3.11以後の日本

混迷する日本のゆくえを多面的に考える

僧侶見習いが通夜、遺族憤慨、坊主丸儲けだ

2013-02-05 12:04:44 | 現代社会論
僧侶見習いが通夜、遺族憤慨、との記事を読み、さもありなん、と思った。

仏教もスポーツと同じなのではないか、と思わせる世界である。

修行を積んでいるかどうか、遺族にはわからない。
坊主丸儲けとはこのことだ。
初詣にでかけたりして思うことは、この僧侶はどのような修行をどれだけ積んだのだろうと疑問のことが多くあることだ。
法話の中身もまったくためになる話はなく、レベルが低く、なんでこの話に〇〇万円なのか、と、普通の感覚ならだれもが思う。
並んでいる若い修行中の坊主なんて、居眠りしていたりするし、信用できない。

金、金、金、の僧侶たち。

修行なんてどうでもいいから、通夜にいってなんぼだ。

また聞きだが、僧侶が先生と兼業をしていることがよくあるそうだ。
最近は寺だけでは食べていけない。学校の仕事を片手間にやっている。
そうすると、寺の仕事が入りましたから学校は休みますということになる。
だって、学校で働いてもたいした賃金にはならないが、お葬式にいけば、ゼロが二つは違うからね。

坊主丸儲け。

宗教法人にも課税を、と思う。
僧侶の業績審査をしたほうがよい。
僧侶は身分証明書があるのだろうか、何色の袈裟か?そんなの今じゃ僧階なんて金で買える世の中だから、あてになりはしない。

だから、私は樹木葬にしたいと思っている。
お経はいらない。戒名もいらない。

みんなこう思っているから最近樹木葬が人気なんだと思う。
仏教もスポーツ界と同様、刷新したらどうか。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする