ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




パチンコ百億。中央区日本橋人形町1-4。1992(平成4)年3月1日

写真の通りは人形町通りの人形町交差点から小舟町、江戸橋北交差点へ向かう芳町通りで、人形町交差点からすぐ西のところ。
昭和38年の航空写真では、百億のビルが建つ前の、L字形平面の「今清」と「前川KK」(昭和20年代火保図より)が写っている。昭和22年の写真と同じ建物で戦前からのもの。そうすると、写真の3階建ての旧ビルは昭和40年頃に建て替えられたものかと考えられる。3階だったと思うが、ビリヤード場になっていた。
百億は写真のビルに移る前は人形町通りの、人形町交差点のすぐ北(日本橋人形町3-7)にあった。昭和20年代の火保図に載っている。昭和25年の「人形町全町詳細図」という地図ではそこが「八百浅人形町倉庫」だから、百億は昭和30年頃の開店と思われる。とにかく古くからあるパチンコ屋だ。そこが火事になって写真のビルに移ったと思うのだが、写真のビルは百億が建てたのだろうか。
1994年3月に現在の「人形町センタービル」に替わり、百億もそこの1・2階に入った。わりと最近の2015年2月15日で閉店した。

今清は花街・芳町を背景にした料理屋だったのだろう。「大正元年日本橋区地籍地図」に「今清牛肉店」として載っている。すき焼きを出していたのだろう。
人形町センタービルで営業している「清心丹」のHPに清心丹と今清をうたいこんだ詩が紹介されている。「昭和13年「誹諧」第2号に載る川端芽舎(ぼうしゃ)の詩」ということだ(清心丹>歴史>昭和の清心丹)。題名は「煉丹」。部分的な引用になるが、
「…よし町の通り今清の横の/瀟洒に掃き清めし露地を行けば/人魚を描ける金看板清心丹の老舗あり。/露地は敷石も美しく/今清の鋤焼の匂ひと/金銀の薬煉る匂ひと/打交り打交り妖しく薫染し…」



パチンコ百億。1990(平成2)年12月16日

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