3.11以後の日本

混迷する日本のゆくえを多面的に考える

私の音楽歴②-学芸会での女子指揮者として

2011-08-26 11:33:33 | 女性の地位
子どものころの私といえば、小学校以来の友人(男性)の言を借りれば、才気煥発、勉強も運動もできて、音楽が得意で・・・・、かわいかったという評がないのはさびしいが、たぶんきっと相当生意気な少女、当時にしてはめずらしい自己主張の強い少女だったと思う。

小学校の4年のとき、演奏会で好きな楽器をやらせてもらえることになり、希望の楽器を書くことになった。皆、鉄琴、大太鼓、リコーダー、ハーモニカ・・・と書いていた。周囲の友人たちは、当然、私は「ピアノ」と書くと思っていただろう。しかし、予想に反し、舞台の端で弾くピアノより、中心に位置する指揮、と目立ちたがりの私は書いたのだった。指揮のようなものは当然、生徒ではなく、音楽の先生がなさるものとおもっていたのだったから、ほかに誰一人として、指揮と書いたものはいなかった。かくして、私は、指揮者の座を獲得したのだった。当時、女子の指揮者は学芸会ではきわめて稀なケースであったと思う。

その時の曲は「会津磐梯山」と「スケータズワルツ」の2曲だった。私は強烈なリーダーシップを発揮しまとめた。結果は、小学4年生とは思えぬほどの出来栄えであった。

私は本番に強い、本番になると爆発的にそれまでの練習では出なかった力が出る、という暗示にかかっていたと思うが、とにかく、演奏会の本番は、最高の出来だったと思う。今でも本番前の緊張感、ライトの眩しさ、舞台の指揮台の木の感覚、私の指揮棒があがったときのみなの集中した真剣な面持を思い出す。

「私の指揮のうまさ」は、強烈に会場の保護者たちに印象付けられたのだった。一躍、私は、「音楽少女」として、学校ばかりでなく、町中にその名をとどろかせた。自己主張の強い、顕示欲の固まりのような少女にとって、これ以上の快感はなかった。とはいうものの、将来、音楽を生業としようとは考えていなかったように思う。音楽で食べていくというより、女性として別の道で自立しようと子ども心にぼんやり考えていた。
コメント
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