3.11以後の日本

混迷する日本のゆくえを多面的に考える

保育園児死亡ゼロはすばらしい―東北の保育士の底にある強さとあたたかさ

2011-05-25 10:14:13 | 東日本大震災
5月14日付の読売で報道されていたし、今朝の番組でも取り上げられていたが、今回の大震災で保育園児は全員無事だったとのことである。それは快挙だ。
東北の保育の底力をあらためて知らされる。日ごろから訓練を重ねていたとのことであるが、いざとなるとなかなか最善の方法を考え、判断し、決断、行動に移せるかというとできないものだ。
また、ある保育所では、行政から指定された避難場所は、とても安全とはいえないところだったので、訓練時にここはやめたほうがよい、と、判断し、独自の避難ルートと避難場所を考えていたという。

子どもの命と生活を守るのが保育の仕事だ。行政の指導のいうままに動いていたら今頃どうなっていたかと思うとぞっとする。おかみのいうことを聞いていればよいなどと考えないことだ。何が一番大切かを中心に置き、自分たちで安全を追求する、子どもたちのすべてを把握しているのは保育士自身なのだから、その知識と経験から独自に最善の方法を編み出す。それが専門職というものだ。

それぞれの保育士がおぶい紐で赤ちゃんを背負い、子どもたちの手を引き、保育士の車に分乗してあらかじめ避難所として決めていた場所であうことを確認した。一台15人も乗せた車もあったとのこと。津波到達の30分前に避難完了したとのこと。頭が下がる。園長、主任、それぞれの保育士が連携し、子どもの命を守るにはどうしたらよいか、最善の方法をその場で瞬時に判断したことが、この快挙に結び付いた。日ごろの訓練で問題点を洗い出し、みなで合議し問題解決し、動き方を確認しておく。いざというときにその経験をいかすことができる。すばらしい判断力決断力行動力だ。世界に誇れる保育士だ。

親は地震後、保育園に預けているとまず迎えに行かなくてはと思うだろう。しかし、引き取りにいける親ばかりではない。自分の子を預けている保育士だっているはずだ。看護師、医師、警察、消防、役所など非常時に自分の子どもを顧みることができない職種もあるのだから、保育園はとことん預かっている子どもをまもりぬいてもらわないと困るのである。日ごろからそういう親と保育士の間に信頼関係がなくては親はあずけることはできないだろう。

地震後子どもを引き取りに来た親と一緒に帰った子どものほうが死亡したケースもあったとのこと。皮肉なことだ。
子どもを引き取りにいける親は、保育所にとどまり、ともに避難のヘルプに回るという選択肢もあるのではないかと思う。

世の親は子どもを保育園に預けるとき、一瞬、地震や津波のとき、助かるだろうかと不安がよぎるだろう。でも、それは杞憂だったのだ。私たちは何があっても子どもの命を守ってくれる非常に高い責任感をもった保育士という専門職を長年育成してきたということだ。これは誇れる制度なのだ。世の母親たちよ、日本の保育を信頼して子どもを預けよう。日本の厚労省はがちがち官僚主義で信頼できないが、日本の保育士は信じることができるとこれで証明された。

今回の大震災津波はフクシマの問題などをみれば、日本政府の政治的決断力の不足や大企業の脆さ、つまり日本の弱さをさらけだしたといえるが、逆に強さもわかったのだ。被災地のケアマネージャーのすばらしい仕事ぶりもいろいろなところで報告されている。戦前から保育や介護は女性職と位置付けられ、必ずしも優遇されてきたわけではない。今回の震災で、福祉の仕事の重要性と専門性は高く評価されている。私たちはこれらの仕事を大切に守っていかなければならないだろう。日本の保育の強さとあたたかさを感じる。

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