3.11以後の日本

混迷する日本のゆくえを多面的に考える

私の音楽歴④ークラシック音楽との決別、文学そして社会科学へ

2011-08-30 11:46:35 | 女性の地位

ピアノのほうは、すでに音楽教室という集団レッスンから個人の先生にかわり、より専門的なレッスンがはじまっていった。ハノンやチェルニー、ベートーベンにシューベルト、今の私にとっては、歌曲王のシューベルトは心から愛する作曲家である。いつになったらまともに歌えるのか、どう解釈するのかと日々、苦闘、練習を重ねているのであるが、しかし、当時の人生経験のない子どもの私にとって、シューベルトのソナタなど、理解する力はなく、退屈のきわみであった。こんな退屈な音楽を一生やるのかと思うと気がめいった。クラシック音楽から心が離れていった。

なぜか、その理由のひとつはビートルズである。高校時代、私は当時の若者がだれもそうであるように、ビートルズの洗礼を受け、クラシックより、ビートルズに入れ込んだのだった。女性だけのコピーバンドを結成し、キーボードとギターの練習にいそしむようになっていた。クラシックの素養は大変役立ち、どんな曲でも、すぐに弾き語りができた。だから、今でもビートルズのナンバーはほとんどすべて歌うことが出来る。

もうひとつの理由としては、その頃の私は詩作にふけるようになっていたことである。中原中也や立原道造、萩原朔太郎、ハイネ、ランボー、ベルレーヌ、アポリネール、吉原幸子、・・・、これらの詩を読み込んだ。詩や短歌など、乱作していた。詩を朗読し、その韻の美しさに惚れ込んでいった。それらに音をつけ、弾き語りをした。詩や短歌をつくっては、同人雑誌に投稿していた。入選した作品もある。詩人や歌人、小説家、文芸評論家、あるいは、女性史研究家として女工哀史や野麦峠のような歴史小説を書く・・・・、この頃の私の将来の夢であった。

音楽大学ピアノ科の途は、選ばなかった。コーリューブンゲンの練習途上で、ピアノの先生は、私のかなり高音まで出るという声域の広さに気づき、「あなたはピアノ科より声楽科を受験すべきよ」といってくださったのだが、そのときは、ピアノの才能がないので声楽を勧めているのかと妙に納得、落胆したことを記憶している。

大学は社会科学の道を選んだ。女性の地位について社会科学の視点で考え行動したいと思ったからだ。

クラシック音楽と決別したものの、人生の節目に私の傍らにはいつもクラシック音楽があり、魂の平安を保つ役割を果たしてきた。
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