3.11以後の日本

混迷する日本のゆくえを多面的に考える

3.11以後

2011-04-05 11:07:52 | 東日本大震災
20世紀末から21世紀初頭の世界の構図を考えるとき、ベルリンの壁崩壊、9.11、リーマンショックの3つは欠かせないが、さらに2011.3.11が新たにくわわったといってよいだろう。

1989.12のベルリンの壁の崩壊。その後、ソ連がなくなり、東西の冷戦構造は消滅していったことは大きな価値の転換だった。
2001.9.11のアメリカ同時多発テロ。新たな脅威が起こった。アメリカはその後、アフガン、イラクと進み、いわゆるテロとの闘争は宗教的色彩を濃くし、イスラム世界との確執をあらわにしていった。その間、経済グローバリゼーションはいっきに進む。

そして2008.9.のリーマンショック。我が国も経済的に大きな打撃をうけた。市場原理主義への批判と反省が広がる。貧困問題や格差社会に関心が集まった。その時点で東北地方は人口の超高齢化や地場産業の低迷であえいでいた。

2011.3.11、東北関東大地震。それに引き続いておきた津波、FUKUSHIMAの大事故である。地震と津波によって多くの人々が亡くなり、行方不明となり、また家を失い、職を失っている。もとあった貧困の問題はさらに深刻になるだろう。ぎりぎりの層はいっきに貧困層に投げ出される。それだけでなく、中間にあった人々さえ、すべてを失い、再建のめどがたたない。その人々もまた、深刻な生活問題に直面するだろう。住宅と雇用の確保、教育支援、医療と介護、これらがまず必要だ。今ここにある人々の先の見えない生活不安と貧困の問題をまず考えなければならない。

とくに今回のFUKUSHIMAの大事故が世界になげかけた問題ははかりしれない。まず、健康被害と環境破壊の深刻さ、そして、世界に高い技術を誇る日本の原子力産業・技術への打撃である。米国、フランスなど、原子力産業を中心に据えたエネルギー政策をとる国々への打撃でもある。

資源をもたない我が国のようなものつくり先進国が原子力にたよらず、どのようなエネルギー政策をとりうるのか、ということも考えなければならない。再生可能エネルギーにシフトして、これまでの電力を確保できるのか。国のありかたそのもの、われわれの生活価値と生活スタイルを転換せざるをえないかもしれない。

1979.3 Three Mile Island事故があった。1986.4のチェルノブイリの事故があったにもかかわらず、我々は真剣に我が国のエネルギー政策について、原子力発電に依存することに対して十分な議論もしてこなかった。経済グローバリゼーションの波にのまれ、国際競争力を高め、自動車産業などをはじめとする基幹産業を振興するためには多くの電力が必要とされ、がゆえに原子力発電所を作り続けてきた。それは、経済成長と不可分だったのだろうが、そのつけはあまりにも大きい。

その間、温暖化問題、京都議定書つまり、CO2削減の世界的なうねりのなかで、原子力発電は資源の乏しい日本においては、成長の前提条件として奨励され次々と建設されていった。市場原理主義とともにそれは「安全神話」によって、安全対策や事故対策への経費を削減する形で推進されてきたとはいえないだろうか。

そして今回の2011.3 FUKUSHIMAで原子力発電はどこへいくのか。

2011.3.11による大量の死者は、われわれに戦後の焼け跡を想起させる。戦争体験者は昭和20年8月、焦土と化した東京、を思い起こすかもしれない。身体的な疲労と精神的打撃は大きく、そこからどのようにたちあがれるのか。しかし、当時と大きく異なるのは、経済活動がもはや世界規模になっていること、原子力発電所があるということ、われわれの生活の中に電気が深く深く浸透していることである。変わらないことは、資源は相変わらずないこと、地震のある極東の小さな島国であること、そして、とりあえず、今のところ平和を愛する国民であるといっておこう。



























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