10:47:00 | 女性の地位
専業主婦はなぜ清貧なのか、という問題より、むしろ、専業主婦はその生活基盤を夫に依存しているというところに脆弱性があるということだろう。自ら経済基盤をもたず、夫という異性、その関係の安定性に全面依存していることが生活そのものの自律性を損ない、脆弱性を潜ませることになるのだ。異性との関係が不安定になれば、それが生活の不安定性に直結する。それは、今が清貧であるか否かより、はるかに問題の根が深い。
生活意識の潜在的不安につながり、そこに夫(異性)に従属するいびつな関係が生まれる要素となる。
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清貧の専業主婦―橋本健二の戦後史の中の主婦

2011-07-23 19:34:22 | 女性の地位
「戦後史のなかの主婦ー特権から清貧へ」『生活経済政策』2011年7月号を読んだ。夫の階層所属に着目し、今日の主婦の経済状態と生活および意識の特徴について分析している。
新中間階級どうしの共働き、新中間階級の夫をもつパート主婦、新中間階級の夫を持つ専業主婦、労働者階級どうしの共働き、労働者階級の夫をもつパート主婦、労働者階級の夫をもつ専業主婦の6つの類型に分けると、新中間階級どうしがいちばん富裕であり、当然といえば当然だが、労働者階級の専業主婦は貧困率がもっとも高いとなっている。これも当然だろう。同じ階級同士で結婚することが多く、富裕で高学歴な新中間階級はますます富裕になるという循環がある。新中間階級の専業主婦の生活満足度が高い。すこし笑ってしまう。社会に出て厳しい環境で働いたことがなければ今の生活に対して高い要求もすることはなく、満足度は高くなるというもの。働かないでこの程度の生活が得られるなら満足ということだろう。

欲を言えば、新中間階級(橋本健二は階級が好きだね)も3類型ぐらいに分けるとよいと思う。コーホート分析する場合、1950年代生まれの大学卒や大学院修了は今とは数も違うし社会的な価値が違う。高学歴を短大卒以上に分類しているようだが、やや乱暴ではないかとおもう。その結果、新中間階級の妻の平均年収が382.1万円となっており、これはちょっと低いと思う。

食料品の購入の節約、外食費用の節約、生活満足度を出しているが、余暇活動の費用との相関を見ないとなんともいえないのではないか。

ともあれ、新中間階級共働きの富裕層率約30%、それに対して、労働者階級の専業主婦の貧困率22.2%をみると、女性の経済的安定性は、高学歴で新中間階級の夫と結婚し仕事を続けることによってもたらされるということだろう。

橋本健二の結びの言葉がシニカルで痛快だ。「清貧であり、将来に大きなリスクを抱えているのが専業主婦である。彼女たちの幸福が、長続きすることを祈らずにはいられない」
私も同じく薄氷を踏むような彼女たちの人生、その後半に経済的困窮という不幸が訪れることがないように願っている。
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Johannes Brahms ,Schicksalslied Song of Destiny,op.54

2011-07-21 12:18:35 | 日記


台風のせいか頭痛で本日休業である。
昨日から頭痛がひどく、伏している。

昨日は夜遅くまで仕事仲間と議論をしていて、気づくと10時。あわてて帰宅した。
今日も昨日に引き続き頭痛。Johannes Brahms ,Schicksalslied Song of Destiny,op.54 を聴いている。重々しく、美しいコーラス、しかし、さらに頭痛がひどくなりそう。

伏していると、2件のテル。この時代、メールで済む話とやはり直接テルで話さないと伝わないこともある。結局、会ってさらに話すことに。
M女は一回り年上である。はじめて一緒に仕事をしたのは20年前だ。私はまだ初々しく、駆け出しだった。足を向けて寝られないほど世話になっている。20年ぐらいあっという間に過ぎるものだ。彼女からは、ものを書くとき、常に新しい発想を盛り込むことを学んだ。
新しいプロジェクトの知恵を貸してほしいとのこと。私の浅知恵でよければいくらでもだが。
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日本女子サッカーの30年―男女平等の歴史とともに

2011-07-19 07:12:28 | 女性の地位


全日本女子サッカー選手権大会が開催されたのは1980年である。
戦後の日本の歴史において、はじめて男女平等が意識されたのは、1975年国際婦人年だったと思う。
今では、国際「婦人」年などという呼び方はしないだろうが、とにかく、その年を境にさまざまな制限はあるものの男女平等とか女性の社会参加が話題にのぼるようになった。

そして、その5年後の1980年、全日本女子サッカー選手権大会が開催された。男子サッカーの天皇杯全日本サッカー選手権大会にあたる大会として日本全国のチームを対象とするトーナメントが行われるようになったとのこと。

1975年の国際婦人年、1980年の全日本女子サッカー選手権大会の開催、この30年余を日本の女性の社会進出の歴史と重ねてみると興味深い。ついでに1985年の雇用機会均等法もいれておきたい。

その時、あなたは何歳でしたか?
何歳だったかによって、男女平等のセンスを身につけているか否かがわかる。

1975年、思春期の15歳だったら、その人は国際婦人年の洗礼を受けている。だから、かなり男女平等のセンスを身につけていると思う。まして、母親が、戦前期の女性の権利獲得運動などの洗礼を受け、女性の地位向上に敏感だったとすると、その子は強い男女平等意識をもって育てられているから、当然、男女平等に敏感に育っているだろう。

1985年の時に大学生だったら、それは均等法世代だ。男女平等とはいってもまともにやればスーパーウーマンでなければやりきれず、それはそれで苦労しているだろうけれど。

今回のなでしこジャパンの快挙、国際婦人年、あれから30年余を経て、男女平等第二世代が女子サッカーの中心的存在になっていると思う。

男女平等が政治経済のみならず、文化レベル、意識のすみずみにいたるまで定着するには50年、100年かかるといわれている。

そう考えると、30年余経って、非常に保守的なスポーツの分野で、最初の小さな「なでしこ」のつぼみが開花したようでなんだかうれしい。こういう小さなつぼみがどこかしこでぽつぽつの咲いて、有能な女性たちがどんどん社会の中枢でよい仕事をし、世界で活躍するようになれば本当にいいのにと思う。

なでしこジャパンの選手たちはそんなことは考えていないのだろうけれど、考えないところが第二世代のよいところなのだ。
この30年余の女性の地位の変遷となでしこジャパンの活躍、それはけっしてスポーツの世界だけの話ではなく、日本女性がもつ苦難の歴史からの本当の意味での脱却であり、世界に打ち立てられた金字塔である。

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