3.11以後の日本

混迷する日本のゆくえを多面的に考える

白秋の「春の鳥な鳴きそ鳴きそあかあかと外の面の草に日の入る夕べ」を思い出すとき

2017-03-16 16:39:21 | 日記
春になると必ず思い出す白秋の歌

春の鳥な鳴きそ鳴きそあかあかと外の面の草に日の入る夕べ

古文の授業を思い出す。
白髪の痩せた先生。
あの時は、年取った女の先生と思っていたが、今になって思えば決して年取っていなかったのだと思う。
老眼鏡の奥の目は、少女のようだったように思える。

なそ、の使い方の授業でこの白秋の歌を例にあげていた。
高校の窓からの景色もすっかり忘れてしまって、何もおもいだせないのだけれど、不思議に春になるとこの歌を思い出す。
と同時に赤い夕陽に照らされたふるさとの風景が一瞬だが目に浮かぶのである。

無垢で悲しいことなども何も知らずに一心に勉強していたあの頃の自分を思い出し、悲しいほど懐かしさで胸がいっぱいになる。
何になろうとしていたのだったか。

白秋の歌を諳んじていたあの頃にもう一度戻りたいと思うのである。
あの頃からもう一度人生を始めてみたいと思うのである。
そんなことできないと知っているのだけれど。
涙ぐむ春の夕暮れ時





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2017年3月も半ばとなりまして バルコニー便り ナズナってかわいいんだが

2017-03-16 14:57:16 | 日記
今日は、午前中は晴れていたけれど、午後から曇って、花曇り。
風が冷たく、いまだに冬のコートが手放せない。

椿の乱れ咲、梅もだいぶ咲き終わり、次は何が咲くのかしら。

花海棠が、つい先日はまだまだ枯れ枝のようだったのに、今朝みたら、つぼみがたくさんついていて、もうすぐ咲きそう。

今年は鈴なりの花海棠が楽しめそう。もう咲かないかもしれないと思っていただけに、うれしい。

楓はまだ枯れ木状態。にもかかわらず、根元にナズナがごっそり生えていて、それはそれでかわいいのだけれど、つまり雑草なので「またのご来店を」といって、抜く。誰も招待していないんだがよく来てくれるナズナ。
ちょっとかわいそうだよね。
ナズナって白い細かくい小さな花を咲かせる。どこにでもいつのまにか咲いている。どこにでも生えてくる、いわゆる雑草。
雑草のように強くたくましてく育ってほしいとかいうけれど、小さくて目だなないんだが、こんな形で抜かれるのは心外だろう。

懸命に生きて、小さな花を咲かせているのにい、って声が聞こえそうだ。
でも、じゃあ、なかなか抜けないかというと、いとも簡単にあっけなく抜けてしまう。ナズナさん。
繁殖力はあるのに執着心のないナズナ。

タンポポも咲いている。ナズナに比べるとかなり強情。
絶対簡単には席を渡さない。
頑固にここは私の居場所といわんばかりに、バラの間に陣取っている。
こまったもんだ。
しかし、タンポポはその強情さがゆえに根を地下まではやし、そのために、存在感があり、さらにまたこれが簡単に抜けやしないのである。

いろいろな植物と格闘するのは、春だから。
楽しい季節の予感。

終わりつつある椿、まだ、蜜をすいに来るメジロたち。

最後の密はおいしいのだろうか。

春の便りを届けてくれるバルコニーの鳥と植物たちなのである。







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高校野球の女子マネージャーって何?

2017-03-16 12:14:57 | 女性の地位
僕、野球やる人、私、支える人。洗濯とか球拾いとか、道具の整備とかやるのが女子マネか?
馬鹿言ってんじゃないよ。
ジョシマネージャーに言ってやりたい。
なんであんた、マネージャーやってるの?
自分で野球やんなよ。

男子も男子である。偉そうに女子にお世話してもらって、高校生のくせに、女使って何が面白いのか。
球拾いや雑用はふつう1年生がやるお仕事だ。なんで女子にやらせるのよ。
女子も女子である。支えてあげたい、だって。

馬鹿言ってんじゃないよ。

男女共同参画社会が笑う。
こういう女子は脇役みたいな社会の在り方をやめようというのがその趣旨である。

女子のソフトボールチームでは、男子がマネジャーをやっているのだろうか。
それはないだろうに。

ものすごいジェンダーバイアスを感じる。
高校生なのに、馬鹿じゃないかしら。

即刻やめろと言いたい。
女子マネージャー制度そのものは性差別の代表であり、教育上よくないのである。


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