3.11以後の日本

混迷する日本のゆくえを多面的に考える

ノースキルの文系の学部生の就活が大変なのは、当たり前である。

2013-02-11 17:12:21 | 現代社会論
英語も喋れないノースキルの文系の学部生が、卒業後に仕事があること自体、世界的にみてありえないこと"というブログを読んだ。
確かにそうである。
日本の私立文系大学は、ノースキルである。
ろくに勉強もせずに入学し、3年の秋にいくら就活!と叫んでも、ダメなものはダメである。

大学もどんよりした大学は尻をたたけばなんとかなると思っているようだが、尻をたたいてすむなら心配いらない。
自分から勉強するような学生だったら多分就活も問題ないのかもしれず、そうじゃないから大変なのであろう。

いくら人柄が良くてもダメである。日本語もだめ、敬語もロクに喋れない、英語なんてもともとダメだから、そこにいるようなもの。

日本は子どもの個性重視とか、スポーツ入試などやって、結局、基礎学力を軽んじてきたのではないか。スポーツで精神が鍛えられるかというとあやしい。暴力監督にたたかれて自律なんてことはどこかへ飛んでしまって、いわれただけしかできなくなっている。

英語ができなくても人柄が良ければ良い、というのは、テキトーにお嫁さんにでもするならいいのかもしれないが、仕事をするには不十分である。

英語もできて、事務能力も高く、仕事が早い、という人は、結局、わずかしかおらず、そういう人は今度は、日本なんかで働かず世界に出ていこうとしているから、どちらにしても国内的には人はいるに入るが必要な人材は不足になるのである。





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サロネンの春の祭典に圧倒される

2013-02-11 13:09:37 | 音楽ノート
サロネンのベートーベンNO7を聞いてから、サロネンにはまっている。
先日はニコニコ動画でハルサイ聞いた。
ものすごい迫力に惚れ込む。
いいなあ。

ぜひ、聞いてみてください。

ストラヴィンスキーの春の祭典の初演から100年だそうなので、今年はサロネンで春祭がブレイクしそうな予感だ。

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介護殺人を考える

2013-02-11 01:15:15 | 現代社会論
2013年2月10日23時01分 読売新聞から

 ほぼ寝たきりの妻を自宅で殺害したとして、福井県警福井南署は10日、福井市運動公園1、無職辻谷国雄容疑者(71)を殺人容疑で逮捕した。容疑を認めている。
 発表によると、辻谷容疑者は同日午前0時から同1時30分頃の間、妻の美千代さん(70)の首を絞めて殺害した疑い。辻谷容疑者宅は長男夫婦や孫らと8人暮らしで、当時、ほかの家族は寝ていた。
 近所の人の話によると、美千代さんは約1年前、病気でほぼ寝たきりの状態になり、辻谷容疑者が昨夏頃に警備員のアルバイトを辞めて介護していた。「世話が大変で、疲れている」と漏らしていたといい、同署は詳しい動機を調べている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
痛ましい。
70歳になるまで、夫婦いっしょに手をたずさえて、働き、子どもを育て、やってきた。
夫は70歳になっても警備員として働いてきたが、妻が寝たきりになって仕事をやめて介護に専念していた。

同居の長男夫婦や孫もいた。が、だれも容疑者の苦悩を理解していなかったのか?

どちらにしても、家族がいてもいなくても要介護の高齢者の世話を身内がやることは大変なことなのである。

地方だととくに介護は身内でと当事者も周辺にいる人もみなそう信じているから、外部のサービスがきちんと入って本人とその家族を支えるのは難しいことがよくあるそうだ。

家族ですべての問題を解決するというのが生活習慣となっていて、外部からサービスが入るのには抵抗があるのだろう。

この事件の詳細はわからないが、
とにかく、介護担当の家族は外部サービスを適度に利用しよう。
家族で全部やって燃え尽きるより、サービスを上手に利用してよい関係を維持しつづけることが一番大切なことである。

介護は重労働、心身ともに疲れるもの。

人生の最期になって、夫が妻を殺害するとは、なんて不幸なのだ。
これは、社会サービスが適切にこの家族をささえていなかったことによる社会的に作られた殺人である。

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早世するということ-その人は25歳だった

2013-02-11 00:36:01 | 日記
3.11で18才の息子を亡くしたお母さんの話。毎日泣いて暮らしていたとのこと、学習塾をやっていたが、継続できなくなってしまったこと、でも、息子の友人が訪ねてきて、息子の知らなかった話を聞いて、また、がんばろうとおもって、塾を再開したという話。

早世した息子、親は泣いて暮らすという気持ち、わかる。
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その人は、25歳だった。
将来を嘱望された研究者の卵だった。
でも、病気でなくなってしまった。

今日は、その人の命日。
あれからずいぶん月日が流れ、私は、年に一回、命日ぐらいしか思い出さなくなってしまったけど、あの時は、毎日泣いて暮らしていた。

R.シュトラウスの「万霊節」を歌おうか、それとも『四つの最後の歌』の第3曲「眠りにつこうとして」を歌おうか。
老いることを知らず逝ってしまったその人のために、この二つの歌を捧げたい。

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