3.11以後の日本

混迷する日本のゆくえを多面的に考える

角栄自民党のビジネスモデルとしての原発

2011-08-05 15:02:44 | エネルギー政策
世界の8月号の伊東論文について先日すでに言及したが、きょうはさらに興味深い部分を取り上げてみる。

2007年8月16日から2008年6月22日まで毎日新聞に掲載された「揺らぐ安全神話ー柏崎刈羽原発」(新聞協会賞受賞)を紹介しながら、伊東はなぜ、断層の近くに原発があるのか、つまり、なぜこのような土地が原発を誘致するために選ばれたのかについて追及する。

東電の調査が不十分だった。それだけではなく、地元からあらかじめ用意された土地が提供され、それを東電が購入したというのが本当らしいということだ。適地を選んで立地したのではないのである。刈羽原発の場合、この地へ誘致を働きかけた中心人物は当時の柏崎市長小林治助と刈羽村長木村博保だという。小林に誘致を進めたのはリケンの松根宗一だそうだ。松根は興銀→理研の人で、理研発祥の地が刈羽だったという。松根は同じ時期東電の顧問になっているし、のちに電気事業連合会の副会長になる人物。

木村博保は角栄の地元支援団体越山会の会長をつとめた自民党員だった。木村は原発計画が発表される3年前に予定地を買い東電に売り、その利益として3億5865万円を手にいれているという。買った単価の20倍で売っているという。この時期、おなじような原発成金が多数うまれたという。

また、角栄の元秘書木間は、東電への土地売却利益4億円を木村博保と角栄のもとに運んだとのこと。当時、角栄は自民党幹事長で、福田赳夫と総裁選で争っていて、この金が総裁選に利用されたとされる。

原発誘致、土地成金、その金が自民党の総裁選に使われ、その金で田中角栄総理大臣が誕生したわけだ。

そして角栄は首相となり、電源三法を成立させた。このアイデアは小林治助のものだったという。その結果、アヘンのような交付金が誕生し、原発銀座が生まれる構造ができあがったのだ。

湯水のように金がまかれ、地元がこれを求める姿がはっきりと浮かび上がってくる。

これは原発誘致だけでなく、ダムの誘致などをふくめ同じ構造がある。利権政治のビジネスモデルが確立したわけである。

伊東はさらに次のように続ける。
「注意しなければならないのは、これらの市町村はいずれも所得水準が低く、人口が減少している過疎地域だったり、若者に働く場のない地域だったことである。柏崎市も1969年には市の財政はますます苦しくなり、財政再建団体に指定される一歩手前まできていたという。地域振興の起爆剤を原発誘致に求めたということである」
「貧しい取り残されたかなしい山村にダムを、貧しい海浜の町や村に原発を。交付金で誘って建設を要望させ、それを電力会社が受ける」という構造である。

角栄が柏崎刈羽で得た4億円、木村が得た3億6千万円、建設に伴う工事の一部が自民党県連に献金され、地方に強い自民党を作り上げたという。

ここまでくると原子力発電所を次々と建設した責任は自民党にあり、谷垣総裁は福島の大災害の責任をとらなければならないはずである。誘致に狂奔した地方議員、町長も同様と伊東は追求しているが私も同感である。

エネルギー政策の問題はこの時期にさかのぼり考えるべきであり、きのうきょうの問題ではなく根が深いことを我々は知るべきである。

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